245話 ヒントはあったんだぞ -1-

 多数決が終わり、七領主の中にはどこかほっとした表情を覗かせる者もいた。

 自区のお荷物だった豆が劇的変化を遂げた美味い料理に舌鼓を打ち、それらがもたらすであろう未来の利益を皮算用する。


 だが。

 まだ、早いんじゃないか。気を抜くのはよ。


「エステラ」

「……うん」


 名を呼ぶと、エステラの表情が引き締まった。

 連中を罠に掛けるための大根芝居とは違い、ここからは本気の交渉だ。楽しんでアドリブで――というわけにはいかない。


「『BU』の領主諸氏にお話があります」


 改まったエステラの物言いに表情を強張らせたのは、意外にもドニスだった。

 他の連中は、どこかもうすでに終わった感を滲ませて「なんだ? まだ何か話があるのか?」くらいの面持ちだ。


 やはり、ドニスだけが気付いている。

 あいつがリーダーやってりゃ、もっと別の手を考えなきゃいけなかったろうな。

 もしくは、あいつがリーダーでさえあれば、こんな面倒くさいことには巻き込まれなかったかもしれない。


 そう。

 俺たちは『巻き込まれた』のだ。


「『BU』から四十二区への制裁は、その一切を行わないということで完全に決定が成されましたね?」


 その問いかけに答える者はいない。

 それは同時に、反論もないということだ。


「反論がないものとして続けます」


 お前らは賛同したのだと暗に認めさせ、エステラは本題へ切り込む。


「ですので、その次のお話を致しましょう」

「その次……だと?」


 ここへ来て、ようやく不穏な空気を感じたらしいゲラーシーが呟く。

 他の領主も表情を強張らせ始める。

 大体想像がついたようだな。


 まぁ、そうだよな。

 だってよ、俺たちは『巻き込まれた』んだ。

 お前らの勝手な都合のせいで、結構な時間を浪費させられ、金だって使って、金の種である新商品のレシピを他区へ伝授する約束までさせられ……損害は笑って済ませられるようなものではない。


 だから、だ。

 やるべきことはきっちりとやっておかなければいけない。

 今後、一切のしこりをなくすために。


 ケジメの言葉を、エステラが――四十二区の領主が告げる。


「四十二区は、『BU』七区に対し、損害賠償を請求します」


 ガタガタと机が鳴る。

 何人かが一斉に立ち上がり、勢い余ってテーブルが一つ倒れた。

 テーブル上の料理は、マグダが咄嗟に持ち上げ無事だった。さすがだな。


「な……なにを、言うのだ……」


 ゲラーシーの瞳孔が開いている。

 本気で戸惑っているようだ。


 なんだ?

 和解した気にでもなっていたのか?


「あなた方によってもたらされた損害は相当なものです。それで初志貫徹、制裁を科すのであれば納得は出来なくとも最低限の理解は示せましたよ。けれど、全領主が揃いも揃って『制裁撤回』に手を上げるとは…………」


