第三十六話 大好きな人の大嫌いな息子

 心臓を鎌で貫かれたひばりは、確実にあの時に死んでいたはずだ。

 ……はずだけど、鎖を破壊した後、クロスロンドンで目が醒めたぼくの前に現れた。


 死に神憑きの死は、鎖の破壊と同義――、

 つまり、あの時のひばりの死が意味するのは、命を失うことではなく、人間としての存在を死に神に明け渡すことである。


 生き返ったのではなく、元々死んでいなかった。

 死んでいるように見えただけだ。


 そうは言っても、胸を貫かれた痛みとショックが消えたわけではない。

 時折、ひばりは貫かれた胸に走る実際にはない痛みに顔をしかめていた。


 刃物を見ると体が震え出すトラウマまで抱えて――。


「別に、あんたにお願いしたいわけじゃないのよ」


 オウガから人間としての自分を取り戻すため、死に神のシステムと同時に、考えた計画をぼくたち(周りには夏葉さんと知秋がいた)に説明し終えたひばりがそう言ったのだ。


 どの口が言うの? 

 と全員が思ったものだけど、誰も口にはしなかった。


「ただ、オウガは墓杜家を徹底的に潰そうとしてる。目撃者を含め、自分を知る人間は誰一人生かしてはおかないようね。……遅かれ早かれ、ひつぎと入れ替わった初も、春日さんも……いや、あんたの母親も、オウガに殺される」


「……オウガを止めるためには、ひばりと入れ替えた方が早いってこと……?」


「倒すよりは可能性があるでしょ。追い詰め過ぎると、あいつはなにをしでかすか分からないわよ? ある程度の逃げ道を用意した方が、一旦はあいつも目的を諦めて元のレールに戻ると思う。あいつの自由への執着は、はっきり言って異常の域に達してる……死に神としてはスタンダートらしいけど、だとしても、やり過ぎよ」


 確かに、普通なら入れ替わった人間の容れ物を借りて、その上で生きていくところを、オウガはそれすら壊して、新しい容れ物を一から作り、そこに収まるつもりなのだ。


 ひばりが積み上げた生い立ちを気に入らなかったのではなく(それもあるかもしれないけど)、たとえ誰の容れ物だったとしても、オウガは同じことをしただろう。


 誰かの容れ物でなく、『自分』を意識している。

 初が異端だと思われているようだけど、オウガも充分に異端だ。


「仮に元に戻れたとして、その死に神はこの先で同じことを繰り返すわけでしょ?」


 夏葉さんがそう指摘した。


「死に神と人間の命が共有されてるわけでもないし、わざわざ入れ替わるまでもなく、倒しちゃっていいでしょ。容れ物の中に入っていた死に神が消えれば、自然とひばりが収まるわけだし……」


「まあ、オウガを殺す方が、話は早いわよ……でもね」


 ひばりは、オウガを追い詰めること自体はできると思っているようだ。

 ぼくと初が元に戻れば能力が使えるわけだし、能力者と無能力者の差は、いくら身体能力に大きな差があっても詰まることはない……とは、ひばりの考えだった。


「さっきも言ったけど、追い詰め過ぎるとなにをしでかすか分からないのよ、あいつは。合理的に動くから、選択肢と言いつつも一つの道しか実質なければそこへ進むことに拒絶するあいつではない気がする……逆に、逃げ道も存在せず、目的が達成できない『敗北』を目の前に突きつけられたら――」


「……突きつけられたら?」

「どうせこのまま死ぬなら、って、死ぬ覚悟で反撃するでしょうね」


 打開策をこじ開けるために使える手をなんでも使って生き延びようとする。

 そのがむしゃらを、オウガがしたとなれば、こっちの被害は大きいだろう。


「だから、あたしの計画に乗っておくのが一番良いとは思うのよね……どう?」

「どうって言われても……」


 それこそ、実質、こっちに選択肢はないような気がする。


「はっきり言いなよ」


 すると、ポニーテールでなく、髪を下ろした知秋が責めるように言った。

 夏葉さんを前にしているから、昔と同じ髪型に戻しているらしい。


 クラス担任になった夏葉さんがその時に知秋に気付かなかったのは、髪型一つと人との接し方で、がらりと雰囲気が変わっていたからみたいだ。


 昔の知秋は、もっとおとなしかったのだと言う。

 ただでさえ死別したのは二十年前になるし……気付かないのも無理ないだろう。


「はっきりって……なにがよ」

「助けてほしいって言えばいいじゃん」

「別に、助けてほしいわけじゃ……」

「ひつぎの目的にかこつけて、自分の利益を差し込むなんて、卑怯な女ね……」


 知秋の言葉には、極太い棘が含まれていた。

 ぼくは別に、卑怯とまでは思っていないけど……。

 ひばりは提案をしているだけで、命令しているわけではない。

 乗るか反るかは、当然、ぼくに権利があるわけだ。


「その選択肢が実質、一つしかないって話でしょ。乗らなかったらオウガを倒すしかなくなるし、追い詰めれば相手がなにをしでかすか分からない……危険な目に遭うのはひつぎなのよ? 初がいたら当たり前に見抜いていたはずだよ……。やっぱり、ひつぎ一人だと自分に降りかかる火の粉を払うどころか、気付きもしないみたいね」


「ご、ごめん……」

「……怒ってないよ」


 怒ってない人の言い方じゃないよね……?


「ひつぎには、ね。怒ってるとしたら、ひばりに」

「…………」


 ひばりはふて腐れたように、


「あたしは、ひつぎのことが大嫌いなのよ」

「だから?」


 知秋の冷たい目は変わらずひばりを見つめる。


「…………助けて、なんて、言いたくなかった。

 借りなんて作りたくなかった。

 だから目的のために通る仕方ない道順に、あたしの目的を置いただけよ」


 ひばりがぼくを敵視するのは分かる……母さんを蔑ろにしていたからだ。

 母さんの気持ちも、努力も、犠牲も知らないで、敵だと決めつけていたから。


 母さんを置いて、家出なんてしたから――。


「あの人を困らせて、苦しめて……ッ、絶対に、許さない……ッ! 

 そんなやつに頭を下げて、『助けて』なんて、口が裂けても言えるわけがないッッ!!」


 共闘はあくまでも一時的なものだ。

 仲睦まじく見えても、腹の中では積み重ねた鬱憤が相も変わらず煮えたぎっている。


 知秋が視線をぼくに向けてきた。


「じゃあ、ひつぎは今、春日……母親のことを、どう思ってるの?」


 ひばりの怒りの源は、ぼくが母さんのことをよく知らずに拒絶をしているからだ。

 なら、そこが解決してしまえば、ぼくとひばりが敵対する理由もなくなる。


「……知らなかったとは言え、親不孝なことをしていたって、思うよ……」


 だから初だけじゃない、母さんのこともオウガから守りたいって、思う。

 死なせるわけにはいかない。

 だって、まだ一言も謝っていないんだから。


 ……言うタイミングは何度もあった。

 だけど、ありがとうさえ、言えていない。


「もう知ってる、全部」


 母さんのこと。

 昔のこと。


 ――ぼくへの愛情も、全部。


「だから、ひばりの計画に乗るよ」

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