政略結婚ですが、辺境領主に溺愛されて困っています!!

武州青嵐(さくら青嵐)

序章 こうして私は拉致られました

第1話 求婚の夜 1

「どうかわたしと結婚していただけませんか?」

 男性は私の目の前でおもむろに片膝をつくと、右手をそっと差し出してそう言った。


 その求婚は、私にとって完璧なものだ。

 いや、女性なら誰でもあこがれるような状況でもあったろう。


 従兄弟が開催する夜会で。

 月夜の輝く大理石のテラスで。


 室内とテラスを隔てる観音扉からは、静かに楽団の音楽が漏れ聞こえ、時折参加者のさんざめく声が流れてくる。


 そんな環境で。

 私は今日のために目いっぱい着飾り、一か月前から肌の状態も整えてここにいた。


 そう。

 求婚されるために。

 婚約者であるサザーランド子爵に。


「……えっと」

 意味のない言葉を口にし、せわしなく視線を周囲にさまよわせた。当然だが、右後ろに控えている侍女のアナも、あんぐりと口を開き、私、というより私の前で跪く男を見ていた。


「えっと……。どちら、さま、でしょうか……?」

 私は、目前の男性に、そっと尋ねた。


 そうなのだ。

 スバラシイ求婚を私は受けたのだが。


 致命的なことに。

 これが、誰なのか分からない。


 少なくとも、婚約者であるサザーランド子爵ではない。


 一体、これは、誰なのだ。

 視界の隅では、硬直のとけた、アナが、怯えたように周囲を見回し始めた。誰か呼ぼうとしているのだろう。ついでに、悲鳴でもあげてやろうか。そんな顔をしていたので、目で動きを制した。


