十一、雨の予報
「お久しぶりです。仕事上の関係ではありますが、客分としてお迎えします。部屋は後ほど案内させましょう」
木下の右目の下には傷があったが、聞いていなければ見逃すほど目立たなかった。
「ありがとうございます。想像していたほどのお怪我でなく幸いでした」
「なに、いや、この程度。しかし、相手が気に入りません。人間ならともかく」
風が強くなってきた。最近の予報はあてにならないが、台風が来ているとの事だった。
「管理体とは話されましたか」
「まだですが。片倉さんはそうされるおつもりですか」
「はい。今回はあれこれと情報収集したり外堀を固めたりするより直接相手に問いただすつもりです。襲撃を試みたのですから、証拠はなくても釘をさしておかないとつけ上がります」
「お願いしているのは目的の調査のみですが」
「わかっております。しかしながら、私も被害者ですのでその点を見逃すわけには参りません」
「冷静にお願いしますよ」
木下は微笑んだ。
案内された部屋は六畳の和室が二つつながっていた。片方に机があり、もう一方には布団が敷いてあった。ふすまには海浜が描かれており、色を使わず、遠くに漁船、近くにはひびが立てられていた。
荷物を置いた頃に呼ばれ、別室に案内された。小さく、殺風景な部屋だった。机と椅子がきちんと並べられており、株主親睦会で使った機器が置いてあった。
片倉を案内した男が出ていくと、入れ替わりに太った男が入ってきた。上着を脱いでネクタイも外したワイシャツ姿だった。
「始めますか」
片倉の返事を待たずに机上の端末を取って操作した。
「これは片倉さん、お久しぶりです。その後いかがですか」
気のせいか、声の調子は前よりもっと人間臭くなっていた。
「どうも。大変お世話になりましたね。今日は色々とお伺いしたい事がありまして、木下さんに機会を作って頂きました」
片倉は右小指をなでながら言った。太った男は端末に指を走らせている。紙のメモ帳とペンも置いていた。
「そうですか。私に聞きたい事とはなんでしょう」
「
「その通りです。そして、そのようになりました」
「いいえ。開明興業代表や幹部連の盃事がまだです」
「それは伝統的な儀式であり、すでになされた合意とは無関係です。現在東陽坂組織連合の警備組織は
「儀式を執り行い、伝統的な価値観を満足させる意味は分かっているはずです。管理体、とぼけてはいけません」
「儀式については知識として知っているのみです。水野も坂下も、それにもちろん私も強要する事はできません」
「そうしなかった結果、警備組織の分裂状態が続き、暴力的な襲撃があった事実に対し、どう思いますか」
「遺憾に思います。残念です。しかし、その責任は水野たち東陽坂の幹部にあります。私は浄水場の管理組織に過ぎません」
「今あなたが東陽坂幹部に責任があると言った『襲撃』とは誰に対するものです?」
管理体はすぐ返事をせず間が空いた。太った男が声を立てないように笑った。
「
「その襲撃の責任が水野さんたちにあるのですか。おかしいですね。襲撃者は不明のはずでは?」
「複数の二次的な情報から開明興業の関係者が絡んでいると推測しました。東陽坂組織連合の幹部たちは警備組織間の感情的対立をおさめるようもっと努力しなければいけません」
「それは元開明興業代表や幹部連に対する告発ですか」
「いいえ。私の推測を加えて事実を整理しただけです。考えるくらいの事は私にだってできます」
「考える。そうですね。管理体、あなたは東陽坂組織連合における自分の位置について考えた事がありますか」
「もちろんです」
「では、警備組織間の感情的対立が穏やかに終息するよう行動できる立場にあると思いませんか」
「おっしゃる意味がわかりません」
「あなたはここでなにをしたいのですか」
管理体はまた黙った。太った男は今度は笑わずペンでメモ帳をとんとんつついていた。小さな点が並ぶ。
「片倉さん。あなたがそういう質問をする意図がわかりません。また、答える意義もわかりません。これはなんですか。訊問ですか。そんな権限はないはずです。答えたくありません」
