第2話

2、私は確かに保護者様をおにい様とはお呼びしておりますけれど……、お兄様だなんて言ったかしら?


婚約破棄騒動から一夜明け、起床と同時に仮面をつけます。ええ。外す条件は"家族の前"だけですから。眠る時は外しますけれど、基本的に屋敷の中でもつけたままです。家の中には使用人の方がいますので〜。


侍女たちによるドレス選定戦を今日も眺めつつ、私は昨日、騒動の後卒業式をやり直し、その後起こった、馬車で帰る前のもうひと騒動を思い出しました。王達と公爵家で話し合いをして、正式に婚約破棄の手続きを終わらせて帰ろうとした際に、どうやって監視の目を掻い潜り、部屋を抜け出してここに入ったのか……王子と子爵令嬢が、騒がしくやって参りまして、王に結婚をしたいと提言して断固反対され、何故か私が責められおにい様が怒り、のループでしたの。

ああ、思い出すだけで腹立たしい。時間の無駄とはまさにあの状況の事でしょう。正式にきちんと破棄の書類にサインしたのだからもう私は無関係ですわ。ええ勿論大喜びでサイン致しましたとも。書類を王がなかなか渡してくれなくて、おにい様と共に圧力をかけて渡させるくらいには。王子が正気になるまで待ってくださいと王と王妃には我慢を求められましたけれど、"契約"における私からの婚約破棄を認める項目全てに該当致しますので、笑顔でお断り致しましたわ。

……まあ、そんな騒動のせいで、屋敷に帰るのが遅れましたわ。灰被り姫の帰宅時間よりも遅かったの。


起床がいつもより少し遅くなってしまったのは、それが原因かもしれませんわね。侍女が起こしに来なかったのは、おにい様が私の身体を気遣って少し遅めに声をかけるように言っておいたからでしょう。おにい様はきちんと休めたのかしら……。


控え目なノック音の後、ドアの外から聞こえた私を呼ぶ声に、私は一も二もなくどうぞと声をかけました。入ってきたのはそのおにい様。ソファーに腰掛ける私の隣に当然のように収まり、視界の端で侍女たちによるドレス選定戦が行われて居るのをいつも通りだねとスルーなさいます。


「おはよう、ティア。よく眠れたかな?大丈夫かい?あんなのに時間を取られて、まだ疲れていたりしない?」

「はい、おにい様。……おにい様こそ、お疲れではございませんか?」


いつもの事ながら壊れ物を触るかのように優しく私の手を包むように自分の手を重ね、仮面越しに私と目を合わせます。切なげに細められていた瞳ですが、私がそう言えばふわりと麗しい笑顔を向けてくださいます。令嬢たちには見せない、優しい笑顔です。


「私は大丈夫だよ。ティア。君が元気で、笑いかけてくれるなら私はこの世の誰より嬉しく感じるし、あんなのとティアとの縁が切れたお陰で、私は今、物凄く機嫌が良いんだ」


あんなの、というのは勿論愚物たちの事でしょう。私も寝て覚めてすっきり。ええ勿論、第一王子と子爵令嬢の事ではなく、眠気の話ですわ。

愚物たちの事に関しては、私まだ許しておりませんの。婚約破棄されたからとか、冤罪をかけられかけたからとか、無駄に正妃教育を受けさせられたからとか、婚約破棄された不良物件にされたから……とかでは(……うち2つについては恨んでいないわけではないですが、)無く、純粋に、彼らがお馬鹿で、あの子爵令嬢がおにい様にとった無礼を懺悔して謝罪もせず、とりあえずは謹慎処分で済ませてしまったからですわ。あれだけの事をしでかして下さいましたから、本当に緊急の仮処分なだけで、後からきちんとした罰が待っております。当然でしょう?でなければ私が直々に、言葉が分からない彼らに、仕方がないので拳で指導をしていたところですわ。教育的指導として鞭を振るうのは仕方ない事でしょう?


「それにしても、昨日のアレは見るに耐えない醜さだったね……。見た目も中身も醜いとはああいう事だよ」


おにい様が過ぎた事を振り返るのは珍しい。何かあったと考えるのが妥当ですわ。私が何も言わずに視線だけを向けているのが分かったのでしょう。用意された紅茶には目もくれずに、少し遠くにいる、ドレス選定戦真っ最中の侍女たちにお茶を新たに頼みました。


「……今朝、懲りずに手紙を寄越してきてね」


曰く、子爵令嬢との結婚が王達に断固反対されたので、私ともう一度婚約し、私を側妃にする代わりに子爵令嬢との結婚を王達に提言するとの事。だから直ぐに城に来て、契約書に署名しろという、なんとも身勝手で無礼極まり無い文章だったそう。


