319話 腹が減ったら“戦”の終わり -2-

「少し席を外します」と呟いてナタリアが建物の外へ出て、すぐに戻ってきた。

 気のせいか、顔がつやつやしている。


「……何をしてきた?」

「エステラ様に危害を加えようとした狼藉者に法の裁きを受けさせるための処置を少々……少々、手荒に」


 ド三流記者が捕まったらしい。

 まぁ、あいつはエステラに危害を加えようとしたからな。

 ナタリアのヘイトも限界超えてたっぽいし。


 甘々な領主で有名な四十二区だから死にはしないだろうが、……ナタリアの逆鱗に触れた者がどんな目に遭うかは俺にも分からん。

 現在、外に待機させていた兵士に言って牢屋へ連行させたそうだから、明日以降じっくりたっぷりと罰が科されるのだろう。

 ナタリアが言うには「十分に罪を償ってから区外へ追放します」だそうだ。


 ご愁傷様。


 つか、兵士をいつの間に呼んでたんだか。

 準備がいいなぁ、デキる給仕長様は。




 しばらくの間ざわついていた外が静かになったのを見計らって、俺たちは話を再開した。


「本当に不思議よねぇ。こ~んなに可愛い子たちを見て悲鳴を上げるなんて」


 窓辺に立ち、窓の外のハムっ子の群れを眺めてマーゥルが言う。

 マーゥルが手を振ると、ハムっ子たちは揃って嬉しそうな顔をして手を振り返してくる。


「あぁ、ダメだわ。お菓子をあげたくなっちゃう。ねぇ、ヤシぴっぴ。みんなにお菓子を配ってもいいかしら?」

「破産しても知らんぞ」


 ハムっ子全員にっていうのと、ベルティーナが満足するまでっていうのは破産の危険を孕む禁句だ。

 まぁ、費用を抑えたいなら――


「ゲラーシーに綿菓子でも作らせたらどうだ?」

「そうね。それならお砂糖代だけで済むものね。ゲラーシー、至急準備をしてちょうだい」

「姉上!? 私は発行会の今後について、ミズ・クレアモナたちと話し合いを――」

「あ、それ私がやっておくから」

「社会経験はどうなるのですか!?」

「ゲラーシー。一度提示されたものに固執するあまりに状況判断を怠るのは愚者の行為よ。今、一番何を求められているのかを瞬時に察するクセを身に付けなさい」

「あなたのわがままでしょうが!?」

「それがいけない? ……私と敵対するつもり?」

「そんな全力のオーラは卑怯でしょうよ、姉上! オオバ・ヤシロ! 姉上をなんとかしろ!」

「知るか。お前は言われたとおり綿菓子でも作ってろ」


 しょーもない姉弟喧嘩はよそでやれ。

 で、お前がマーゥルに逆らうのなんか不可能なんだから、無駄な時間を使わせるな。


「さて、と……」


 こちらがバタバタしている間も、タートリオはいろいろと金策を練っていたらしく、すっかり静かになってしまっていた。


「あ、あのっ、コーリン様」


 そこへ、カーラが意を決した様子で声をかける。


「コーリン様が発行会を率いてくださるのであれば、私たちへの報酬は無しでも構いません」

「そうです! コーリン様は情報紙を救ってくださいました!」

「俺たちはそれだけで十分です!」

「これからまた、みんなで売れる情報紙を作っていきましょう!」

「そうですよ! コーリン様がいれば、また以前のように情報紙が売れるようになります!」

「そうすれば、俺らの報酬も自然と上がりますし」

「そうそう。贅沢は情報紙が売れるようになってからでも遅くないよな」

「そうですよ!」

「一緒に頑張りましょう、コーリン様!」

「コーリン様!」

「……おぬしら……」


 発行会を取り戻した。

 それだけで十分だと記者たちは言う。


 だが、気持ちだけではどうしようもないこともある。


「それでは、みんな倒れてしまうぞい。昨日、飯を満足いくまで食ったという者は何人おるぞい?」


 タートリオが腕を上げ挙手を誘うが、記者たちは誰も手を上げなかった。

 そう。

 こいつらはもう限界が近いのだ。

「売れるようになったら」なんて悠長なことは言っていられないくらいに。


「うむ。決めたぞい! 屋敷を売るぞい」

「コーリン様!?」

「息子にはドヤされるやもしれんが、発行会はもう一つの家族じゃぞい。なんとしても説得してみせるぞい」

「いけません、そんなこと!」

