三十、草原よ

「何の歌ですか」

「陛下なら聞くまでもないでしょう」

「ネットで答えは見つかりますが、聞きたいのです」


「日本に残ったのは陛下だけですが、なにかお困りの事やご不便はありませんか」

 答えずに話を変えた。

「いいえ。私に何かできる者などいませんよ。あ、そうそう、死についても十分に偽装をしています。彼らは今だに真相にたどり着けていません。哀れになるくらい足を使う事をしないのです」


 片倉は川沿いにトラックを止め、伸びた髪を風になびかせていた。ただし、川と言うよりも、洪水でえぐれた溝と言った方がぴったりくる。水があるのに周囲にはまばらにしか草木がない。それでも地図上は川で、日本語で『麗しき乙女の髪』と訳せる名前が付けられていた。


 その地図は西の丘に駐屯地の廃墟があると表示していた。ブートストラップの可能性。


「それは心配です。私の脱出と偽装が成功したのも足を使いたがらない奴らのおかげですが、椅子に座っていては物事の核にはたどりつけないとなぜ分からないのかな」


 水面で魚が跳ねる。


「融合体、いや、我々の子の調子はどうですか」

 陛下が尋ねた。

「最高です。効率のいい太陽電池をありがとう。届いてすぐ貼り付けました。今では黒い箱ではありませんよ」

 そちらに振り返った片倉の目に反射光が飛び込む。くしゃみを一つ。鼻水が出かかったので上を向く。


 空は青い。青い無限だった。


「ひげは剃らないのですか。むさくるしい」

「ここでは剃らない方がいい。実用なんです。日除け、虫除け、砂埃から顔の保護。意味があるんです」

「だから風呂にも入らないのですね。埃と垢で肌を覆っているのも保護の為ですか。泥壁の家のように」

「まあ、そうです。それにしても陛下はいつの間に私の親になったのですか」

「そういう言い方はやめて、清潔にしなさい。日除けや虫除けスプレーは送ります」


 日差しは強い。日本とはまた違う。湿気の少ない空気は光をぼかさない。透き通った針となって川面に降り注ぎ、砕けて魚に食われた。


「何の歌なんです?」

「草原の歌です」

「そこは砂埃だらけで草原じゃないですよね」

「だから草原の歌です」


 雑音が聞こえた。


 片倉は理解した。陛下は笑っている。


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