カエリミの標識
七海けい
第1話:カエリミの標識
秋の暮れ。灰色の雲が流れる
下校途中の女子高校生──
「……ん?」
沙織は、道の反対側に立つ一本の標識を見上げた。
赤くて丸い
「とまれ。……の亜種かな?」
沙織は首を
「……ぁれ?」
沙織は、自分の目を
標識板の文字が
今度は『そして、かえりみろ』と書かれている。
「かえりみるって……、……振り返るってこと?」
沙織は、何となく振り返ってみた。
そして、
「……きゃぁああああああああ────────アアアアアッ!!」
沙織は、腰を抜かして絶叫した。
彼女は
「──っ!」
次の瞬間。
彼女の耳はクラクションに
少し遅れてから、沙織は、自分が路上にへたり込んでいることに気付く。
***
臨時で開かれた全校集会の内容は、衝撃的な知らせだった。
「──昨日の夕方。本校の生徒四名が、下校途中に発生した交通事故に巻き込まれ亡くなりました。二年A組の
***
翌日。校内には、奇妙な噂が流布していた。
──死んだ四人は、同じ交通事故に巻き込まれたんじゃなくて、別々の場所で、たまたま同じ時間に、事故に
──そう言えばさ、同じ日の同じ時間に、隣の学校でも、交通事故に遭った奴がいたって聞いたんだけど……。それってマジ?
人の不幸を怪談めかしく語る不届き者め、恥を知れ! ……と、
なぜなら、それは根も葉もない噂ではなく、
警察の発表も、マスコミの報道も、学校の噂と同じような内容ばかりだった。
***
事故から三日が
「──
「はい?」
スクールカウンセラーの
高校指定の鞄をリュックのように
「君は?」
峰山は、人当たりの良い笑顔で尋ねた。
「一年の
「良いですよ。相談室は、すぐそこにあります」
峰山は、奥まったところにあるドアを開けた。
「どうぞ」
「……こういう部屋って、お茶とか、出るんですよね?」
礼子は、面談室を歩いて一周する。
「ポットはありますから、ティーバッグなら入りますよ」
「Tバック?」
礼子は、自分のお尻に手をやる。
「ドクダミ茶の方が良いですか?」
「冗談ですよぅ、先生」
礼子は、白い長机に直接腰を下ろす。
峰山は電気ポットに水道水を入れ、スイッチを入れる。
「ところで先生」
「何ですか?」
「先生って、……霊感はある方ですか?」
「霊感、ですか」
峰山は、棚からマグカップを二つ取る。
「ちなみに、私は結構強い方なんですよ」
礼子は、プラプラと
「実は、僕も強い方なんですよ。礼子さんは、何が見えるんですか?」
「問題はそれなんですよ、先生」
礼子は、身体を
「……と言うと?」
「……最近、全然見えなくなっちゃったんですよ。幽霊」
礼子は口を尖らせた。
「それは……礼子さん的には、残念なことなんですか?」
「それが良く分かんなくて、モヤモヤしているんですよ」
彼女の感情を
「なるほど……。幽霊が見えなくなったのは、いつ頃からなんですか?」
峰山は電気ポットのスイッチを切り、取っ手を持ち上げる。
「一週間くらい前、かな。……それまでは、学校からの帰り道で、毎日会ってたんですよ? 振り返ると、必ず出てきてくれて」
「いつも、同じ幽霊が見えていたんですか?」
峰山は問いながら、マグカップに湯を注ぐ。
「はぃ。
礼子は、
彼女自身もそう思ったのか。
礼子は
「美優も、幽霊とかオカルトとかに興味があった子で、中学校では同じオカ
峰山は、紅茶をすすりながら礼子の話を聞き続ける。
しばらく夏合宿中の明るいエピソードが続いた後、礼子の
「……中三の秋に、……進路について、美優と美優のお母さんが
礼子の背中が、
「……十一月くらいから学校に来なくなってて、……気付いたら、連絡も付かなくなってて、それで……、そしたら、……
礼子は、スカートのポケットからハンカチを取り出す。
そのまま声を上げて泣き崩れると言うよりは、
「……高校入学と同時に、……美優が、見えるようになったんです。……帰り道で振り返ると、いつも、美優が立ってるんです。別に……追っかけてくるわけでも、襲ってくるわけでもなくて、……何がしたいのか、よく、分かんないんですけど、……でも、私、毎日、……彼女に振り返って、謝ってたんです……。……気付いてあげられなくてゴメン、……遊んであげられなくてゴメンって。……返事は、結局もらえなかったんですけどね……」
礼子は、ハンカチで半分ほど隠した顔を峰山に見せた。
「……外の空気、吸いましょうか」
峰山は、面談室のドアを開けた。
白い長机には、空っぽになった峰山のマグカップと、手付かずのまま
礼子が面談室を出ようとした、ちょうどその時。
──バタンッ!