「よいぞい、よいぞい。なぁに、貴族でなくなろうと死ぬわけではないぞい。皆と同じ立場になるだけじゃぞい」

「……ですが」


 金ってのは、あるところにはあるのに、捻出するのは非常に難しいものなのだ。

 だから――




 あるところから出してもらおう。




「タートリオ。金がないと言っているところ申し訳ないんだが……窓の外にいるハムっ子たちを『数名』雇ってくれないか?」

「は……?」

「……いや、まぁ、『数名』というか『数十名』だが」

「いや、じゃがの、冷凍ヤシロよ。すまんがそこまでの余裕は――」

「今年から年中になるヤツが大勢いてな。あと、おつかいは出来るが仕事はまだちょっとって年齢の年少が結構いてさぁ。そいつらに、簡単なお仕事を経験させてやりたいんだよなぁ~」

「じゃからの、冷凍ヤシロ……ワシにそのような余裕は――」

「なぁ、ハビエル。新聞配達って知ってるか?」


 渋るタートリオ。

 あらあら。金勘定で脳を使い過ぎて気付けなくなってるか。

 金がないって、本当、心を抉るからなぁ。


「しんぶんはいたつ? なんだそりゃ?」

「俺の故郷の職業でな、情報紙みたいにいろんな情報が載った新聞ってヤツを契約者の家に届ける仕事なんだ」

「ほぅ、買いに行かなくても家にまで届けてくれるのか」

「あぁ。毎日決まった時間にな」

「そりゃ便利だな」

「おまけに、簡単に出来るから未成年にも任せられる。俺の故郷では新聞奨学生って制度があってな、貧しさやなんらかの理由で学費を稼げない者が新聞配達をしながら自分の将来のために学ぶ金を稼いだりしていたんだ」

「くぉう! なんだそりゃ、泣ける話じゃねぇか!」


 少々大袈裟に、ハビエルが目頭を押さえる。

 あぁ、分かってくれたか。よしよし。


「で、それを年少から年中のハムっ子にやらせてやりたいんだが……」

「いいなそれ!? え、なに!? 四十区まで来てくれるのか!? 毎日か!? 無理なら引っ越してきても構わんが!?」


 いや、食いつき過ぎ!

 つか、さすがに年少の妹だけで四十区までは行かせられねぇよ!

 行けても年長組だ。


「だから、融資しねぇか?」

「おぉ、しよう! ってわけだ、ミスター・コーリン。四十二区の活性化とワシの心の安寧のためにハムっ子ちゃんたちを雇ってくれるってんなら今すぐ融資してやるぞ」

「……まことですかの、ミスター・ハビエル?」

「うむ! ワシは、嘘は吐かん!」

「幼女にでれでれしたのが娘にバレた時には見苦しい言い訳をしているけどな」

「それはっ……防衛本能だろうが」


 ま、命の危機だもんな。


「し、しかし、結構な金額になってしまうんじゃぞい……従業員は全部で百近くおるし……」

「大丈夫だ。ちょうど馬を売ってくれと言ってきている貴族が二人ほどいるんでな。それに、港の工事も順調だし、まぁ、なんとかなる」

「なら、私も寄付を再開させますわ、ミスター・コーリン」


 楚々と、マーゥルが手を上げる。


「二度と、血迷わないと私に約束してくださるのであれば」

「ミズ・エーリン……ありがとう、ございます」

「いいえ。ところでヤシぴっぴ。二十九区には来てくれるのよね? ハムっ子ちゃん」

「まぁ、ロレッタの許可待ちだがな」

「そう。ところで、ロレッタちゃんの好きな物ってな~に?」

「買収する気満々か!?」


 大丈夫だよ。

 危険がないように配慮さえすれば、あいつは弟妹が働くことを喜ぶはずだ。


「えっと、じゃあ、ボクも……」


 あはは、エステラ~、顔引き攣ってるぞ。

 ナタリアが算出した数字見たもんなぁ、そりゃ腰も退けるよなぁ。

 無理すんな。

 金持ちがバンバン寄付してくれる中、ちょろっとしか寄付できないなんて、すげぇ目立って恥かくぞ。


 それより、お前はお前にしか出来ないことで力になってやればいいんだよ。


「エステラ、お前の寄付は『リボーン』でどうだ?」

「あぁ、そうだね」


 もともと、『リボーン』は長期的には継続できない事業として俺たちの間では認識されていた。

 様々なギルドや店に記事を依頼するのも、クーポンを頼むのも、取材して特集記事を書くのも、そしてレイアウトを決めてデザインをして、印刷して製本して配布して、売上金を回収して配分してと、結構な手間がかかる。

