拾壱
思った通りだ。
俺が通路を抜けて客席に入ると、男が二人奈津美を連れ出そうとしているところだった。
恐らく両脇から”何か”を突き付けられているんだろう。
彼女は大人しく立って、二人と一緒に通路に出た。
『おい、ここは格闘技の殿堂だぜ。ナンパをしたけりゃ、新宿でやりな』
俺は三人に近づき、わざと声をあげた。
幸い通路には殆ど人気はなかったが、それでも何人かがこっちを振り向いた。
男の一人が目を血走らせて俺にかかってきたが、なんてことはない。
俺はがら空きになったそいつのボディに肘打ちをくれてやると、もう一人に向かって。
『こう見えても俺は免許持ちの探偵だ。磯貝のおっさんの部下なら知ってるだろ?こんなところで銃撃戦やらかして、折角の興行を台無しにしたら、あんたのボスの前歴だって知れちまうぜ。それでもいいなら』
俺がわざと大袈裟に懐に手を入れかける仕草をすると、男はまだうずくまっているもう一人を立ち上がらせ、そのまま立ち去った。
『奈津美さん、危ないところだったな。じゃ、俺の後についてきてください』
会場に戻ると、中は大騒ぎだった。
リングの上をよく見れば、紫色のショートタイツに半裸で、オープンフィンガーグローブだけ嵌めた褐色の肌の男が、リングに大の字になってのびていた。
『山嵐ですよ!山嵐!』
興奮した口調で教えてくれたのは、たまたま会場に来ていた、以前何度か情報の交換をしたことがある、マイナーな格闘技雑誌に記事を書いているフリーライターだった。
かたや打撃も熟知している大柄のMMA(総合格闘技)の王者、かたや柔道は強いが小柄で無名の高校生。
誰が見たって勝敗は見えている。
観客は彼を応援していたとしても、流石にこれはダメだろう。
話をしてくれたライター君もそう思ったという。
ところが龍之介はそうしたネガティブな”期待”を、大きく裏切り、
総合王者のパンチやキックを巧みに搔い潜り、何と三回もマットに投げ飛ばしたのだ。
最初は誰もがただの一本背負いだと思ったという。
ライター君は学生時代、幾分柔道をやっていたせいか、その技が山嵐だというのを直ぐに見抜いたという。
腕を肩に担いだ刹那、龍之介の身体が沈みながら相手の懐に入り、右足で脛を払いあげた。
そして、黒人選手の身体は大きく跳ね上がり、放物線を描いて飛び、マットに叩きつけられた。
一度目はすぐに立ち上がろうとしたが、間髪を入れず、二度立て続けに投げ続けた。最後には受け身を取れずに、まともに脳天から落ちて半失神状態になり、そこで試合終了が宣告されたという訳だ。
山嵐・・・・柔道の投げ技の中で、特にロマンチックで、謎に満ちた技は無いといっても良いだろう。
技術的にいうならば、背負い投げと体落としと払い腰をミックスしたようなもので、修練を積めば使いこなせる”鬼面人を驚かす”ような類のものではない。
ただ明治時代にこの技を開発した、西郷四郎という柔道家以来、使い手が殆どおらず、試合でも滅多にお目にかかったことがなかった。
その理由は様々あるが、ここでは省略しておこう。柔道の解説をしているわけじゃないんでね。
ライター君が小型ビデオカメラで撮影していたので、その場で再生してみせてくれたが、なるほど確かに一本背負いを巧みにアレンジしてはいるが、山嵐である。
本来山嵐は、道着を着ていないと使えないのだが、それを咄嗟に一本背負いと合致させてみせたのは、流石龍之介であると、俺も脱帽した。
『素晴らしいわ・・・・』俺の後ろからカメラを覗き込んでいた奈津美は、うっとりしたような声でそう言った。
リングサイドに駆け付けると、ちょうど彼がリングを降りてくるところだった。
『龍之介、やったな。俺も生で見たかったよ。山嵐』
俺が声をかけると、彼はまだ表情を崩していなかったが、それでもいくらか嬉しそうであった。
『龍之介さん・・・・』
奈津美がそう声をかけると、彼ははっとしたように顔をあげ、照れたようにやっと微笑み、軽く頭を下げる。
俺達が控室に戻っている間にも、残りの三試合が終わって、ついに龍之介が決勝で当たる相手が決まった。
相手はブラジル出身の日系四世、世界柔術選手権でこれまで三連覇中
