第三話 幽霊の教室

 聞き返す前に、教室の扉が開いた。

 登壇したのは、確かにおれが知っている人物だった。


 いつもなら、ジャージかスウェットの上下を身につけている(しかも外出も基本的にそれだ)隣の部屋のお姉さんが、ぴしっとしたスーツを纏って現れた。


 今日の朝も見たばかりだけど、まさかここで会うとは思わなかったので、思わず大きな声が出た。


「な、夏葉さん!?」


 声に気付いておれを一瞥したものの、先生モードに入っているのか、すぐに視線をはずして黒板の前へ。

 教卓の前に立つと夏葉さんの小柄な身長だと肩が出ず、生首が置かれているみたいで……、

 でも、この町らしいと言えば、らしいけど。


「なにか文句でも?」


 夏葉さんが笑顔で言った。

 笑っているけど、言い方が怖い……。


 周りがひそひそと話し始めたが、よく聞いてみると夏葉さんへの批判の声はない。

 低身長で、子供っぽいというのが夏葉さんにとってどう捉えているか分からないが、おれが聞いた感じ、マイナスイメージではない気がする。


「こほんっ。私が新しく――あ、ありがとうございます」


「いえいえっ」


 と、特徴的なポニーテールを揺らしながら、夏葉さんの目の前の教卓を横にずらしていた。


 改めて、夏葉さんが咳払いをする(多分、威厳を出そうとしているんだろう)。


「こほんっ――では、改め」

「夏葉、風邪?」


 初が、鋭い眼光で夏葉さんを睨んでいた。

 こほんっ、という咳払いを体調不良だと勘違いした……のかもしれない。


 ほぼ、一緒に暮らしている家族みたいなものだし、食生活から始まり、部屋の掃除に至るまで世話をしている初からしたら、心配なのだろう。


 もしくは、徹底して管理しているのに、引くはずのない風邪を引いていることに、自分への許せない気持ち、または、夏葉さんの勝手な行動を疑った……? 

 夏葉さんのことだから、禁酒させられてもどこかで飲んでいそうだし。


 夏葉さんの目が泳いでいるので、全てを見透かしたような初の眼力に、ばれるはずのないことでもばれていると錯覚したか。

 気持ちはよく分かる。


「……夕映ゆうばえ、夏葉、です……クラス担任です……よろしく……します」


 次第にしぼんでいく挨拶の最後の方は、よく聞こえなかった。


 威厳を保とうとして失敗した上に、初との上下関係もクラスのみんなにばれてしまったみたいだ。

 原因の初は、夏葉さんの落ち込みように疑問の様子だ。


 ……やっぱり、初に責める気はなく、心配していただけみたいだ。

 全てを見透かしたような目で見られると、こっちの罪悪感が募るんだよなあ……。


 かと言って、隠し事がばれてないわけでもなさそうだし(見透かしているんじゃなくて単純に同じ時間、同じ空間にいるのだから、動作や癖でばれている可能性の方が高い)。


「夏葉先生、よろしくっ!」

「……はい! 私も勉強中ですが、よろしくお願いします!」


 さすが快活なポニーテール! 

 夏葉さんのテンションを一気に引き上げていた。


「へー、夏葉さんって、教員免許持ってたんだ」

「持ってませんよ?」


 え?


「まだ、持っていませんよ?」


 言い直していたが、だとしても、え? 

