4話 ちょっ、待てよ! -3-

 そんなわけで、寄り道をしていたらすっかり遅くなってしまった。

 服屋を出る時、羊の店主が「北の崖際にはスラムが広がってるから、近付かないようにね」なんてことを言っていた。……湿地帯に加え、スラムまであんのかよ。治安悪過ぎるだろ、四十二区……

 

 大通りを離れ細い路地を進んでいく。

 道が徐々にデコボコになり、建っている家もどんどんみすぼらしくなっていく。

 喧騒は遠ざかり、人通りもまばらになっていく。

 どんどんと、人里を離れていく感じがする。

 

 日が傾き始め、穴ぼこだらけの道が薄暗さと不気味さを増す。

 ……はは、今日もまともな飯を食ってない。グレープフルーツジュースを飲んだだけだ。

 歩く度に腹の虫がくぅくぅと鳴く。

 そして、空が真っ赤に染まる頃、俺は再びこの店の前にたどり着いた。

 

 陽だまり亭。

 

 ナイフとフォークの形にくり抜かれた看板が目印の、おんぼろ食堂だ。

 店の中からは、またしてもいい匂いが漂ってきている。

 

「……来ちまったけど…………」

 

 どうしたものか。

 手配書の一件で、怒りなんてものはすっかり消え失せていた。

 飯の代金を叩きつけてやろうにも、服を買ったせいで残金はゼロ。

 ……俺、何しにここに来たんだろう?

 

「やっぱ……帰るか」

 

 よく考えたら、俺が怒るなんてお門違いなんだよな。

 そもそも、俺は食い逃げをしたわけで、そのことを知ってか知らずか、ここの店員は口に出さなかった。

 このまま四十二区を離れれば、この一件は永遠に闇の中……忘れ去られてしまうだろう。

 それを、わざわざ蒸し返すような真似をしなくても……

 

 うん。そうだな。

 俺、ちょっとどうかしてたわ。

 親方たちのことを思い出して、感傷的になってたのかもな。

 

 いいじゃねぇか、飯がタダになったんだし。

『タダより尊いものはない』って、昔から言うもんな。

 よし! 引き返そう!

 折角のご厚意、ありがたく受け取っておくぜ。

 

 ドアの前でささやかながら感謝の言葉を述べ、俺は回れ右をする。

 もう二度と、あの店員に会うことはないだろう。

 そんな思いを胸に振り返った俺が見たものは……

 

 とっぷりと暮れた、薄暗い空だった。

 

「…………」

 

 遠くの空が、深い群青色に染まっている。

 大通りに続く細い道の先が暗くぼやけて、まるで冥界への入口のような雰囲気を醸し出している。

 油断すれば、のみ込まれてしまいそうな闇が……すぐそこにまで迫ってきていた。

 

「…………ふっ」

 

 まぁ、俺もな、この街に来て丸一日以上過ごしたわけで、いつまでも世間知らずな子猫ちゃん状態ってわけじゃねぇんだわ。

 夜の闇だって、昨日一度経験済みさ。

 そんなわけで……

 

「いらっしゃいませ、ようこそ陽だまり亭へ! ……って、あれ? お客さん?」

「……来ちゃった」

 

 強がりなんか投げ捨てて、甘えられるご厚意には甘え尽くそうかと思います。

 お願い! 泊めて!

 てか、この世界で俺が優位に立てそうなのって、お前しかいないんだわ。

 お前なら、どんなに油断しても、絶対寝首を掻かれるようなことはないと確信している!

 

「嬉しいです。また来てくださったんですね!?」

 

 無邪気な顔でそんなことを言い、ぴょんぴょんと飛び跳ねる店員。 

 ジャンプの度にぽいんぽいん揺れている。何がかは、あえて言わない。まぁ、しいて言うなれば……夢とロマンが揺れているのだ。

 

 あぁ、いかんいかん。

 夢のような光景を見つめながら夢の世界へ旅立つところだった。

 きちんと話をつけなければ……夜中に放り出されるのだけは勘弁してほしいからな。

 ……もう、暗いところで夜明かしするのとか、無理。

 

 とにかく、交渉だ。

 

「まず、最初に。昨日の飯代はきっちりと払う! だが、俺は今金がない」

 

 現状をきっぱりと告白する。

 店員は驚いた表情で、目をまんまるくしながらも、俺の話をじっと聞いてくれている。

 

「それで、あの高価な服を売っちゃったんですか?」

 

 ん?

