第四章 森の人

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皇紀八三六年雨月五日五時00分

ロバール川本流付近。 


 夜あがけるまで俺たちはウルグゥ族と思しき連中に囲まれ過ごした。

 毎度みたいに交代で眠ろうとも思ったが流石の俺でも緊張で眠気が来ない。コンゴウ式散弾銃を手元に置いて夜明けを待つ。

 その辺はシスルも同じで弓を片手に樹虎の干し肉を齧りながら油断なく奴等の動きを目で追い続ける。

 先生はって言うと、回転式拳銃を手に木の幹に姿を隠しガタガタ夜通し震えていた。

 奴さん方も槍投げ器から槍を外すことなくすぐに打ち込める態勢を取りながら俺たちを蟻の這い出る隙も無く囲んでやがる。

 それにしても、だ。片言とは言えまほらま語を操り俺たちと意思疎通が出来て、その上自分勝手に判断できないと伝令を走らせ上の指示を仰ぐ。ってこいつらのどこが野蛮人だよ?

 朝もやが樹々の間に立ち込め、空が明るくなり始めた頃、あのまほらま語を操るおっさんがまた森の奥から姿を現し。


おさ会うと言ってる。ついてこい」


 シスルが俺を見て。


「どうする?なれよ」

「ここまで来ればとことん付き合うしかねぇだろ?ご招待を受けようぜ」


 それから奴等のケツを追いながら前進再会って事になるわけだが、さすがに移動する速度が速いのなんの。

 シスルですらも付いて行くのに難儀し、俺なんぞは何度木の根にけ躓いたり落ち葉で滑ってズッコケそうになったか解らねぇ、先生に至っちゃ木にぶつかる枝にシバかれると散々な有様で、昼の休憩時分には文字通りボロボロになっていた。

 おそらくこれでも速度を落としてるんだろう。それが証拠に先生の周りには必ず数人が付き添い、はぐれそうになったらさせてやったり荷物を持ってやったりと色々面倒見てくれる。最初の内はビビッてた先生も疲れたもあってか大人しく一行に付いて来てくれるようになった。

 午後の移動の最中、コツを掴んで奴等と変わらない速度で移動できるようになったシスルが、速度を落とし蔦相手に四苦八苦してる俺に近づくと小声でささやいた。


「始めは気付かなかったが、同じところを何度も歩いてる」


 景色の変わらねぇ密林だから解らなかったがそう言われればそうだ。午前中に潜ったデカイ倒木も今さっき潜った。

 この森で生まれ育った奴等の事だ、迷ったわけじゃ無いとすると俺たちに場所を覚えられない様にするため、あるいは追跡者の存在を知っていてそいつらを撒くために同じところを何度も通っているって事だろう。

 そうやって一日歩き通し陽が落ちるころやっと奴等が足を止めた。

 最初は解らなかったが目を凝らすと、大木の幹や良く茂った下生えを巧みに利用した木の葉と枝で作った掛け小屋がいくつも点在していて、それらから薄っすらと煙が上がっている。

 シスルが横腹を軽くつつき頭上を指さすので見上げると、木の幹に木の葉で偽装した男が槍を片手に森の奥を睨んでいた。見張り役だろうか?

 まほらま語を操る男が短く何か言うと、掛け小屋から幾人もの人影が姿を現す。女子供たちだ。

 顔や体形は男共と全く同じ、お世辞にも綺麗とか端正とか間違っても言えないが、大きなおっぱいにお尻、健康そうな肌艶からして丈夫な赤ちゃんを産みそうな感じで、子供らも肉付き良く、今は大人の言いつけを守っているのか大人しいが、見た目は実に健康そうだ。

 物珍しそうな視線の十字砲火を浴びながら、俺たち三人は奴等の宿営地の中を進む。掛け小屋の数はざっと三十軒ほど、一軒に一家族と考えて五六人のくらいとすれば俺が見える範囲だけで百八十人のウルグゥ族が居るって計算になる。

 一行は二抱え程ある巨木の前で立ち止まった。その根元には一際恰幅よろしい初老の男が立っていて、なんとも飄々とした穏やかな表情で俺たちを眺めている。

 男ははっきりとまほらま語で言った。


「あちらこちらと引きまわしてすまなんだ。ワシがおさのバオボォウです。アンタ方の聞きたいことはワシの小屋で話すといたしますか」


 通されたのは宿営地で一番大きな掛け小屋で、おそらく集会所も兼ねてるんだろう十人くらいは一度に入られる広さを持っていた。

 しかし、構造は実に簡素。柔軟性のある木の枝を骨組みに幅の広い葉や葉の茂りの良い枝を器用に組み合わせ、雨風を凌げるだけの機能しか持たせていない。中も囲炉裏と肉や魚を干すための梁、収納用の籠位なもので驚くほど何もない。常に移動する暮らしやっているからに違いない。

