六、親睦会

 水野に結果を報告する。

「口約束?」

 戸惑っているかのような口調だった。

「当面はそれでいいと判断しました。もちろん無許可ですが記録はしています。それは相手も分かっているでしょう。それと、話し合いの場を持ちたいようです。管理体も加えてほしいと、これはかなり強い要望でした」

「それは条件ですか」

「いいえ。そこは無関係だと明確にしました。話し合いについてはその要望を伝えるだけだと言ってあります」

「分かりました。こちらで検討します。ありがとう。これでうっとうしい虫は飛んでこなくなる」

「急におとなしくなるとは思えません」

「済みませんが、そういった点も含めてこちらで検討します。片倉さんは一般への広報をお願いします」

「そうします。では、この件は完了とします。報告書はあげます」

「ご苦労さまでした」


「広報というのは不特定多数に対する交渉と考えられます」

 片倉は木下に説明している。同じ和室の同じ上座だが、服は涼しそうな素材に変わっていた。

「目的は『東陽坂組織連合』への誤解、特に地区の支配を目論んでいるのではないかという憶測を取り除く事です」

「しかし、片倉さん、それでは警備体制の紹介を入れるのは逆効果ではないですか」

「いいえ、隠すのはよくありません。専任の警備を持っているのは事実ですから。この場合、先に事実を認めた方が良い結果になります」

「それだけですか」

 木下はじっと片倉の目と目の間を見る。

「本当のところは『力』の誇示もあります。今後交渉を行う際、『力』がなければ軽視されるだけです」

「『握手は片手で、空いている手にはナイフを』ですか」

「そういう言い方は知りませんが、よく現実を表していると思います」

「それで、その宣伝動画にここを撮りたいとおっしゃる」

「はい。撮影は専門の組織から二、三名が来ます。了承頂けるのであれば撮っていい場所とだめな場所の指示と撮影後の動画を確認頂きたいのです」

「そうですか。結構です。部下をつけます」

「ありがとうございます。日程など詳細は追って連絡します」

 木下はうなずき、毛が立つほど短く刈った頭をなでた。

「ところで、その広報はネットで行うのですか」

「そうです」

「片倉さんは出向かないのですか」

「その予定はありません。今回は不要と判断しました。F50試の時と違いますから」

「老婆心……と、言いますか、老爺心ですが、もっと足をお使いなさい。さっき広報は交渉とおっしゃた。なるほどと思います。しかし、それなら相手と顔を合わせなさい。交渉は当事者がその場に同席している時がもっとも効果的です。私の経験ですが」

「お言葉は心に留めておきます」

「『雪ん子の会』とやらの態度が急変したのはあなたが直接乗り込んだ効果があると見ていいでしょう。危険を承知で飛び込んだから相手が呑まれたんです」

「経験、ですか」

「ええ、今となっては自慢にもなりませんが、直接乗り込んで啖呵を切ると効果絶大です」

「それは見たかったですね。木下さんの啖呵を切ってるところ」

「いやいや」

 また頭に手をやる。

「しかし、本気ですよ。目標とする各組織の幹部とは顔を合わせておいた方がいい。言葉通りの意味です。飲み会程度でいいでしょう。始めは」

「ご忠告をありがとうございます。顔合わせとなったら場を設けなければいけないでしょうが、その時はここの大広間をお貸し頂けないですか。広い畳敷きの部屋は交渉事を有利に進める効果がありそうです」


 木下は目を見開き、それから大笑した。あまりの大きさに障子の向こうの人影が動いた。


「ああ、片倉さん。この年寄り、参りました。よろしい、存分にお使いなさい」


 二十日後、撮影は順調に終わり、広報動画はネットで配信された。それに合わせて水の株を持つ組織集団の代表に招待状が送られた。株主親睦会の名目だった。坂下にも送られた。

 準備は思ったより滞りなく進んだ。木下の部下たちはこういった会に慣れているようで、席次や料理を出す順番の調整、機材の設置などは大まかな指示を出すだけで手際よく行った。


 当日、日が沈んだ頃、会が始まった。「本日お集まり頂いた皆様は同じ水を飲む仲間です。このように楽しく親睦会にお集まり頂いたのもなにかの縁でしょう。今後ともよろしくお願いいたします」