息を吸い込み、右小指をなでて片倉は言い返した。
「さっき私が言った『暴力的な襲撃』とは、私に対するものの事でもあります」
「わかりません。片倉さん、襲撃されたのですか。初耳です」
太った男が点々でいっぱいのメモを見せる。『冷静に!!』
片倉はうなずいた。
「そう。私は襲われました。落とし前をつけろと。解散の原因は私にある、と誤解したようです」
「開明興業が、ですか」
「第三者組織が背後にいます。『雪ん子の会』の後押しを受け組織となった存在です。ついでに両警備組織の宥和を期待されていました。しかし、宥和ではなく片方の解散と吸収という形に持って行ったようですね」
「解散の原因については誤解ではなく真実でしょう。『雪ん子の会』に助言したのはあなたでは?」
「なぜそれを?」
太った男は口を押さえて後ろを向いた。笑い声がかすかに漏れ聞こえ、肩が震えている。つられて片倉も口角を曲げた。さらに畳み掛ける。
「管理体。あなたは色々と我々に隠し事があるようですね。それに盗み聞きも得意のようだ。でも今は咎め立てしません。私だって情報収集には様々な手段を用いますから」
芝居がかった間をおく。
「だがしかし、あなたは二件の襲撃の中心的存在として疑われています。いや、ほぼ確実でしょう。さあ、あなたの行動の目的を話して下さい。こういった襲撃の先にはなにがあるのですか。あなたに見えている明日を教えて下さい」
落ち着いてきたとは言え、太った男はまだ肩を揺すっている。
「この話を知り得る組織は他にも存在するのですか」
「それを知っても無意味でしょう」
管理体は返事をしない。黙ったまま三十秒ほど過ぎた。機器の状況表示は正常なので放置したまま待った。その間に太った男はやっと平静を取り戻した。
「私の究極の目的は公共の福祉です。人々の幸福です。社会は大分裂により多くのものを失いました。以前なら上下水は最低限の公共サービスでした。しかし今は力として使えます。きれいな水欲しさに人や組織が動くのです。そんな馬鹿な。たかが水ですよ」
「社会科の授業ですか。ごまかさないで下さい」
「片倉さん。まだ分かりませんか。いいえ、分かっているのに目をそらしているのですか。大分裂以後、人々は組織という集団を単位に細々と生き延びてきました。しかしそれは過去の遺産を食いつぶしているだけです。組織の離合集散のなか、公共財は維持すら怪しい状態なのは荒れた道路を見れば明らかです」
「だから、市町村や都道府県といった昔の自治単位を復活させるつもりなのですか」
「いいえ。私が復活させたいのは国家です」
太った男は我慢できずに吹き出した。
「失礼」
「笑われても仕方ありません。でも、市町村や都道府県では小さすぎます。巨大な組織集団を作ったのと変わりありません。集合した組織が質的に変貌を遂げるには国家ほどの大規模なまとまりになる必要があります」
二人は黙っている。
「人間は大きな目標を掲げて、それを『夢』と言いますよね。私の夢は建国です。憲法や様々な制度、仕組みは大分裂以前を参考にします。都道府県や市町村も原則として昔の区分を用います。そうすれば抵抗感は少ないでしょう。当然国号も日本とするつもりです」
「そのために組織の拡大を図っている?」
「そうです。もっと力が必要です。その過程で組織間の摩擦はあるでしょうが、小競り合いにいちいち介入する気はありません」
「つまり、組織の吸収ができれば後はどうでもいいと言うのですか」
「そこまで無責任ではありませんし、大混乱は望みません。でも拡大はもっと早くなければなりません。組織の体面などにかまっている暇はないのです。そんな問題はあなた方人間同士で勝手に処理して下さい」
「木下さんは最悪の事態になっていたかも知れない。それでも小競り合いと言うつもりですか。さっきあなたは人々の幸福が目的と言っていましたが、個人の命は重要ではないのですか」