 同時に。

 自分の前で跪く男性を見る。


 本当に。

 見覚えのない男性だ。


 私より少し年上だろうか。二十代前半のように見える。

 金色の、少し伸び気味の髪を後ろになでつけ、藍色の瞳をまっすぐに私に向けている。

 白い肌や、整いすぎた造形のせいだろうか。そうやって、じっとしていれば、まるで彫像のようだ。陳腐だが、「求婚」とでも名の付きそうな。そんな像。


「……おや?」

 男性は、わずかに首を右に傾け、唇を開いた。彼の動きに合わせて毛先が揺れ、夜闇に金色の残像が舞う。


「ああ……」

 私もようやく瞬きをし、声を発した。


「お相手を間違われたのですね」

 できるだけ優しい声音で、その男性に言った。


 考えられることはそれしかない。


 私が今日、ここで子爵から求婚を受けるように、この男性もどこかの令嬢に求婚するつもりだったのだろう。


 この、暗がりだ。

 相手を間違えたにちがいない。


 私は男性にそっと告げる。


「私は、マリアです。マリア・ハイデンベルグです」

「マリア・ハイデンベルグ嬢」

 ひとつひとつ区切るように男性は私の名前を呼ぶ。


「はい」

 真剣な顔でうなずいた。内心では苦笑いしたい気分だったが、男性の心をおもんぱかるとそんなこともできない。


 だが。

 男性はきょとんと数度、まばたきをしたものの、私から目をそらさない。


「マリア・ハイデンベルグ嬢は貴女で間違いないのでしょう?」

 重ねて問われ、再びうなずく。


 なんてのんびりした男性だ。いくらこの薄暗がりとはいえ、顔を間違えるどころか、声さえ違うと気づかぬとは。

 早く、本当の婚約者さんのところに行けばいいのに、と勝手に焦る私の目前で。


「ならば、やはりわたしは間違っていない」

 くすり、と軽やかな笑い声が耳朶じだをなでる。あっけにとられる私の目前で、彼はすっくと立ちあがった。


「わたしは、あなたに求婚したのですよ。マリア嬢」


 ずいぶんと長身だからだろう。

 彼は背を丸めるようにして私の顔を覗き込んだ。鼻先をくすぐるのは、柑橘系の香り。夜風に浮かび、そしてふわりと私を取り囲む。


「……私?」

 おもわずオウム返しに尋ねた。男性は藍色の瞳を細めて、愉快そうに笑った。


「あなたに、ですよ」


 笑みの余韻をくゆらせ、男性はうなずく。

 唖然と彼を見上げている私が再び再起動したのは、ごほり、と咳払いの音を耳が拾ったからだ。


「ハロルドさま」

 ずいぶんと低い声に、とっさに視線を向ける。


 彼のすぐ背後だ。兜まですっぽりかぶった、甲冑姿の体躯のいい騎士がこちらを見ていた。

 シールド越しに目が合うと、つつまし気に自分から瞳をそらせる。


「なんだ、チャールズ」

 男性に問われ、再び気まずそうに、甲冑男は、咳払いをした。


「……どうやら、ハロルドさまのことをお分かりになっておられぬご様子。まずは、自己紹介をしてはどうでござろう?」

 騎士に言われ、私は口を半開きにしたまま、そういえば、と思い出す。


 この男性が誰なのか。

 いまだに私は知らない。


「……どなた、さまでしょうか」

 おそるおそるそう口にする。男性は演技がかった仕草で、片眉を跳ね上げた。


「おやおや……。よもや覚えておられぬとは……」

 男性は舞台俳優のように私に向かって両腕を広げて見せた。その後、するりと腕を曲げ、片膝を少し曲げて頭を下げる。


「ハロルド・グリーンフィールドと申します」

「……グリーンフィールド」

 つぶやいて、ぽかんと口を開く。


 辺境伯だ。

 この王国の北東に領地を持ち、隣国との境を守るのは、グリーンフィールド辺境伯。


 改めて、目前の男性を見やる。

 いや、辺境伯は確かもっと壮年の男性だ。父とよしみがあった関係で、私が小さなころ、何度も屋敷を訪ねて来た。


 がっしりとした腕と、日に焼けた顔と。

 目じりの皺をぎゅっと寄せて、笑う顔が印象深い。

 よく私を乱暴に扱っては、父に叱られていたことを思い出す。


 あの辺境伯のおじさまが、代替わりした、という話は聞かない。


 では、彼は縁者か。年齢的には子息のように見えるが。それにしては、年が離れすぎているようにも思う……。

 瞳と髪の色は辺境伯と同じだが、それ以外となると、まるでかけ離れていた。


「ジョシュア・グリーンフィールド辺境伯は、ハロルドさまの御父上にござる」

 彼の背後に控える甲冑男に言われ、やはりそうか、と驚く。


 だが、こんなに若いとは。


 現在の辺境伯は父よりもずいぶんと年が上のようにみえた。なので、勝手に「その子」といえば自分よりかなり年上だと思い込んでいたのだが。


「わたしは、父の後妻の子でね。一番上の姉君とは十五も年が違うんですよ」

 後妻の子。なるほど。私は再び納得した。


「今はスザンカに居を構え、いくつかの領を父から任されて管理をしています」

「スザンカ、ですか」


 辺境伯領内でも、本当に隣国との境だ。


 最前線といえば最前線を任されている。

 ということは武勇に優れているのかもしれない。大きな争いはここ数年聞いてはいないが、それでも侵入による小競り合いは毎年発生している。


 その、要を任されている、というのだから、よほど「剣」による信頼を勝ち得ているのかも。辺境伯自身も、相当な剣使いでもある。父の好敵手だ。


 まぁ。……ぱっと見は、そう見えないけれど……。


 まんべんなく男性を眺め、失礼にもそんなことを考えてしまった。

 背こそずいぶんと高いのだが、胸も薄いし、全体的にひょろりとした印象がある。


 「貴公子」という言葉はぴったりと彼に当てはまるが、「偉丈夫」であったり「武勲」という言葉からは程遠い。


「こう見えても、ハロルドさまは武芸に大変秀でてござる」

 心を読んだように甲冑男が申し出るから、私は思わず苦笑いする。


「おいおい、チャールズ、どういう意味だ」

 その私と甲冑男を交互に見比べ、ハロルドが情けない声を漏らすから、たまらずに噴出した。


「お嬢様」

 小声の。

 だが、鋭いアナの声音に、私は視線だけ動かす。彼女がこういうしゃべり方をするときは、決まって、だからだ。


 私は気を引き締め、背筋を伸ばす。


「どなたにお話しかけでしょうか」

 アナが鋭く尋ねる。私は素早く扇を広げ、口元を隠してわずかに振り返った。


「ハロルドさまは見えているの?」

「大きな独り言を話す、残念なイケメンはしっかりと」

 ぐい、とアナは首肯する。


「では」

 私は尋ねた。


「武骨な甲冑騎士殿は?」

「全く」

 明朗に答えるアナに、私は知らずにため息を零す。


 しまった。あれは、『果てた者』だったか。


「チャールズまで見えるなんて」

 薄闇を切って響くテノールの声に、私は反射的に声の主を観た。


「マリア嬢は、わたしの想像以上の女性だ」

 アナに、『残念なイケメン』と言われたハロルドは、満面の笑みで私を見ている。


 その笑みが怖い。


 きれいな分、凄みを帯びている、というか。

 なんかもう、取って食われそう、というか。


 思わず、一歩あとずさりしたら、がっしりと右手首を掴まれて「ひっ」と声が漏れた。背後からはアナが抱き着いてきて、「お、お嬢様に何をっ」と悲鳴を上げる。


「ハロルドさま」

 さすがに、甲冑男が眉をしかめたが、ハロルドは相変わらず、透明度の高い笑みを浮かべる。


「なんだい、チャールズ」

 呑気に返事をしたりしているから、にらみつけてやった。


「……手を、お放しください」

 固い声をぶつけて、握られた手を振るが、びくともしない。私は顔をしかめるが、ハロルドはそんな私をのんびりと眺めた。


「父であるジョシュア・グリーンフィールドから、マリア嬢の御父上であるマックス・ハイデンベルグ伯爵に申し出をしていたんですが、あなたはご存知ですか」


「なにを、でしょうか」

 私はつっけんどんに応じた。何かあれば、大声で叫んでやるぞ、とお腹に力を籠める。


 そもそも。

 今日は、サザーランド子爵から求婚される日なのだ。


 そのことは、従兄弟も知っている。

 夜会会場にすでに子爵がいらっしゃって準備をしていることだろう。


 大声を上げ、騒ぎを起こしたら、きっと来て下さるに違いない。

 頭の中でそんな算段をしていたら。


「あなたとの結婚の許可ですよ」

 そんなことを言われた。

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