316話 情報紙の今 -1-
情報紙発行会内部は、想像以上に悲惨な状況になっていた。
「三役員様方のパワーバランスが崩れてから、発行会内部の状況は激変しました」
売り子女子はカーラという名の記者で、二十五区出身の二十二歳。
幼い日に読んだタートリオの記事に感銘を受け、周りの反対を押し切って記者になったのだそうだ。
情報紙の記者はなりたい若者が多く、倍率が高い。
その上文才や教養など、努力と素質を厳しく審査され希望者のうちの一握りがなれるという狭き門だ。
記者になれたとしても、発行会にはベテランの記者が何人もいるわけで、記事を書いても情報紙に載せてもらえることなど滅多にない。新人に限ればほぼ不可能と言われる厳しい世界なのだそうだ。
……ってことは、イラストを寄稿していたモコカはかなり優秀な才能を持っていたってことだな。
「モコカさんなんてっ! 比べるなんてとんでもないです! 異次元の存在ですよ、あの方は! ホイルトン様の大のお気に入りでもありましたし、何より彼女の描くイラストには華があって見る者の心を引きつける魅力がありましたから」
――だそうだ。
へぇ、あのモコカがねぇ。
で、そのモコカがすげぇと心酔しているのがベッコか……
あれ? やっぱ情報紙って大したことなくね?
くそ、ベッコのせいで価値の基準がだだ下がりだ。なにしてくれてんだ、あの丸眼鏡!
で、そんなレベルの高い記者集団だったはずの情報紙発行会が腐り始めたのが昨年末。
猛暑期の前後辺りから不穏な空気が流れ始めていたそうだ。
「これまでなら、絶対に採用されないような、新人の記事が情報紙に掲載されたんです。……小さい記事でしたが、お世辞にもうまい記事とは言えないものでした」
それは、自由な恋愛を説いた短い文章で、記事というより個人の意見をまとめたエッセイのようなものだったそうだ。
本当に愛し合う者同士は結ばれるべきだと。
そうならない世の中はおかしいと。
「その記事を書いたのが女性でしたので、最初は自分の不遇を嘆いた訴えなのかと思ったんです。ですが、違いました……」
その記事とも呼べない短い文章が、とある貴族の胸を打った――のだそうだ。
「デイグレア・ウィシャート様――三十区の領主様が、その小さな記事に感銘を受け、是非記者に会いたいと発行会の編集部にお見えになったのです」
ウィシャートが絡んできた。
……いや、そうなるようにウィシャートが書かせた記事だったのだろう。
編集長は事なかれ主義の日和見主義。権力に阿り、長いものに巻かれ、自分さえよければそれでいいというタイプの男だった。
あのでっぷり肥え太ったセリオント会長……いや、当時は一役員だったが、とにかくテンポゥロ・セリオントの指示でその小さな記事を載せたのだろう。
もっとも、その見返りとしてあの男は編集長へと昇進したのかもしれないけどな。どっちが先でもいい。連中が組んでその記事を情報紙へ載せたのだ。
「そして、ウィシャート様は皆の前で彼女を賞賛し、『これからも素晴らしい記事を書いてくれることを期待する』とおっしゃったんです」
ウィシャート家は情報紙発行会へかなりの額を寄付している大口スポンサーだ。
スポンサーで、貴族で、しかも領主であるウィシャートが『もっと書け』と衆目の前で口にしたのだ。
編集長もデスクも、その『彼女』の記事を没にはしにくくなっただろう。
彼女の記事を載せないということは、ウィシャートの意に反することとなり、拡大解釈されれば『ウィシャート家が気にくわないからわざと没にしている』と難癖を付けられかねない。
「タートリオ様派のデスクは彼女の記事を通しはしませんでしたが、セリオント様は率先して採用するよう指示を出しておられました」
ウィシャートに言われたのだから記事を書かせるべきだと主張する、でっぷりセリオント現会長。
こんな稚拙な文章を記事として載せるわけにはいかないと反発する、記者魂たくましいタートリオ。
その両者に挟まれてうまくバランスを取っていた、二十九区貴族のホイルトンという構図だったらしい。
だが。
「年が明けると同時に、ホイルトン様のご令孫がご成婚されて、それと時を同じくしてホイルトン様がセリオント様に同調するようになられたのです」
曰く、これまで結婚に反対していた新婦の父が、例の情報紙に載った『愛し合う者は云々』という小さな記事に心を打たれて娘の結婚を許可し、ホイルトンの孫は結婚することが出来たのだと。
そうなれば、孫が可愛いホイルトンは結婚のきっかけを作ってくれたその『記事』の記者に感謝をし、全面的にバックアップに回るだろう。
これで、三役員のうち二人がその『記者』――あのド三流記者バロッサ・グレイゴンの記事を情報紙に載せるべきだと主張するようになった、と。
なんてことはない。