 あぁ、そうか。今の俺はみすぼらしい服を着ているんだった。

 なるほどな。金がなくて服を売り払ったように見えるのか。まぁ、あえて訂正しないでおこう。

 

「それで、どうすれば飯の代金を払えるかを考えていたんだが……」

「いつでもいいですよ。わたし、お客さんのこと信用しますから」

 

 いやいや、俺みたいなヤツは一番信用しちゃダメだろうが。

 何を自信たっぷりに言ってるんだか。

 

「だって、お客さんはご自分のことを話してくれましたから。誠実な方なのだと、わたしは思います」

 

 うわぁ……この娘、ちょろ~……カモがネギどころじゃなくて、カモ鍋の素と、他の野菜まで背負ってやって来ちゃった状態じゃん。

 こいつ、よく今まで生きてこられたな。

 

「信じてくれるのはありがたい。だが、金の目処が立っていないんだ」

「気長にお待ちします」

「いや、そうしてくれるのはありがたいのだが、いつまでも待たせるのは違うと思う」

「わたしは気にしませんよ?」

「俺が気にするんだよ」

 

 つか、なんなの!?

 お前、お金嫌いなの?

 なんでもっと執着しないんだよ、金に!?

 金さえあれば、こんなボロい店じゃなくて、もっといい土地で商売だって出来るんだぞ?

 食材もいいものが手に入るし、内装だって好きなようにこだわれる。

 もっと金を求めろよ!

 人間の優しさなんてな、1円にだってなりゃしねぇンだぞ!?

 

「では、お客さんはどうすれば納得できるんですか?」

 

 店員が小首を傾げて俺に尋ねる。

 金はない、が、待たせたくはない。

 そう言われれば、当然の問いだろう。

 そして、その先にあるのは、これまた当然の回答なのだ。

 

「俺を、ここで働かせてくれないか?」

「え……?」

「もちろん、給料なんてほんのわずかでいい。なくても……よくはないけど……まぁ、いい! その代わり……」

 

 俺は深々と頭を下げ、大声で言う。

 

「部屋と飯を提供してほしい! この通りだ!」

 

 俺には行き場がない。

 宿に泊まろうにも金がない。

 飯だって、結局全然食えてない。

 俺流の稼ぎ方で金を生み出すことは、おそらく可能だろう。

 だが、そのためにはこの街のことをよく知らなければいけない。

 なんの情報もないままに、ここで『商売』をするのはリスクが高過ぎる。

 ノルベールの香辛料をくすね盗ったのが、結局は地味に足を引っ張り、俺の行動を制限してしまっている。

『精霊の審判』にしても、たまたま運がよかっただけで、一歩間違えればカエルにされていたかもしれない。

 それにもし、他の区でギルドに捕まっていたら……

 

 ギリギリのラインで切り抜けてはきたが……人生の終了は、いつもすぐそこにまで迫ってきていたのだ。

 もう少し、この街のことを知る必要がある。

 そのためには、騙されやすくて、お人好しで、扱いやすい人間のそばに置いてもらうのがベストだ。

 すなわち、ここで住み込みとして働くのが、今の俺にとっては最良なのだ。

 

 しかし、懸念はある。

 まず、ここにはこの店員しかいないようだ。そんな家に、見ず知らずの男を置くだろうか?

 そして、俺は一度食い逃げをしているということだ。果たして、こいつは首を縦に振ってくれるだろうか……

 ダメでも、今晩一晩だけ、軒先でもいいから寝床を提供してもらいたい。

 

 だからこその、「飯代を払わせてくれ」アピールだ。

 俺の目的はあくまで踏み倒した飯代の賠償であって、巨乳美少女とお近付きになってキャッキャウフフしたいわけじゃないんだぜ~と、そういうアピールだ。

 

 うまく騙されてくれればいいのだが……

 

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