「手紙には王子のサインしかなかったので、謹慎中の身ですから……恐らく金でも積んで検閲も通さずに我が屋敷に送って来たのでしょう」


王宮の中から外に出る手紙は全て一度文官によって検閲されるのが決まりです。手紙のどこか又は封筒に検閲印が押されておりますので、直ぐにわかりますのよ。それが正当な手段で送られてきた手紙かどうか。情報漏洩を防ぐ取り組みの1つですわ。極秘であったり、聞かれては少々まずい話は全て王宮の中で行われます。その方が色々と都合がよろしいのです。情報が外部に流れたら、その日王宮にいた人間の誰かが犯人ですから、処罰もし易いため、おにい様が公爵になった際にそのように色々と変えていただきましたの。

まあ、そんな事はもうどうでもよろしい。だってこの屋敷にそんな手紙が送られてきていることが大問題なのですから。


「昨日のことはまったく覚えていらっしゃらないのね。前はもう少し正常な頭をしていらしたのに」


私という人間は気に入らないようですが、一応王子としては有能な人間でしたわ。


「……ああ、それともう1つ。どうやって接触したのかは分からないけれど、こんな物も付いていたよ。精神衛生上よろしくないから燃やしてしまおうとしたんだけどね?執事に止められたんだ。一応王子から来た手紙の付属品だからってね」


渡されたのは、王子の手紙より一回り小さい便箋でした。

中にはまあ、何とか読めなくもない文字が並んでおります。……読めなくもありませんが……。


「……ねえ、そこの貴女」

「はい?」


先程おにい様に紅茶を出した侍女に、私は話しかけます。おにい様が新たな紅茶を頼んだ私の侍女はまだ来ておりません。恐らくお菓子でも焼いてくれているのでしょう。私とおにい様は朝食を食べない代わりに午前のティータイムに焼き菓子を好んで食べるのを知っておりますから。

何でしょう、と聞いてくる彼女に対して、私はその紙を差し出して、読んで貰うことにいたしました。


「…で、では……。

"親愛なるカティア様へ

昨日の事については許して差し上げますので、私とお友だちになってくれますか?

貴女に付きまとわれて、なりたくも無いのに婚約を結ばされていたジェラルド様が、側妃にしてくださるそうです。

私も貴女が側妃になって、私が出来ないことをしてくれるなら、貴女のことを受け入れます。

それから、貴女はお兄様であるトーリ様に甘え過ぎだと思います。貴女が婚約破棄されるような振る舞いをする女性で、なおかつその容姿の悪さでも優しくしてくれるのは、一応兄妹だからであって、ご迷惑に思っていますよ。これ以上公爵家に依存するなら、貴女を追放するようにトーリ様にお話ししますから!"

……と、書かれております」


……へぇ。


「……あら、まあ。では直ぐにお手紙の返事を書いて、然るべき場所に送って差し上げなくてはなりませんね?」

「代筆させようか?」

「いいえ。私が書かなくては」


昨日はあまり自分の言葉で話させてもらえませんでしたし……。非公式で非常識極まり無い、更に相手を侮辱する手紙であるなら、それ相応の言葉で返した方がよろしいでしょう?

時間をかけるだけ無駄ですので、その場ですぐにお返事を書いて、私は手紙を読ませた侍女に、笑顔で渡します。


「直ぐに早馬を走らせます」

「いいえ。そのまま王宮に届けて帰ってこなくて結構ですわ」

「はい……?」


侍女は呆然と私、手紙の間で視線を行ったり来たり。あら?通じなかったのかしら……?


「戻ってこなくてよろしいと、私は申し上げましたのよ?」

「……つ、つまり……私は、解雇という事でしょうか?何故……!」

「……そもそも貴女の雇い主は、私では無いでしょう?」

「公爵様っ……!」


私に聞いても無駄と考えたのか、それとも私と違ってお優しいおにい様ならと考えたからか、私ではなくおにい様に懇願する様子を見せましたわ。

丁度届けられた淹れたての紅茶に口をつけていたおにい様を見れば、にこりと笑っていらっしゃいます。……お仕事用の笑顔で。


「ティアは何も間違った事を言っていないよ。寧ろあの言い方はとても優しい。見逃してあげる気だったね?

