第2話読書だけが救いだった

テレビでアニメやドリフのコントはよく観ていた。それでも小学校もだいぶ高学年になってくると、それすら観るのが禁じられてきた。

テレビの話題で友達と会話が成り立たないと寂しいと感じるものだ。

もっとも我が家の場合、転校に次ぐ転校の繰り返しで友達をつくるのに苦労した。

どうせ苦労してつくっても、転校したら一からやり直しなので自分から友達をつくる努力は放棄した。

当然人見知りとなり、私は読書に救いを見出していた。どこの学校に転校しても、図書室は確実にある。

私は図書室に入り浸り、さまざまな本を読んだ。主に伝記や学研の学習漫画に耽溺した。

漫画をくだらないものと切り捨てる父ですら、学研のひみつシリーズや日本の歴史シリーズだけは黙認してくれた。

寡兵でもって、鎌倉幕府の大軍を散々に苦しめた楠木正成を知ったのもそうだった。

織田信長はもちろん、その前における武田信玄と上杉謙信の激闘を知ったのも、学研の日本の歴史シリーズだ。

当時は歴史の流れというより、個人の活躍に興味があったので自然と伝記へと興味が移った。

ベートーヴェンが難聴にもめげず作曲を続けた話。アムンゼンが犬橇(いぬぞり)や当時最新鋭だった飛行船を使って、二度も南極点を制覇したエピソードなど。

伝記特に小学生の頃は、欧米の偉人伝に心を躍らせた。

中学生になると少し大人びて、斎藤道三や九鬼嘉隆など歴史の教科書には出ても名前の羅列だけで終わってしまうような人物に興味を持つようになった。

本当は楠木正成の伝記を読みたかったが、何故ないのか当時は謎だった。

やがて興味は世界の文学のダイジェスト版へと食指が動いた。

『レ=ミゼラブル』、『三国志』、『モンテ=クリスト伯』が特に心に響いた。

その中でも、ビクトル・ユゴーの『レ=ミゼラブル』は、主人公ジャン・ヴァル・ジャンやその養女となったコゼットの前半生が胸に刺さった。

どんなにつらいことがあっても、必ず誰かによって救い上げられ幸せな人生を切り開ける。

私が周りの大人に不信感を抱きながら、それでも人を信じてみようという気持ちを捨てなかったのはユゴーのあの名作に負うところが大きい。

後に高校時代に全訳版の全五巻を読み終えた時、ダイジェスト版とは違った感動を得た。

いつか自分もこんな感動的な小説を書けたらいいのだが。当時文芸部に所属していた私は、思いつつも自分には無理かもとあきらめてもいた。

"あの女"とは、中学三年生の秋に父と離婚してから縁が切れた。不遜にも"あの女"は、読書という私の唯一の楽しみさえも奪おうと画策した。

もしもその企みが成功していたら、私は今頃作家を目指すどころか読書する楽しみさえも失っていたかもしれない。

未遂に終わったことを、心底喜ぶばかりである。人が人の心を縛りつけようとする不遜さよ。


※このブログは、毎月第1、第3土曜日に転載予定です。

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