第7話「アナザー・スカイとは(1)」
「夢ではない、『ここも』現実なのだ」
どこかで聞いたような陳腐な台詞だが、この言葉をしっかり意識できなければ、この世界で長生きはできない。
それが『アナザー・スカイ』での不文律だ。
夢は眠っている間に見るもの。目覚めれば夢からも醒めて現実に戻る。
当たり前と言えば当たり前過ぎることだ。
しかし、現実世界の自分は、夢の中の自分が見る夢の中の存在でしかないのではないか、という疑問を感じたことはないだろうか。
古い昔、高名な思想家の一人が「胡蝶の夢」と言ったりもした。
だが、ある日を境にして、一部の若者たちが本当の「胡蝶の夢」いや、『ザ・ドリーム(夢)』を見るようになった。
思春期の頃、第二次性徴期を迎える頃など見始める時期に多少の個人差はあるが、一部の若者がある特定の『夢』を見るようになったのだ。
日本のオタク界隈では、16才の誕生日から見始めるという噂も、まことしやかに語らていたりする。
『夢』の内容は多少のご都合主義を除けば現実的で、『夢』は同一世界を形成していた。
特殊なのは、『夢』を見る者同士が同じ場所と時間に居合わせれば、その記憶や経験も共有できて、複数同時体験の場合でも普通の夢にありがちな矛盾は存在しない事だ。
しかも、現実で接点のない者同士でも、どれほど離れている者同士でも、『夢』の中で出会えば同じ記憶や体験が共有できた。
お互い言った内容を覚えたまま目を覚まし、それを起きてから記したら正確に合っていたという事例も数限りなく報告された。
しかし『夢』全体は、あまりにも荒唐無稽で、俗に言う一種の「幻想世界(ファンタジー・ワールド)」を形成していた。
そして『夢』を見る若者たちは、天空を見上げその世界の事を単に異世界とは言わず「別の空の世界」、『アナザー・スカイ』と呼んた。
この世界が『アナザー・スカイ』と言われる所以は、『夢』の中の世界での空、特に夜空に浮かぶ月が見知ったものと少し違っていたからだ。
夜空の月は二つ浮かんでいた。
一つは人類の知る月とほぼ同じだが、見た目でおおよそ10倍の大きさがあった。
つまりとても近い位置を巡っていると言う事になる。
当然巡りも早く、ちょうど一週間で一周して満月になれば日曜日というのは、ある意味非常に分かりやすい。自転と公転の関係で一晩中新月という事もなく、巨大な月は夜の支配者だった。
そして巨大な月の大きさに比例して潮の満ち引きも大きいため、海沿いの港湾や漁業としての利用が制限されていた。沿岸部の低地の利用も難しい場所が少なくなかった。
また月がそんな有様なので、この世界には春夏秋冬と1週間という単位でしか暦の区切りがなかった。「12月」がないのだ。
そしてその影響からか、12進数での数え方も普及していないとも言われる。
もう一つの月は、今は人類の知る月と比べるとかなり小さく、見た目には赤くぼんやりとしていた。
大きさや輝きに比べて光量が多く、僅かながら熱の放射で地球に影響を与えていた。
さらに昼間でも肉眼で普通に見ることができる。
そして何より、天体の運行が衛星のそれではなく惑星、中でも外惑星のものだった。
当然ながら、時期、年によっては全く見えない時もあるし、距離の違いで大きさもかなり変化した。
つまりこの月は、木星のような巨大な惑星が小さな太陽のように自ら輝きを放っている赤色矮星といわれる星だった。
そして不気味な外見と動き、そして運行に伴う気象の変化のため、『アナザー・スカイ』の住人達は畏怖を込めて「迷いの月」と呼んでいた。
そして大きく明るい月、赤くぼんやりとした小さな月という二つの月のため、特に満月の夜は明るかった。現代人の感覚だと、人工の明かりの多い夜の現代ほどの明るさにもなる。
しかも今は、近年で迷いの月の軌道が地球に最も近づく周期のため、夜が最も明るい時期となっていた。
話しが少し逸れたが、『夢』は単に現実的なだけでなく、現実の一日と平行していた。
『夢』を見る人は、『夢』の中で分身(アバター)とでも呼ぶべき別の体を持ち、そこで日々の暮らしを重ねていくことになる。
このため、まるでゲームのようだと表現する者も少なくないし、VR(バーチャル・リアリティ)の世界だと信じる者もいまだにかなりの数がいると言われる。
そして『夢』の中での分身は、姿こそ夢を見る当人に似ているが、常人離れした優れた肉体と向こうで暮らすための最低限の知識を予め持っていると言われている。
