第5話 お父さん
彼女は僕に抱きついてしばらく泣いていた。はじめ僕は混乱し、どうする事も出来なかった。でも気付いたら優しく頭をなでていた。
そういえば昔、娘に対してよくこうしていたのを思い出す。
妻はそれなりに躾が厳しくよく娘を叱っていて、叱られるたびに娘は僕の所まで来て抱きついて泣いた。そんな時、僕はまあまあ、と言ってなおも叱ろうとする妻をなだめながら、娘の頭を優しくなでてあげていた。
そんな懐かしい思い出を脳裏に蘇らせているうちに、彼女は泣き止んでいた。まだ抱きついてはいたものの、ちょっと落ち着きを取り戻したようだった。
彼女は顔を上げ、「ごめんなさい」と謝ってきた。仕草ではなく、声で。その瞳はまだ涙にあふれていたけれど、零れてはいない。
「構わないよ」と言って、再び頭をそっと優しく撫でる。
僕の予想だと、りんとその父親は長い間会っていないのだろう。その理由まではわからないけれど。
彼女は父親に会えない寂しさを、ずっと我慢していて、それが僕の「お父さん」の言葉によって、その感情が爆発してしまったのだろう。
その気持ちは僕にも多少は分かった。僕も父親を戦争で失っていたからだ。ただ、自分が生まれてから一年もたたないうちに死んでしまっていたので、記憶には残っていなかった。
それでも、友達の父親などを見ると、羨ましさと共に寂しさを感じた。
なまじ彼女、りんは父親の記憶があるだけに、その寂しさはより深いのだろう。
「気持ちが落ち着くまで、こうしてていいからね」と僕は言った。
彼女は少し俯きつつ「ありがとう……ございます」と言った。こんな時にまでお礼を言えるなんて、よくできてる子だな、と思う。
そっと、頭をなでつづける。今、すこしだけなら、この子の父親替わりになろう。そんなことを決心した。
「落ち着いた?」様子を見て僕は尋ねる。
「うん」と首を縦に振って答える。
駅長室に戻る間、彼女の手を繋いであげる。その手は手袋越しでも小さくて頼り無く、僕の手をぎゅっと握り返してきた。
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