 いやまあ、なくても教えることはできるだろうけど……、

 学校で、教師として、プロとしてお金を貰う以上、免許は必要なんじゃ……。


「人手不足だから、もう誰でもいい……?」


 初が、多分だけど、真実を突いた。


 教科書片手に決められた課題を出すだけなら、確かにアルバイト感覚でもできそうな気もするけど……、

 クロスロンドン内では、家賃や物価が極端に低くとも、質だけはなんとか保っていたが、人材においては質を下げるしかなくなったようだ……。


 なんだか、日本国内にいながら、どんどん孤立していってる気がする。

 同じ穴の狢に出会えたことで輪に混ざれたと思っていたが、結局、普通の人からは弾かれたままなのは変わりない。

 友人の輪だったのが、社会という規模に拡大したのを、夏葉さんを通して思い知らされた気分だ。


 直接言われるよりも、自分で気付いてしまった方が、ショックは大きかった。


「さてっ、それじゃあ早速授業を――」

「あの、先生……? 扉の外にいる子は誰かなー、なんて……」


 代表して、控えめに揺れるポニーテールが、扉の外の状況に触れる。


 廊下側の生徒は気付きにくいが、おれや初が座る真ん中の列から窓側の生徒はよく見えている。

 見えないものが間違って見えているのかと思ったが、この町に限りそれはない。


「扉の外……? ひっ!?」


 バァンッ!! と扉が強く開かれた。


 ずんずんっ、と入ってきたのは、染めるのに失敗したようなくすんだ金髪を、ツインテールにした少女だ。


「あ、わ、渡曾わたらい、さん……」

「言われてた予定と違うんですけど」


 ぴんっ、と姿勢を正して、夏葉さんが、


「はいぃぃ!」


 と敬礼した。


 ……やっぱり、家事だけじゃなくて夏葉さんは仕事ぶりもポンコツみたいだ。

 でも、確かにこれくらいのミスを連発しないと、初日でバイトをクビになったりはしないか……。


「説明。してください」

「は、はいっ、わ、私も、もう絶対に取りこぼせない仕事に気合いが入りすぎて、緊張していたというか……」


「あたしを忘れてた説明じゃないわよ! みんなに! あたしの! 説・明・を!」

「そうですよねっ、ごめんなさいっっ!!」


 夏葉さんが、遅れて転校生の紹介をし始めた。

 ……なんとなく分かってはいたけど。


 転校生も自分で言った、「忘れられてた」ことに、ガクッと肩を落としていた。

 冗談にしては悪質だけど、こんな結果なら冗談の方がマシだっただろう。


 扉の外で待っていたらそのまま授業が始まってしまった時、教室に入るにも勇気がいるよなあ……。

 仕方ないとはいえ、よく入ってきたと思う。


 すると、周りから、ひそひそと話し声が漏れてくる。

 もちろん、転校生についての話題だ。


 くすんだ金髪のところどころが黒く、色が落ちているのは、幽霊たちの間では髪色を染めることは不良の証、との印象らしい。

 怯えを見せる幽霊たちだが、でも実際はあんたらの方が本当は怖がられる対象のはずだ。


 ここにいるなら転校生もそうだろうし、同じ環境下であるなら立場が逆転する……?

 不良って、やっぱり人間関係のヒエラルキーの中では上なのか。


「あの眼帯……」


 と誰かがぼそっと呟いた。

 近くの席のおれでもかろうじて聞こえたくらいの声の大きさにもかかわらず、転校生が一番、それに反応した。


「誰が中二病よ!? 違うわよ! これは単純に怪我で、治療中なんだからっ!!」


 左目を覆う黒い眼帯。

 ……自覚はあったものの、治療のためならばかけざるを得なかったのだろう。

 そう思われると意識していたからこそ、敏感に気付いたのだ。


 まだ誰も、明確に中二病とは言っていないのに。


 あと、制服に隠れて分かりづらいが、スカートが少しでも揺れると、ちらりと見える、太ももに巻かれた包帯が見える。

 それもきっと、中二病に結びつけられたのだろうけど、そこについて誰も触れないのは、おれも共感できる。

 巻いてる場所が場所だけに、どうしてそこを見ていたんだと詰問されかねない。


 それに、眼帯と違って意図的に隠しているようにも見えるし、触れづらいのもある(眼帯は隠しようがないしな)。


「じゃあ、渡會ひばりさんは、空いている席に……あ」


 埋まっているように見えて、ほぼ席が空いているため、どこでも座れる。

 ただ、一応は座るために、いま使っている幽霊にどいてもらわなくてはならない。


 転校生は、なぜかおれの横の席に座った。


「あっ、そこ、わたしの席なのに!!」


 ポニーテールを激しく揺らしながら、抗議をする声に、


「だからなに?」


 夏葉さんも注意できないみたいだ。

 出席簿を持っているから、そこは本来なら空いている席なのだと分かっているためだろう。


「だ、だからなに、って……!」

「文句あるの?」


 相手に反抗心を与えない力強い視線に、ポニーテールがしゅんとうなだれる。


 助けを求めるようにおれを見てくる視線に、さすがにおれもなにか言わないと……、

 しかし、かけようとして開いた口が、転校生によって遮られた。


 おれにしか分からない事情を携えて。


「あんたを、連れ戻しにきたから」

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