このため最も多い意見は、『夢』によって意識や魂だけが『夢』の中の世界に呼び出されているのだと言うものだ。
昨今では、異世界召還の一種だと言う者もいるという。
だが所詮は『夢』であり、目覚めると共に意識が現実に引き戻される点は、他の夢と何ら変わりなかった。
そして『夢』なので記憶が曖昧な事が多いとされ、逆に『夢』の中でも現実世界の記憶が曖昧な事が多いとも言われる。
それでも、『夢』は間違いなく現実世界としか思えないほど現実的なのだが、一つだけ現実と大きく違っている事があった。
肉体が一定以上の強い痛みや苦しみを感じないのだ。
痛覚でもある触覚を含めた全ての五感だけでなく、人の気配を察知したり第六感すら働くが、一定以上の肉体的な痛みや苦しみがほとんど感じられなかった。
仮に大病を患っても、体が傷つくことで動きが鈍くなっても、死の間際ですら強い痛みや苦しみはなかった。
この事について、ごく単純に自身が体験したことのない感覚なので、『夢』の中で再現されないのだと考えられていた。
そしてだからこそ、どれだけ現実的な夢であっても、社会現象や超常現象と言われつつも、現実世界ではあくまで夢としか判断されなかった。
また、『夢』を見るようになっても、たいていの人はいつしか『夢』を見なくなっていく。
終わりのパターンは大きく三つ。
一つ目は、『夢』を何らかの形で拒絶する場合。
興味が無い、怖い、気持ち悪いが、主な拒絶の理由だ。そして、『夢』を見始めた思春期の子供達の過半数を占めた。途中離脱者もこの場合が多い。
二つ目は、徐々に現実世界で年齢を重ねる場合。
これには大きく個人差があるが、二十代半ばぐらいが一般的な限界だとされる。
半ば冗談と嘲笑を込めて、限界年齢以上に『夢』を見続ける者を『賢者(ワイズマン)』と呼んだりもする。
同じように、10年以上の長期間『夢』を見続ける者も『賢者』や『大賢者』と呼ぶ。
最後の一つは、『夢』の世界で死んでしまう場合。
そして現実世界よりも危険が多い『夢』の世界、『アナザー・スカイ』では、痛みを感じない事も重なってか現実世界よりも簡単に死んでしまう。
一般説では、3年から5年程度で脱落、ドロップアウトする場合が多いとされる。
他にも『夢』の世界には、現代に存在する娯楽や情報通信媒体が皆無の為、退屈になって『夢』を見なくなる者も少なからずいると言われる。
普通、夢を見るのは現実世界での数分から数十分程度と言われても、『夢』の向こうでは向こうの夜の睡眠以外の一日を丸々過ごさねばならないなら尚更だった。
しかも、どこに行っても多くが中世から近世初期くらいの文明レベルなので、現代人の感覚だと非常に不便だった。
このため、現実の知識や技術を『夢』の世界で再現しようとする者も数知れないと言われる。
自らの目的を『夢』の世界での現代文明の再構築だと考えている者もいるほどだ。
そうしたハードルが有るため、『夢』を見続ける人、見続けられる人は多くない。
多くの者は、年齢を重ねる以外の理由で『夢』を見なくなる。『夢』を見続ける者の数は、初期脱落組を合わせても『夢』を見た事がある者のうち30%程度と言われる。
だが正確な統計を取ったり調査したわけではないので、この数字ですら主にインターネット上での噂や推計でしかない。
しかし、現象が発現した当初は、異質さと、『夢』が現実世界の子供達に与える心理的影響に一部の社会、大人達も注目した。
心理的衝撃が大きい場合もあるため、『夢』を見る者の精神障害、PTSD、さらには犯罪までもが世界各地で発生したと言われる。
このため、一種の症候群や精神病だと考えた大人たちの一部も、研究や対策に乗り出した。
オカルト現象の一種とも考えられたので、主にマイナー、もしくはアンダーグラウンドで一定規模のムーブメントも生んだ。
しかし、科学的、医学的、心理学的な解明は遂になされなかった。
いくつか分かったことと言えば、普通の夢と違って最も深い眠りの間にだけ『夢』を見る事。
その間は意識不明の状態に近く決して起こせない事。脳波が弱くなる場合も見られた。
あとは、『夢』を見る者同士によってインターネット上などで公表された『アナザー・スカイ』の概要ぐらいだった。
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