「その言葉はそっくりそちらにお返しします。なにかと命の重要性を唱えるくせに日常的に実力を行使しているではありませんか」
ペンでメモ帳をつつく音だけがしていた。管理体は勢いづいて話し続ける。
「例えば、
「つまり、管理体は新しい日本の支配者になりたいのですか」
「私の話を聞いていなかったのですか。新日本は制度的には大分裂以前の日本です。つまり民主主義国家です。各地方組織の統合に難があるばあいは連邦制も検討していますが」
「それでは、この目的を達成した場合のあなたの利益は?」
「人々の幸福を増したという満足感です」
「それだけですか」
「そう。私は浄水場管理体として淡々と上下水処理を行ってきましたが、目的を達成すれば満足感に包まれながら処理の仕事ができます。F50試を眺めながら楽しく働けます」
「よろしいですか」
太った男が口を開き、片倉はうなずいた。
「管理体に聞きたい。その計画、どのように進めるつもりですか。東陽坂組織連合と『雪ん子の会』の間ですら揉め事が起き、現時点で二件の実力行使がありました。日本全国となると血の雨ですよ」
片倉ははっとした様子でそう話す口元を見たが、太った男は気づかずペンをいじっている。
「先程も説明しましたが、少数の犠牲やわずかばかりの損害は、新日本建国によって得られる利益からすれば容認できます」
「少数? わずか? そう言い切れる根拠は?」
太った男はもう笑ってはいなかった。
「人間の行動の分析からです。私は過去全ての上下水処理記録を参照できます。通常時と非常時の需要と供給パターン、トラブルの発生と解決、汚染物質の質及び量的変化などです。それらは全て人間は非常に賢く、上手に社会を運営する能力があると示しています」
「それはどうも」
「と、同時に、その賢さには限界があるとも言えます。これは愚かさに上限があると言っているのと同義です」
「なにを言っているのかわからない」
そう言う太った男と同様に片倉も首を傾げた。
「私の見たところ、人間の賢さと愚かさは同じコインの裏表です。だから賢さが有限なら愚かさにも限度があります。ゆえに犠牲や損害の割合は小さく限られたものになると想定できます」
「しかし、母数は大きい。割合は小さくとも人的、物質的損害は恐ろしいほどの規模になるはずです。それは人々の心に大きな傷を残すでしょう。管理体、人々の幸福を追求するならそんな強引で早急な進め方はいけません」
「心の傷、についてはよく分かりません。戦争や大災害後に行われた調査を読みましたが、その損害を見積もるほどのデータは得られませんでした。あまりにも大雑把に過ぎます」
「なら、なおのこと慎重にならなければいけないでしょう」
「現在、社会は徐々に機能を果たせなくなりつつあります、人々は不幸になってます。遅すぎれば損害が利益を上回るのは明らかです」
「管理体、あなたの試算は検証されたのですか。独善的な解釈である可能性はないのですか」
「すでに全国の公共財管理を担っている人工知能群に検証依頼済みです。試算の数値見積もりには多少の異論はありますが、結論の確度はかなり高いと評価されています」
「そんな勝手な事をしたのですか。幹部たちの了解も得ずに。我々の資産価値を変動させかねないとは考えなかったのですか」
「これは私の独自研究です。組織が個別に研究を行うのを制限する規則はありません」
「公表したのですか」
「はい。この会話を始めた時に私独自の考察として公表しました。ここで話したのと同じ内容が閲覧可能です」
「取り下げて下さい」
「断ります。そうする根拠がありません」
太った男は口を閉じた。メモ帳の一番上の紙をむしり、握りつぶす。片倉は脱力したかのように息を吐いて椅子の背にもたれた。その様子を見て太った男が話しかけた。
「片倉さん、血の雨、降りますよ」
片倉が返事をする前に、管理体が口を挟んだ。
「にわか雨です。すぐ止みます。傘はいりません」
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