だという、カルロス上田という男だ。
ブラジリアン柔術なら、どちらも道着を着ているから、やりやすいといえばいえるだろうが、しかし相手は何と言っても寝技に一日の長がある。
油断は出来まい。
『龍之介、もう少しじゃ、だが決して油断はするなよ。』
鉄之介先生がウォームアップを入念に繰り返す龍之介をそう言って励ました。
龍之介は一言も発せず、黙って深く頷いただけである。
俺も敢えて何も言わない。
ここまで来たんだ。
何をすべきか、彼自身が良く解っているだろう。
奈津美も目を潤ませて彼を見つめているだけである。
と、俺達以外誰もいなくなった、だだっ広い控室に現れたのは、プロモーターの磯貝、そして杉野社長の二人組である。
『おやおや、皆さんお揃いですな・・・・まあ運が良かったのか悪かったのか、ここまで来てしまったようで。でも残念ながら彼には勝てんでしょう。』
杉野が嫌味たっぷりの言葉を投げかける。
『奈津美さん、貴女までここにいらしていたとはね。恋人が無残に絞め落とされでもするところを、たっぷりと拝見なさるといいでしょう』
奈津美はきっとした顔で、杉野社長を睨みつけた。
『社長、御託を並べてる暇があったら、賞金の札束でもちゃんと数えておいてくれよ。一円だって欠けたら許さんぜ。ああ、それから磯貝の旦那、女をさらって脅迫しようなんて馬鹿な考えは止めておいた方がいいぜ』
俺がこちらサイドを代表し、嫌味を増幅してやると、二人の社長は小さく舌打ちをして、そのまま部屋を出て行った。
十分ほどの後・・・・・
『鍬形選手、リングインです』
係員がそう告げに来る。
龍之介は顔を二三度はたき、大きく深呼吸をし、先頭を切って歩き出した。
凛々しい男だ。
彼の今の顔はまさに姿三四郎、いや、それ以上にかっこいい。
そう言い切ってもいいと、俺は思った。
まぶしいライトに照らされて、俺達は花道に出る。
怒号ははなかった。
拍手と歓声、そればかりだ。
開会の時に登場した時とは雰囲気が180度逆転している。
その中を裸足で柔道着姿の龍之介を先頭に、俺、鉄之介先生、そして奈津美の三人が歩いてゆく。
リングサイドには例の社長、そして磯貝等、大会関係者らが、雁首を揃え、嫌な笑顔をこっちに向けた。
当然、俺達も龍之介も無視を決め込む。
対戦相手のカルロス上田は、既にリングにいた。
派手なワッペンやらロゴが幾つも入った青の柔術衣を着ており、端正な顔立ちをしていて背が高く、体形も見た目ほど逞しくはないが、手足が長い。
手足が長いのは、確かに寝技に入った時に有利であることは確かだ。
”思い切りやれ”
小声で俺が龍之介に囁く。
彼は黙って頷き、レフェリーの求めるまま、リングの中央に向かった。
『決勝戦は特別ルールとする』
レフェリーがリングサイドに陣取っているプロモーター氏の顔色を窺いながら告げた。
『特別ルール』というのは、
・試合時間は1ラウンド一時間。
・決着がつかない場合は2分間のインターバルを挟んで30分づつ2ラウンドの延長戦を行う。
それで決着がつかない場合は、更に15分づつ、ラウンド数無制限で試合を継続する。
・急所への攻撃を除き、全ての打撃攻撃を解禁する。
・武器の使用は認めない。
・決着は判定やレフェリーの判断ではなく、単にどちらか一方が降伏の意志を示すか、失神するかのいずれかで決まる。
誠にシンプルかつ、残酷なルールになったわけだ。
突然のルール改変に会場からどよめきが起こったが、選手同士は特に顔色も変えなかった。
マイクを通して二人の声が聞こえる。
『異存はないね?』
『ありません』龍之介が答える。
『モチロン』
カルロス植田も涼しい顔で返した。
『よろしい。では別れて』
龍之介がコーナーに戻って来た。
『特別ルールとは考えたな。奴ら、君を完全に潰すつもりだぜ』
『”如何に正義の道とはいえど、身に降る火の粉は払わにゃならぬ・・・・”』
『何だって?』
『村田英雄ですよ』
そう言って龍之介はにやりと笑う。
参ったね。
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