私なら、あの愚物達と同様の極刑を求めていたはずだ。君はティアの優しさに甘えて逃げるべきだった」


私、おにい様の対敵用笑顔も素敵だとは思いますけれど、その顔に惚れ込む輩が多いのも事実ですので、いつものおにい様の方が好きですわ。

私は手紙を持ち、顔を青くしているその侍女が淹れた紅茶を飲んで見せましたわ。侍女が慌てて私からカップを奪おうとしたので、おにい様が迅速に束縛呪文を唱えて身柄を拘束致します。侍女は後ろ手に身体を縛られて膝をつくかたちとなりました。その間に私はカップの中身を流し込んで、空になったそれを侍女に見せつけましたわ。


「……あら、なかなか効き目の強い媚薬をおにい様に盛ろうとなさったのねぇ。おにい様が怒ってそのままの状態で城に来て、直接問い質してくれるとでも思ったのかしら?」

「…なんの、事でしょうか」


顔を背けた侍女を見下ろして、私は身体の中から紅茶に入っていた"異物"だけを魔法で取り除き、その薄青い液体を瓶の中に入れ、コルクで蓋をしました。


「これを王宮の薬剤師に見せれば、成分を調べてくださいます。そして液体が青色に変わる成分を含む葉を栽培し、それを含む媚薬を精製しているのがどこの領であるのか、直ぐに調べて教えてくださる事でしょう。

その手紙を持って、ご主人様に伝えて頂戴。私は兎も角、……おにい様に害を加えたら、明日はないと思いやがれ。

こほん。貴女はきっと明日から息をすることすら許されなくなりますってお伝えくださいな」


おにい様が執事に合図をして、使用人たちが私の部屋からその縛られたままの侍女を運び出してくれました。そのまま王宮へ手紙と一緒に届けてくれることでしょう。

おにい様に子爵令嬢からの手紙を渡せば、それと王子の手紙を一緒にして王へ直接移転魔法で送りました。クロムクライン家は王国でも重要な公爵家ですので、検閲を通さずに王と直接やりとりできますのよ。


「さっきの手紙、何て返事をしたんだい?」


おにい様の問いかけに、私は仮面を外しつつお答え致しましたわ。ええ。もういいの。だって今この屋敷にいるのは正規の手続きを踏んで直接公爵家で雇用した、私の使用人たちであり、私は彼らの事を心の底から、家族と同じように思っておりますもの。仮面を取る条件は、"家族の前"だけ。間違っておりませんでしょう?

王家や子爵令嬢が送り込んできた使用人なんて、直ぐにわかりますのよ。例え私付きだけで侍女が30名を超えていても、互いに顔までしっかり把握しておりますので、容易に紛れ込めると思ったら大間違いですわ。


「子爵令嬢はどうやら教養の高い文言を使うのは苦手なようでしたので、簡潔に、


せめてまともな文字を書けるようになってからお手紙を送ってくださる?


……とお返事致しましたわ。絵本さえ読めればそのくらい理解できますでしょう?」

「つまり、正妃教育に耐えられないからって仕事面の代理を立ててもらえると思うなよ?かな?」

「あら、まだそこまでは言っておりませんわ。書いたところで理解できる頭が無いのは昨日わかりましたもの。

……それよりも、私おにい様に聞きたいことがございます」

「どうしたんだい?」

「……私、迷惑でしょうか。私のせいでおにい様の評価が下がりますか……?」

「何を言うかと思えば……。やっぱりあんなミミズの泳いでるような手紙を見せるんじゃなかった。

ねえ、ティア。君は私が王の不興を買ったとして、私の事を見捨てるかい?」

「それだけはあり得ません。……既に証明済みのはずです」

「うん、そうだよね。だから私だって同じだよ」


だからこんな話はもう終わりにして、お茶にしようかとおにい様も仮面を外して笑いかけて下さいました。丁度侍女たちによるドレス選定戦は決着し、私の今日のドレスは淡い藤色のフィッシュテールドレスとなりました。

天気が良いので、お庭でのティータイム。そこでおにい様が素敵な提案をしてくださいましたわ。


「ティア、次の夜会は私にエスコートをさせてほしいな」

「まあ嬉しい!この国に来たとき以来ですわね」


気合いを入れて準備いたします!と侍女たちがはしゃいでいるのを微笑ましく眺めます。今までは強制的に王子がエスコートになるので、私自身も気が乗らなかったから、無理もないわ。


「仄かに藤色を帯びた美しい銀の髪に深海の青を映したような瞳のカティア様と、夜を思わせる漆黒の髪に月光に染められたような瞳を持つトーリ様が並び立つ姿は、皇国一の絵師ですら表現しきれなかった美しさです。この王国の美の常識を覆す事でしょう」


卒ない給仕をしつつも執事が語彙に富んだ表現で私たちの事を表してくれます。

……そう言えば、私とおにい様、色彩が全然違うのねと前に子爵令嬢に言われた覚えがありますわね。先程の手紙もそうですけれど、王も含めたこの国の皆様、何か勘違いなさってるかもしれません。

その間違いを正すことができるなら、それはそれでいい事だと思いますわ。


あら?何のことって?

いやですわ。最早気付いておいででしょう?

敢えて貴族らしく言葉にするなら、そうですわね……。


私は確かに保護者様をおにい様とはお呼びしておりますけれど……、お兄様だなんて言ったかしら? ――……でしょうか?

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