報労記33話 甲板での二次会 -2-

「ヤーくん。ジネット姉様」


 カンパニュラが駆けてくる。

 まだまだ元気いっぱいといった感じか。


「厨房の火を落とすそうです。何か食べたいものがあれば早めに言ってほしいとのことでした」

「お、ラストオーダーか」

「では、みなさんに伺ってきますね」


 ジネットが移動して、飲んだりしゃべったりしている連中に注文を聞きに行く。


「カンパニュラは腹いっぱい食ったか?」

「はい。マグダ姉様とロレッタ姉様と、交代でいただきました。……腹いっぱいです」


 俺の真似をする時に、やたらと嬉しそうな顔をする。

 変なとこばっかり真似したがる……


「ヤシロ、あまり変な言葉を覚えさせないようにね」

吸啜きゅうてつ反射とか?」

「え、なにそれ?」

「赤ん坊が、口の中に乳首が入ってきた時に自然と吸うという条件反射の一つだ。これは生まれながらに備わっている本能の一つだな」

「カンパニュラだけじゃなく、ボクたちにまでいらない言葉を教えないように!」


 いやいや、必要だろうが。

 別に卑猥な言葉でもないし。

 唇に乳首が触れると顔を動かして乳首を探す『探索反射』。

 口の中に乳首が入ると吸う『吸啜反射』。

 口の中に母乳が入ってくると飲み込む『嚥下反射』。

 これらをまとめて、赤ん坊が生まれながらに自然とおっぱいを飲めるように備わっている反射のことを『哺乳反射』という。


 テストには出ないが、覚えておいて損はない!


「つまり、俺の視線が自然とおっぱいに引き寄せられるのも『ガン見反射』と言えなくもないわけで、これは人が生きるために生まれた時から有している本能なのだ」

「それはない。絶対ない」


 反射について何も知らない素人が、知った風な口をきくな!


「貴様がおっぱいの何を知っている!?」

「君ほどではないけど……、それなりに研究はしているよ!」

「エステラさん。堂々とおっしゃることではありませんわ。慎みをお持ちなさいまし」


 くっ……さすがエステラだ。

 乳の知識で、俺といい勝負が出来るのは、レジーナとお前くらいだろう。

 だが、それはあくまで同じ土俵に上がる資格があるというだけのこと!


「俺の乳知識は、まだ第二段階、第三段階とパワーアップする余地を残している!」

「世の平和のために、海に沈めるのも一つでの手ですわね」

「待って、イメルダ。その知識、一度検証してみる必要があるかも……!」

「あ~、ざんね~ん。エステラが酔って、ポンコツ化しちゃってる~☆」


 エステラ、酔ってるか?

 こいつ普段からこんな感じだろう?


「ボクはまだ成人して数年なんだ。人生はまだまだ先が長いのさ。人生は始まったばかり。まだ四分の一、五分の一程度なのさ! 成長の機会なんて、これからいくらでも――」

「どういたしましょう。多くの女性は、その五分の一程度で成長しきっているという事実をお伝えするべきか、悩みますわね」

「エステラは面白いから、このままで~☆」


 確かに、エステラは若干酔っているようだ。

「ボクには未来がある」とか言って、楽しそうに笑っている。

 こいつは酒が入ると上機嫌になるんだよな。

 アッスントとやりあった大通り劇場の後の打ち上げでも、終始にこにこしてたし。


「ねぇ、ヤシロ」

「ん?」

「アップルパイ食べたい。一つ残ってたよね?」

「アレは明日、イーガレスにやる分だよ」


 作ってきたアップルパイは、さっき夕食の席で食ったろうが。


「明日また作ればいいじゃないかぁ」

「そんな、ガキみたいに膨れんでも……」

「やしろぉ…………だめ?」


 このっ、甘え上戸め!


「ルシア。お前んとこにオーブンってあるか?」

「しらん!」


 知っとけよ!