 現在、責任者は俺とエステラということになっている。

 リカルドも入れろと喚いていたが、後々のことを考えて入れなかった。


 エステラとは、情報紙が正常に戻ったら業務を引き継がせようということで話が付いていた。

 正常に戻らないほど腐敗しきっていたならば、新たに人を雇って一つの事業として展開していくつもりではいたが、タートリオになら任せられるだろう。


「『リボーン』の編集部をこの建物に置くから、一緒に運営を頼む」

「なんじゃと!? いや、しかし『リボーン』はかなり金になるものじゃぞい! あれはすごい! 一目見て分かったぞい! あんなものを、今日会ったばかりのワシに……なぜじゃぞい?」


 まぁ、確かに、今日初めて会ってすぐに信用するってのは危険なのかもしれないが……


「お前は、俺のとんでもない提案を聞いて即断即決で乗ってくれたじゃねぇか」


 大衆浴場の中で「情報紙を取り返さねぇか」という俺の提案に、タートリオは乗ってくれた。

 俺を信じて、重要な部分を任せてくれた。


 だからまぁ、こいつは信じていいだろうと判断をした。

 自称「人を見る目だけはある」微笑みの領主様も、タートリオは信用できると判断したようだしな。


「ただ、『BU』にとって情報紙が特別なように四十二区や外周区の連中は『リボーン』が好きなんだ。ウチから数人編集者を出すから、そいつらと協力してやってくれると助かる」

「それはむしろ、願ったり叶ったりじゃぞい。ノウハウまで寄越してくれるということじゃからの、それは」


 見様見真似でやるより、どういった意図でそうなったのかを理解している者が手ほどきしてくれる方がより本物に近付ける。

『リボーン』の関係者を入れておけば急激に雰囲気や方向性が変わることもないだろう。

 無論、俺とエステラは当面監修として携わるつもりだ。



 だが、いつかは丸投げしたい。

 俺もエステラも、そんなに暇じゃないしな。



「あ、でも、ミスター・コーリン。勘違いしないでくださいね。それで、四十二区やボクに都合のいい記事を書けというわけではないですから」

「ふふ……、そんなことは分かっておるぞい。分かって…………すまんぞい」


 不意にタートリオが目頭を押さえて言葉を切る。


「いや、なに。年を取ると涙もろくていかんぞい」


 滲む涙を拭い、しわだらけの顔に笑みを浮かべてエステラを見る。


「こんなに気持ちのいい若者に出会えて、ワシは果報者じゃぞい。あなたに阿るつもりはないが、それでもきっとあなたを悪く書く記事は情報紙には載らんぞい。真実をありのままに伝えるのが、ワシらの情報紙じゃからの」


 微笑みの領主様は大人気、ってことか。


「期待以上の成果を出してみせるぞい。情報紙も『リボーン』も」

「はい。あなたならきっとそれが可能だと確信しています」

「ほっほっほっ。期待が重くて肩が凝りそうじゃぞい」

「『ボクには無縁ですよ、肩こりは』」

「言ってないよ! あと声色も全然似てないからね、ヤシロ!」


 ま、タートリオが本気を出して、ここの記者連中がその意思にしっかり追随するなら、また以前のように寄付が戻ってくることだろう。

 今、少しの間苦しい時期を乗り越えられればな。



「……『微笑みの領主』様。その名に偽りなしじゃぞい」



 ほころぶタートリオの口からこぼれ落ちた言葉に、如何に領主という仕事が肩にくるかなんてことを力説しているエステラは気が付かない。


 でも、本人が知らなくても、周りがそれを知っていれば評判は広まっていく。

 エステラの、実にエステラらしい評判がな。

 それは、ウィシャートの力による影響力なんかよりもよっぽど強固なものとして影響を及ぼし、やがて目に見える形で現れるだろう。



 よかったな、微笑みの領主様。






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