 ここ一番で、エステラが冷たい視線を連中に向ける。


「……ボクたちは、なんのために振り回されたんです?」

「そ、それは……」


 ごくり……と、いやに大きな音を立ててゲラーシーが唾を飲み込む。



 真剣に、こういう冷たい表情を見せるエステラは――ぞっとするほど美しい。



 ルシアはただ黙ってエステラの後ろに控え、同じく七領主を睨みつけている。

 今回、ルシアには口を出さないでもらっている。

 三十五区も同様に時間と金を浪費させられたのだが……その損害分を四十二区がすべて被るという条件で四十二区のサポートに回ってもらった。

 当然、損失分の補填プラスアルファも見込める条件だ。


「俗っぽい言い方ですが、ご容赦くださいね」


 あごを引き、ほんの少しだけ俯いて息を吸う。

 すっ――と、音を立てて呼吸を止め、顔をまっすぐ正面へと向ける。それと同時に非常に俗っぽい言葉がエステラの口から飛び出す。




「ボクたちにケンカを売って、ただで済むと本気で思っていたのかい?」




 それは、これまでエステラが発したどんな言葉よりも低く、迫力のある声だった。


 ……あぁ、いや。

 ヤップロック一家と初めて会った時――俺が連中を見捨てるって言った時にも、こんな低い声を出していたっけな。

 要するに、エステラの本気の怒りの声だ。


 ま、今回はハッタリだが。――そのハッタリが出来るようになって、初めて一人前の領主だといえる。

 雑魚相手に練習するには、打ってつけだな、『BU』は。


 効果は覿面なようで、エステラの怒りは正しく七領主に伝播したようだ。


「こ、これ以上、何をしようというのだ?」


 果敢にも反論を試みる『BU』の現リーダー、ゲラーシー。

 お前じゃ話にならねぇんだよ。


「『これ以上』とは、不思議なことを言うね、ゲラーシー」


 あえて名を呼び捨てにする。

 反発を誘うが、ゲラーシーは反応しない。いや、出来ずにいる。

 エステラを恐れた証拠だ。

 下手な反発は状況を不利にすると、あの思慮の浅いゲラーシーも理解しているってわけだ。


「君たちの話は終わったかもしれないけれど、ボクたちの話は、まだ何一つ始まってもいないんだよ?」

「いやっ、だが……さっき……」

「四十二区への制裁が科されないと決まったからね、港や三十区への通路を作る大義名分がなくなってしまったんだよ」


 あくまで『報復』だと、エステラはこの場で言っている。

 制裁が科されないと決まったのに『報復』を行うのは筋が通らない。


 だから、このまま終わられると四十二区は大損なのだ。

 根回しに使った時間と金、まぁ、主に食料費なんだが……それらが無駄となる。


 それに、焚きつけてその気にさせちまったあのギルド長ども――メドラにハビエルに、マーシャ、ヤツらがこのまま大人しく引き下がるとも思えない。

 特にマーシャは食い下がるだろう。


「君たちのつまらないプライドのせいで、こっちは大ギルドのギルド長を三人も引っ張り出してしまったんだ。『なくなりました』で済む話じゃないことくらい、理解してもらえると思うけど、どうかな?」

「し、しかし、それはそちらが勝手にやったことで、我々は別に……」

「『勝手に』……ねぇ」


 それは悪手だ、ゲラーシー。

 おのれの生殺与奪の権を握っている相手の神経を逆撫でするような言い訳は、自殺志願者でもない限りは控えるべきだろう。


「そうさせたのは誰だい?」

「それは……」

「それとも君は、『お前らは何もせず、大人しく自分たちの食い物にされているべきだったのだ』……とでも言いたいのかい?」

「そういうわけでは……と、とにかく、落ち着かれよ。今一度話し合いを……」

「そのつもりだったけれどね……」


 エステラがくるりと反転し、七領主に背を向ける。


「この期に及んで、こうまでコケにされるとね……話すだけ無駄だと思わざるを得ないよね」


 吐き捨てて、エステラが歩き始める。

 出口へと向かって。


「まっ、待て!」


 慌てて立ち上がるゲラーシー。

 邪魔なテーブルを退かし、蹴り飛ばして、一直線にエステラへと向かって駆け出す。

 その前に、マグダとデリア、そしてノーマが立ち塞がる。


「……ウチの領主に何をするつもり?」

「指一本でも触れてみろ。テメェ――」

「――容赦はしてもらえないものと、覚えておくさよ」


 武闘派獣人族三人の気迫に、室内に緊張が走る。

 給仕長のみならず、護衛の兵士たちまでもが身構える。


 完全無欠に交渉決裂。


 誰もがそう思った時だった。

 室内へ、のんびりとした声が流れ込んできた。


「あらあら。やっぱりダメだったのねぇ、ゲラーシー」


 幾人かの者は、その声に背筋を伸ばし、または驚愕に目を見開き、知らぬ者は何事かと出入り口のドアへと視線を向けた。


 ゲラーシーは、困惑が色濃く表れた顔をさらしている。


「あなたは、人の心を理解していないのね」

「あ…………姉上……」


 ゆったりとした足取りで室内へ入ってきたのは、給仕長のシンディを引き連れた、マーゥルだった。


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