二十四、愚昧は敵か
様々な調整を済まし、和歌山駅に降りたのは二週間後だった。迎えの車に乗って有田市方面に向かう。朝日を浴びながら山を登り、古びた集会所のような建物に案内された。周囲は荒れた元みかん畑が広がり、しなびた実が風に揺れ、鳥につつかれている。
「なるほど、こういう場所なら秘密保持にはぴったりですね」
片倉が言うと、案内人は笑った。しかし迎えに来た時からそうだが手ぶりのみでまったく話さない。そのまま建物の中には入らず帰っていった。
「どうぞ、片倉さん。お待ちしておりました」
玩具店の店主と鑑定人だった。中にはさらに人の気配がする。全部で五人集まってもらっているはずだった。
建物は驚くほど東陽坂の集会所を連想させた。機能が同じなら形も同じようになるのだろう。部屋は畳敷きに大きなテーブルがあり、その周りに座布団が六つきちんと並べられていた。そのうちの一つに勧められるまま座る。周り中ふすまで特に警戒されている様子はなかった。閉じ込めようともしていない。仮に何かあっても飛び出そうと思えば簡単に飛び出せる。通信妨害もない。そういう部屋だった。
「ロー・テクでしょう?」
上座にいる年寄りがしわがれた声で言った。ただ年寄りというのではなく、木下を連想させた。
「片倉さんです。例の」店主が説明した。
「片倉渉です。今日はお集まり頂きありがとうございます。急に無理をお願いして申し訳ありませんでした」
年寄りを中心に周囲にも目をやる。残りの二人は店主と同年代で男女一名ずつだった。鑑定人が茶を運んできた。男が手伝って並べる。
年寄りが茶をすすると話が始まった。
「我々に聞きたいことがある、と。何でしょう?」
「遠回しな探りはなしです。私が知りたいのは皆さん自身についてです。反政府、反天皇を掲げていらっしゃいますが、何を目指し、どのような社会にされたいのでしょうか」
「何と言われてもこの活動はやめませんよ」
女性が言い、片倉は首を振る。
「やめなくて結構です。陛下もそうおっしゃっています。反政府運動は今の日本に必要です」
年寄りが茶を吹いて咳き込んだ。隣の男が背をなでて拭いた。咳が治まると老人は不思議そうに聞いた。
「では、
皮肉っぽく発音した。
「かも知れません。私には分かりません。しかし、疑問に思っていらっしゃるのは確かです。仮にあなた方の対人工知能ナノマシンが正常に動作し、陛下たちがただの道具になったとしましょう。そして日本政府が倒れたともします。その後どうされるつもりだったのですか」
「どうもしません。人々は人々のしたいようにすればいい」
店主が言い、周りもうなずいた。片倉は顔をしかめた。
「それは無責任過ぎます。無政府状態に処理能力の落ちた人工知能。人々の生死に関わります。本当に何の代替策もなしに運動を進めていたのですか」
「そうです。権力による抑圧がなくなれば人々は自然に落ち着くべき所に落ち着きます。そうなるまでに生じる損害は必要経費です」
片倉はそう言った男のほうを向いた。
「命が経費ですか。皆さんそんなお考えなのですか。そうなら陛下のほうがよっぽど血が通っていますね」
老人が机を叩く。
「人はどのような力にも押さえつけられるべきではない。真の自由を得る為に命という貨幣を支払う。公平ではありませんか。片倉さん、あなたが我々の計画に噛みこんでこなければ今頃かなりの進行を見ていたはずです。恨みますよ」
「今となっては別の意味で噛んでよかったと思います。そんな非人道的な考えを軸にした運動だったとは驚くしかありません」
「我々を逮捕するのですか。運動を潰すのですか」
「私個人としてはそうしたい。しかし陛下はそうはなさらないでしょう。あなた方について知るだけで十分とされるはずです」
「お情けで泳がされるのか。そっちの方が残酷ですね」
鑑定人が言うともう一人の女性もうなずいた。片倉は茶を飲む。
「情けではありません。陛下は常に日本人の幸福を願っておられます。だからこそ不思議に思っていらっしゃるのです。反政府や反天皇を掲げながら代替案を提示した組織は一割に満たない。そこがどうしても納得できなかったのです。それで私を調査に送り出したのですが、そもそもそんな事は考えてもいらっしゃらなかったのですね」
机の周りの五人はみな頷いた。老人が口を開く。
「私たちはロー・テクでアナーキーなのです。片倉さん」
「嘘はやめて下さい。ナノマシンはロー・テクではありません。科学者や技術者連中までそんな無政府主義にかぶれているのですか」
