第4話:かけがえのない友達

山ノ内町の話を続ける。当時住んでいた団地(といっても、たかだか三階建てだが)に親友と呼べる子が一人いた。

名前は確か、小島みのると言い私より一つ下だったと思う。団地の管理人の息子さんなのだが、妙に気が合った。

その頃父は経済的に余裕があったのか、住んでいたニ階のもう片方の部屋に空きができたのでそこも借りた。

父にしてみれば、身近に男の隠れ家を作ったようなものかもしれない。


その隠れ家を、父が運転代行で忙しい夜の間私とみのる君の遊び場として利用させてもらった。

山ノ内町は信州北部に位置することもあり、冬は豪雪地帯だった。ましてや夜ともなれば、室内でなければ遊べない。

思えばあの女は、あの頃まだ年端もいかない赤ん坊の世話を見つつ、夜は芸者仕事をしていた。精神的に不安定だったのだろう。

たぶん、仕事に出掛けるまでのそんな長くはない時間だったのかもしれない。

別室でみのる君と拙い漫画を描いたり、当時テレビでやっていた「ルパン三世」や「西遊記」を真似たごっこ遊びをしていた。

その中で記念碑的なのは、拙いながら私が「西遊記」のパロディ漫画を描いてみのる君を楽しませたことだ。

それは途中で三蔵法師が病で亡くなってしまうという、子供ながら(というより、子供だからこそと言える)残酷なシシュエーションだった。

結局、孫悟空ら三人は三蔵法師を弔った後筋斗雲で天竺まで行ってしまうという

長旅の苦労や味わいを無視した形のものだった。

子供心に恐らく、テレビの中で旅をする三蔵法師一行が各地で妖怪と闘いながら天竺を目指す意義が理解できなかったのかもしれない。

だから、三蔵法師を途中で殺してでも最速で天竺に行くなんてものを描いたのだろう。

子供というのは単純なもので、テレビもこういう具合にいけばいいのにと話し合ったものだ。

彼と遊ぶのは、大体一日一、二時間程度だったが至福のひと時だった。

帰り際、三階の自宅へ通じる階段の途中で、

「明日も遊ぼう、なっ、なっ!」

と言ってくれるのが嬉しかった。

彼とは無二の親友と信じていたし、みのる君との関係がその後も続いていれば、私も家庭の憂さも晴らせたし人間関係というものを良好に築けただろう。

しかし小学四年生の初めに、静岡の富士宮市に引っ越すことが決まった。父が職代えをするためだ。

正に青天の霹靂で、私には成す術がなかった。別れの日、彼の家を父に連れられて訪ねたが何も言えなかった。

ただ二人とも泣くまいとするように、涙をこらえていた気がする。

あれ以来、みのる君とは音信不通となった。結婚後、妻の両親が長野県出身ということもあり、度々信州に親戚回りも兼ねて旅行に訪れている。

山ノ内町にも度々温泉旅行に出掛けたが、小島みのる君の消息はわからず仕舞いだ。

もう一度、会ってみたいものだが。


※このブログは、毎月第1、第3土曜日に配信予定です。

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