 奥に座るバオボォウに対面するように座った俺たち三人の前に、多分彼の女房だろう、これまたよろしい体格のおばさんが木の実を半分に割って作った器(大人の股間にある大事なお道具を隠してるのと同じヤツ)を置いて行く。中にはこんもりと砂が盛られ、そのてっぺんには足の小指の爪ほどの木片が一個だけ刺さっていて、おばさんがそいつにそっと火を点して回る。

 しばらくすると、何とも言えない甘く心地よい香りが漂い始める。

 嗅いでいるだけで気分が晴れ、体の疲れも淡雪みたいにスッと溶けていきそうだ・・・・・・。お香の類か?


「わたしらには、あんた方の酒やら茶やら言う物が有りませんのでな。代わりに香りでお客をもてなすのが習わしですじゃ」

「なんとも風流な習わしですな。それにしてもまほらま語がお上手で」

「この辺りには同盟は元より帝国からも連合からも毛皮や薬草を求めて商人がひそかに潜り込んできよりますんでな、取引をしとるうちに自然と言葉も文字も覚えました。いまじゃまほらま語も同盟や連合の方々が使うファリクス語もそこそこ使えますぞ」


 俺たち北方大陸の人間は、ともすれば南方大陸の尻尾有りや角有りを『野蛮人』『未開人』と蔑み馬鹿にするが、俺は知性の発達具合は全く変わらねと考えて居る。

 目の前に居るバオボォウも複数の言語を操り、俺の隣でお香の香りが気に入ったのか鼻をヒクヒクさせているシスルも、出会った頃は自分の名前もろくすっぽ書けなかったが、今じゃ月桃館のテメェの部屋で武侠ものの通俗小説を読むのが日課になってやがる。

 学ぶ機会さえあれば、こいつらは俺たち同様、いや、場合に寄っちゃぁそれ以上の知性を発揮するだろうぜ。掛けても良い。

 俺たちはそれぞれの名乗りを済ませ、本題に入ることにした。


「もう話はある程度聞いてもらってると思いますが、俺たちはチョル・ユハンって男をその男の父親に頼まれて探しています。もし何かご存じならお教えいただけませんかね?」

「特務機関って言うのは、行方知れずになった子供を親の頼みで探してくれるお優しい方々の集まりですかの?」


 バオボォウはそう返して耳まで有りそうな大きな口を笑いで歪めた。

 口先三寸は通じないご仁のようですな。御見それいたしました。なら単刀直入だ。


「お察しの通り、ユハン氏は同盟の間諜スパイとしての嫌疑が掛けられていて、同盟からも口封じのため命を狙われています。俺たちの目的はユハン氏を捕らえ帝国に連れ帰り法の裁きを受けさせることです」


 俺はそこまで言ってバオボォウの出方を待つ。

 当の本には自分の分の香炉を手に取り、その大きく平たい鼻の前にかざして深々と、ゆっくり香りを吸い込んだ後。


「それは、難儀なことですな。帝国にとっては裏切者の罪人、同盟にとっては知りすぎた邪魔者」

「ええ、難儀な話です」


 そして、バオボォウは香炉をゆっくりと地面に置いて。


「しかし、ワシにとっては、可愛い娘の婿でしての。本当に、難儀なことですのぅ」


 ・・・・・・。え?今なんて言ったこのオッサン?

 ムコ、って言わなかったか?

 俺は当然同じ言葉を口からこぼした。


「今、何ておっしゃいました?」

「ユハンはワシの娘の婿と申しました」


 そう答えた後大声で「婿殿!帝国からのお迎えがお出でだが、お会いになられますかの?」

 それに応えるように掛け小屋に入って来たのは、小柄だが豊満な娘を連れた長身の男。

 鬚は伸びに伸び幾分かやつれ身に着けた防暑服も縫い目に継ぎはぎだらけだが、あの甘い容貌は間違いなくチョル・ユハン教授その人だ。

 サノガミ先生は思わず立ち上がり「教授!ご無事でしたか!」と駆け寄り、シスルもぽかんと口を開けている。俺も相当な抜けな面をしてるだろう。

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