「大分裂時代を懐かしむ人間もいるのです。そこは分かって下さい」
「馬鹿な。ナノマシン開発と量産が可能になったのは国家としてまとまったからこそでしょう? 情報や技術の高度な集積は大分裂時代には無理だったはずです。ああ、あなた方は矛盾ばかりで支離滅裂だ。建国したからこそ出来た技術を使って国をばらばらにする計画だったなんて」
「では、あなたの視覚コードは何だったのですか。我々のナノマシンにただ乗りして何をしようとしていたのですか」
鑑定人が横から口をはさんだ。片倉は睨む。
「それは今は関係ありません。話す気もありません」
「あなたも何かの組織の一員として動いているのですか。それとも個人的プロジェクトですか」
「個人です」
「それであんなコードを開発できた?」
「さっきただ乗りとおっしゃったが、それはその通りです。すでにあなた方のナノマシンがあったので感染や侵入、組み込みは考えなくてよかった。命令を上書きするだけだったので開発に困難はなかったし、細分化して発注できたのでまとめあげた私以外に詳細を知る者はいません」
「人工知能のチェック体制やこちらのナノマシンの技術レベルを考えるとそんないい加減なコードとは思えませんが。製作期間だってなかったはずです。やはり何らかの組織で動いていたのでしょう?」
「いいえ。個人です。しかし、もうあんな休暇や睡眠を取らない乱暴な体制の開発は御免です。体も壊しました」
「なら、そう言う事にしておきましょう。でもあんなコードを組み込んでおいて説明できないのに私たちを批判するのは身勝手というものです。それに
「私は組織に所属せず泳ぎ回るだけで、組織そのものは否定していません。国家という集団もです」
店主が腕を組んだ。黙ってしまった鑑定人に続いて口を開く。
「あなたについては調べました。なるほど建国してからは広報室長となかなかに要領良く立ち回られたようだ。しかしまた
「私は無政府主義ではありませんが、個人としての自由は貴びます。陛下の広報室は興味深い仕事ですが、すまじきものは宮仕え。無性に一人でいたくなっただけです」
「この仕事を受けられたのは? 実はまだ繋がりがあるのでしょう。陛下と」
「そう思われても仕方ありませんが、面白そうな仕事だから受けただけです」
「面白そう?」
「反政府を表明して運動している人々の行動原理が知りたかった。群れて暮らす動物が群れを否定する。それだけではなく破壊しようとする。なぜか知りたくなって当然でしょう。無政府主義というのは自滅願望ですか」
「そんな幼稚なものではありません」
「そうは言っても大分裂時代に戻そうと言うだけで現在の政府に代わる受け皿を用意しようとすらしていないですよね。自然の成り行きに任せようという無責任さだけが目立つように感じましたが」
「それこそアナーキズムです。上から押さえつける力の否定です。力はすべて底辺の人々から草の芽のように萌え出づるものでなくてはなりません」
「大分裂時代はそうだったとでも?」
「かなり近い所まで行っていました。世界中が組織という中小集団に分割され、それぞれが緩やかに結びついていました。なのに日本と少数の島嶼国家は時代に逆行する誤った道を選んだのです。だから我々は間違いは正すべきと考えたのです。当然でしょう」
片倉はすっかり冷めた茶を飲みほした。誰もお代わりを注ごうとはしない。
「今日は皆さんとお話しできて良かった。と同時にこれほどまで自分とかけ離れた考え方を浴びせられて戸惑いもあり、頭の整理もつきません。しかし、いずれにせよ皆さんの計画は完全に失敗し、今後実現する見通しもありません。この計画にかかわった大勢の人々が、日本においてそれぞれの人生をよりよく生きて頂ければと思います」
片倉が立ち上がるのに合わせて老人も立ち、他の皆も立った。見送りながら老人が言った。
「片倉さん、あなたという人は残酷です。優しすぎて残酷なのです。それを自覚していないのは愚昧です」
「心に留めてはおきます。私を優しいと評価したのはあなたが初めてではありませんが、優しすぎるとは初めてです。愚昧と言うのも。さっぱり意味が分かりません」
「愚昧さを完全に理解する人などいませんよ。あなたの正直さは気に入りました。では、さようなら」
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