そうなるようにウィシャートが仕組んだだけだ。
子飼いであるグレイゴンに話を持ちかけ、バロッサに『愛し合う~』という記事を書かせる。
それを、これまた子飼いであるでっぷりセリオントに指示を出し何がなんでも情報紙に掲載させる。
掲載されれば、領主である自身がわざわざ編集部まで出張っていって権力の威光を振りまいて遠回しな脅しをかけてくる。
全部仕組まれていたことだ。
「おそらく、トルベック工務店が土木ギルド組合から嫌がらせを受け始めたころから、この計画は進んでいたんだろうな」
「それって、猛暑期よりも前、だよね?」
エステラは不可解そうに眉をひそめるが、俺の予想は外れていないはずだ。
動きが活発になったのは年が明けてからではあるが、それ以前からじわりじわりと不穏な影はにじり寄っていたのだ。
「港の工事が延期になった理由はなんだったか、思い出してみろ」
本来、港の工事は昨年末から始める予定だった。
それが伸びに伸びて年明けに開通式を行うに至った。
その遅延の原因は――
「ある貴族の……まぁ、ぶっちゃっけるとウィシャートの反対にあって話し合いが長引いたせいだね。条件の擦り合わせというか、とにかく何度も何度も同じことを説明させられたよ」
一度納得したことでも、後日「やはりあの件は納得できないのだが、再考願えないだろうか」と蒸し返され続けたらしい。
会って説明し、なんとか納得させたら後日手紙でひっくり返され、また会いに行って一から同じ説明を繰り返す。
「そうやって時間を稼がれたんだよ。組合のグレイゴンと、情報紙のセリオントの準備が整うまでの時間をな」
準備が出来てから、連中の行動は早かった。
これまで悪評の流布という遠回しな嫌がらせに徹していた組合が、実力行使に出たのが年明け早々だ。
「組合はゴロツキを使ってグーズーヤに怪我を負わせ、それを情報紙が偏向して派手に騒ぎ立てた」
「確かに、あの時の行動は素早かったね」
「足並みが揃っていたんだろうな」
エステラに続いて、ハビエルも「ぐぬぬ」と悔しそうな、呆れ過ぎて逆にどこか感心したような難しい顔を見せる。
「ウーマロが組合を抜けると宣言しても、組合は慌てなかったろ?」
「バックにウィシャートと情報紙発行会がついていれば、組合の中の一工務店なんて目じゃないと思ったんだね」
情報紙を味方に付けるということは『BU』を味方に付けるということに等しい。
なにせ、『BU』の連中は情報紙の情報を100%盲信していたからな。
イラスト一つでナタリアがモテまくるような風潮だ。
情報発信側は、容易く民衆を扇動できると踏んでいたのだろう。
「でも待って。だとしたらウィシャートの目的はなんだったのかな?」
エステラが若干こんがらがった頭の中を物理的にほぐそうとこめかみに手を添える。
「トルベック工務店が専属を断ったことへの報復のつもりで嫌がらせをしていたんだよね? じゃあ、そのために港の工事を遅延させたっていうのかい?」
「なにも複雑に考える必要はないだろう」
港の工事を遅らせれば工期は短くなりスケジュールは厳しくなる。
事前に協力を要請していた他の工務店にも予定はあるだろうから、工期が遅れれば途中であろうと当初予定していた仕事に戻るだろう。
そうなれば港の工事はさらに遅れることになり、完成が遅れればその分財政を圧迫する。
しかも、トルベック工務店が組合から追い出されでもすれば、四十二区はどんな厳しい状況であろうと組合に他の大工を紹介してもらうことも出来なくなる。
トルベック工務店だけで港の建設なんて大事業を完遂させることなど出来るはずもないから、四十二区の港事業は完全に破綻する。
あぁ、困った。
もうおしまいだ……
「そんな時にウィシャートが『力を貸そうか?』って金と大工を用意していたら、どうだ?」
俺の問いに、エステラの顔がこれまで見たこともないくらいにしかめられた。
「……つまり、ウィシャートは……ウィシャートの狙いは……」
「あぁ、おそらくその通り――」
ウィシャートが狙っていたのは――
「――全部、だろうな」
四十二区に絶大な恩を着せ、新たな街門と新たな港の利権に堂々と食い込み、なんなら四十二区を追い出して三十区がその管理を担い、ついでに鼻持ちならないトルベック工務店の信用が失墜して連中が路頭に迷えば愉快痛快ザマァミロってなもんだ。
仕事を失ったトルベック工務店を、当初よりも遙かに劣悪な条件で専属として手に入れられる、そんなことまで考えていたかもしれない。
「……クソったれだね」
貴族の婦女子が口にしてはいけないような言葉を呟き、エステラは慌てて唇を押さえる。
ま、俺も同感だよ。
クソったれだよ、ウィシャートってヤツは。
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