峰山は、
「……せん、せぃ?」
礼子は、
「やっぱりか。……」
峰山は息を吐いた。
彼女の身体は、ドアを
「……先生は、どこで気付いたんですか?」
「……入れた茶は飲まない。ドアを自分で開けたがらない。君が座っても泣いても喋っても、長机は少しも揺れない。第一、俺が記憶している生徒名簿に、富山礼子なんて生徒は存在しない」
峰山は、白衣のポケットに両手を突っ込んだ。こっちが彼の
「……名簿フル暗記はズルイですよ、先生」
礼子は涙混じりに苦笑した。
「……死因は自殺か?」
「そうですよ。……私、この高校に進学することが決まってたんですけど、わざと人生を
礼子は、
「かえりみる。って、二通りの書き方があるじゃないですか。振り返る方の
礼子は叫んだ。
「そりゃそうだ。……お前は、全然『かえりみて』いないんだからな」
「は、……?」
礼子は、
「顧みる。
「反省以外の思い出……?」
「学校での、二人の思い出を振り返るんだろう? 見殺しにした以外の、大切な、かけがえのない時間はなかったのか?」
「ぁった、……けど、……」
「
「じゃあ、何で消えちゃったの……?」
「途中で気が付いたんだろう。……自分の幽霊がいつまでも見えていたら、お前の中にある罪悪感が消えないってことに」
「何を、証拠に……」
「気になるなら、早く
「……むむむ、……」
礼子は、口をへの字に曲げる。
「……先生は、シャーマンみたいです」
「どう言う意味だ?」
「何か、……やってることはカウンセラーなのに、幽霊相手にやってると、
「怪しいとか言うな。さっさと逝け」
峰山は、シッシッという風に手を振った。
「スクールシャーマン峰山修司 ~美少女
「やめろ痛々しい。ラノベのタイトルじゃあるまいし……」
本気で嫌がる峰山を見て、礼子は心底
「……先生」
礼子の身体が、足下から透き通り始めた。
「……ありがと」
「おぅ」
薄暗がりの廊下に、峰山が一人残された。
「さてと。……」
自宅までの帰り道。峰山は、モラルの低さと情報の確かさに
峰山は家に帰るなり、知り合いの教師やカウンセラーに電話をかけ、有留美優について聞き込みをした。週刊誌の情報と足し合わせ、水溶性のメモ用紙に
***
週末。峰山は、
峰山はインターホンを押し、カメラに向かって会釈する。
「私は峰山修司と言って、有留美優さんの自殺に関して追加調査をしている、教育委員会の者です。有留
「はぃ」
玄関が開くなり、峰山は目を細めた。
有留家の内装は、
峰山は、リビングで静香と向かい合う。静香の顔は、これ以上ないほどに青白くやつれていた。薄くなった髪は白く色あせ、
「あの子は、……
開口一番。静香は娘の自殺について
「はい。その可能性も視野に入れ、これまで調査を続けていました。その過程で、
「妙な話……?」
「はい。虐めの加害者としてマークしていた高校生が八人。同じ日に、交通事故に遭ったんです」
「
静香は、口元を歪めた。
「なるほど。面白い仮説ですね。……中学生時代。美優さんと同じオカ研に属していた生徒が三人。オカ研と合同で合宿に参加していた天文部の生徒が二人、同じく合宿に参加していた写真部の生徒が二人。美優さんの兼部先である地学部の生徒が一人。地学部にいたのは、趣味のパワーストーン集めに関係があるようですね」
「あの子のパワーストーンは、今も大事に保管していますよ」
「パワーストーンと言えば……、こんな話。ご存知ですか?」
峰山は、昨日買った週刊誌を机に出した。
「事故現場に謎の石。現場に残された唯一の共通点。……相変わらず、くだらない見出しを付けますよね」
「……だから何ですか」
「仮にその石ころを置いたのが私だったとして、それが何だって言うんですか? これは、天罰です。あの子が、……美優がやれって言ったんですッ!」
静香は、机を叩き
峰山は、ここから本題を切り出す。
「……最近。美優さんに会っていないんでしょう?」
「は……? ……何で、それを……」
「美優さんの幽霊が見えなくなった。それが、静香さんを凶行に走らせた原因なんですよね。……ぁあ、別に、それを告発しようとか、罰しようとか、そんなことは考えていませんよ。ただ、私は貴女に警告をしたいんです」
「警告……?」
静香は首を傾げた。
「はい。……貴女は、虐めの加害者を虐めの被害者がいるところに連れてしまったわけですよね」
「はぃ……?」
「
「……ぁ」
「殺された生徒さんたちは、あの世で美優さんに出くわした時、いったいどうするでしょう?」
「ぁ……ぁあ……」
「あの世で、美優さんは
「ぁあ……ぁああ」
「お母さん。あの世に
「ぁああああああああアァァ────アアアッ!!」
「……それでは、私はこれで」
峰山は、有留家を後にした。
***
翌日。
有留美優、富山礼子が飛び込んだ駅で、有留静香は自殺した。
静香と最後に会話した人物──峰山修司は、自殺教唆の重要参考人として警察に連行された。結局逮捕にすら至らなかったが、峰山はスクールカウンセラーの職を辞した。
それから、半年後の
学校の生徒も、教師も、警察も、マスコミも、同時多発事故の記憶を、すっかり記憶の
余談として、こんな話がある。
下校途中の生徒を事故に引き合わせるパワーストーンは、まだ街中のあちこちに転がっている。君が見上げた標識にも、ひょっとしたら書いてあるかも知れない。
──たちどまれ。そして、かえりみろ。……と。
カエリミの標識 七海けい @kk-rabi
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