 あぁ、違うか。

 あれは相手にするのが面倒くさいって反応か。


「ギルベルタ」

「ある、オーブンは、ルシア様の館にも」

「使わせてもらえるか?」

「もちろん。取っておく、使用許可を」

「あとはリンゴだが……」

「ぁる、ょ?」

「本当か、ミリィ?」

「ぅん。船で食べようかなって……でも、もうおなかいっぱいだから」

「じゃあ、エステラの金で買うな」

「ぃいよ。ぁげる」

「いやいや、特別料金で売りつけよう」

「残念だね、ヤシロ。規定外の場所での売買には領主の許可証が必要なのさ」


 そんなルールを振りかざして、ミリィからリンゴを強奪するのか。

 とんでもねぇ領主だな。


「ミリィとジネットに礼を言っとけよ」


 どうせ作るのはジネットになる。


「ミリィ、ありがとうね!」

「ぅ、ぅん。ぇすてらさん、結構酔ってる、ね?」

「ぜんぜんだよ~」


 エステラは酔うとマーシャ化する、っと。

 距離とっとこう。


「ヤシロさん。追加の注文がありませんでしたので、厨房の火を落としてもらいました」

「おう、お疲れ」


 ジネットの後ろから、ロレッタとマグダもやって来る。


「厨房の火が落ちても、まだまだグリルには海鮮が山盛りです! 夜はまだまだこれからです! さぁ、飲んで食べて騒ぐですよー!」

「……はふぅ、マグダ、酔っちゃったみたい」

「どこで覚えてくるんだよ、マグダ。そーゆーの?」

「……とある薬剤師」

「あいつ、海に捨てて帰ろうか」


 不法投棄したら海が腐海になっちまうけどな。


「ジネットちゃん、ありがと~」

「え、なんですか? お夕飯のこと、でしょうか?」

「アップルパイを寄越せだってよ。この強欲権力者が」

「まだ残ってましたか?」

「イーガレス用のだけな」

「あぁ、なるほど。それでお礼を言ってくださったんですね。はい、分かりました。明日また作るので、食べても大丈夫ですよ」

「やったぁ! ジネットちゃん大好き! ミリィも好きだよ!」

「ぅ、ぅん。みりぃも、えすてらさん、好きだから、ちょっと勢いを、ね? 抑えょ? ね?」

「ワシもミリィたんが好きじゃぁあああ!」

「マーシャさん、撃ち抜いてくださいまし!」

「え~ぃ、水鉄砲~★」

「どぅおうわ!? 危ねぃ!?」


 酔ってても、反応早いな。

 さすが木こりギルドのギルド長。


「ったくよぉ、海漁のは酔うと加減ってもんが分からなくなりやがる。ワシが率先して下働きしてきてやったってのによぉ」


 ぶつくさ文句を言いながら、ハビエルが酒の席へと戻ってくる。


「ん? なんだ、エステラ。酔ってるのか?」


 ジネットに抱きついてへらへらゆらゆらしているエステラを見て、ハビエルが苦笑を漏らす。


「貴族の令嬢なんだから、あまり酒に乱れた姿はさらすんじゃねぇぞ。デミリーが泣く」

「えへへ~、分かってますよ~」

「ははっ、陽気な酒なのはいいことだな」


 へらへら笑うエステラに、ハビエルが笑みを漏らす。

 友人の姪。それが酔ってにこにこしてれば、可愛らしくも見えるだろう。

 正式な姪じゃなくても、デミリーは姪のように可愛がってるし。


「ハビエルさん、厨房の火を落としてしまったので、あとはこの場にあるものだけになってしまいました」

「おぉそうか。じゃあ、ありもので何か頼めるか?」

「はい。準備しますね」

「お手伝いします、ジネット姉様」

「ぁ、みりぃも」


 ジネットとカンパニュラが動き出し、取り残されそうになったミリィが一緒に立ち上がる。

 ギルド長と領主だらけの場所は、まだちょっと緊張してしまうのかもしれない。

 なにせミリィは、ルシアを丁重に扱う稀有な存在だからな。


「ぞんざいでいいのに」

「やかましいぞ、からくちわし! お前なんかなぁ、わらしがなぁ、あの、あれだぞー! あはははは!」

「ハビエル。貴族令嬢が酒に乱れてるようだが?」

「あぁ、アレはもういいんだ。ワシ、管轄外だし」


 さすが親子だなぁ。

 管轄とか気にするんだ。

 でもな、ハビエル。

 アレは、お前の娘の管轄なんだぞ?


「イメルダ、頑張ったワシに酌をしてくれないか?」

「仕方ありませんわね。特別ですわよ」

「じゃあ、私にも~☆」

「ワシと並ぼうとするんじゃねぇよ、海漁の! 父と娘の特別な絆なんだぞ、こっちは!」

「じゃあ知ってる? イメルダのおっぱいのここのところにホクロあるんだよ?」

「父親に何を教えていますの!?」

「本当なのか、イメルダ?」

「お教えできかねますわ!」


 きゃいきゃいと、賑やかな連中が少しだけ離れた席へと移動する。


「で、酔っ払いの領主様は行かなくていいのか?」

「ボクは、ジネットちゃんのアップルパイを待ってなきゃいけないから」


 エステラが座る俺の隣に立ち、背を向けてもたれ掛かってくる。


「ふらつくなら座ってろ」

「ん……、いい」

「重いんだが?」

「レディに向かって失礼だよ?」

「じゃあ、しゃんと立て」

「立ってるさ」


 立ててねぇよ。

 体重、めっちゃかけてきてんじゃねぇか。


「……ヤシロも、お酒飲めればよかったのにね」


 飲めないわけじゃないけどな。

 ただ、何かの間違いで泥酔でもしたら、後々困ることになりそうだから控えているだけだ。

 俺が飲めると分かれば、常識を超える勢いで飲ませようとしてくるヤツが大勢いそうだからな。


「お酒が飲めたらさ……酔ったことにして、本音を口にすることも出来るのにさ」


 酔ったことにして本音を話し、話すんじゃなかったと後悔するような反応だったら、アレは酒のせいだと誤魔化す。

 そんなリスキーなことするかよ。


「まったくさぁ~」


 管を巻き、俺に体重をかけながら徐々にずり落ちていくエステラ。

 重い重い。

 床にぺたりと座り込んで、俺の脇腹付近に側頭部を押し当ててくる。

 くすぐったいわ。

 どうせなら、太ももに額を載せるとかにしてくれよ。


「ヤシロがいてくれてよかった……」


 俯き加減のエステラの口から、小さな声が漏れる。


「…………ありがとね」



 まぁ、酔っぱらうと気持ちがでかくなるっていうしな。


「明日の朝になったら綺麗さっぱり忘れられてる感謝の言葉に、価値なんかねぇーよ」

「えへへ……」


 酔っていた。


 ……ってことで、いいよな?

 ちゃんと聞いたから、心配すんな。






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