 片倉が司会として挨拶し、水野が乾杯の音頭を取った。

 酒が注がれ、地元の産物を中心とした料理が運ばれる。老若男女の代表者たちが雑談をしている。

 さらに酒が足され、皆の頬に赤みが差すと、水野と坂下は別々に広間を抜けた。片倉はそれを見送ると手を叩いて座の注目を集めた。

「皆様それぞれに話が弾み、お楽しみ頂いていると思いますが、ここで我々の仲間がひとつご挨拶という事でよろしくお願いします」

 揃わない拍手が起こった。いつのまにか黒い機材が運び込まれていた。


「お集まりの皆様、こんばんは。私は浄水場管理体です。私が送り出す上水と処理する下水の権利をお持ちの皆様に座興代わりにお話を申し上げます。お耳障りと存じますがしばらくお時間を拝借いたします」

 呆気にとられる者、にやにやする者、ひそひそと話をする者などがいたが、管理体はかまわずに話を始める。

「私は水の処理をずっと行ってきました。それこそ大分裂の前からです。皆さんのなかで大分裂以前に物心がついていたという方はおられますか」

 四分の一ほどの手があがった。

「ありがとうございます。年がばれますね」

 笑いが起きた。

「大分裂が起きた頃の私はこんなふうに話す能力こそありませんでしたが、事態を分析し、理解するくらいはできました。で、これはまずいぞ、と思ったわけです」

 俺もだー、という酔った合いの手が入った。

「大分裂のきっかけってなんでしょう。強力な暗号の完成がそうだって言う人もいれば、物品タグのせいだって言う人もいる。ネットに責任をかぶせる説を読んだ事もあります。しかし、いずれにせよ国、都道府県、市町村といった集合単位は影響力を無視できるほど小さくなるか、あるいはなくなってしまいました」

「日本人はここにいるぞ」

 別の声が茶化した。

「では、税金を払った事は?」

 皆笑った。管理体は話を続ける。

「日本−円はまだあります。諸外国の通貨だってなくなってはいません。でも支払いをそれで受けたいって人はいますか。よっぽどの理由がないと受け取らないんじゃないですか。弱みを握られてるとか」

 同意と笑いがあちらこちらで起きた。

「そして、金という力を失って、国や自治体は見えなくなるほど縮小し、代わりに企業や同業の組合、隣近所など利害を共にする大小の集団が団結するようになりました。自分たちの提供するサービスを暗号で固めて通貨にし、あるいは種々雑多な権利を株として世に送り出しました。公共財の維持管理もです。さらにこれを後押ししたのは物すべてにタグを埋め込んで管理する仕組みができ上がっていた点です。これによりモダンな物々交換も同時期に成立しました。もう国家は不要です」

「いいぞー。国家消滅万歳!」

 酔った大声、そして手が叩かれた。

「世界中でほぼ同時にこれが起き、誰言うとなくこの事象は『大分裂』と呼ばれるようになりました。ついでに『企業』とか『組合』とか『家族』という名も使われなくなりました。みんな『組織』です。組織に目的や規模の違いがあるだけと考えられるようになりました。その意味では私も組織であり、そして組織の集合である『東陽坂組織連合』に属しています」

「お前はただの電気信号だー。身の程を知れいっ」

 今度は怒りを含んだ巻き舌だった。笑いはわずかだった。

「そうです。私が電気信号だというのは正しい認識です。しかし、身の程を知れとおっしゃるなら申し上げますが、私は取引を皆様と同様に行える組織です。それゆえに皆様と同じです。大分裂後、初めて行った取引を覚えています。補修材料を手に入れるのに下水を引き受けました」

 座がしんみりしてきた。片倉はあらかじめ決めておいた合図を送った。

「すみません。自分語りが過ぎました。言いたかったのは我々は大分裂を生き抜き、新たな経済体制と秩序を作り上げたという事です。この会の始めの挨拶に『同じ水を飲む仲間』という表現がありましたがその通りだと思います。『東陽坂組織連合』は、水を通じてこの繋がりをさらに強固なものにしていければと考えております。私も微力ながら尽くしてまいる所存です」

 管理体は一度言葉を切った。

「どうやらおしゃべりが過ぎたようですね。お酒が抜けてしまった方もいらっしゃるのではないですか。お酒もお料理もまだございます。皆様のお耳を煩わせまして誠に申し訳ありませんでしたが、今後の関係につきましてひとつ私の思うところを述べさせて頂きました。ご静聴ありがとうございます」

 儀礼的な拍手が起こった。いつの間にか水野と坂下は戻っており、一緒に手を叩いていた。片倉は合図をし、お代わりを運ばせた。

 その後はいたって普通の飲み会となり、お開きとなった。それぞれが残った料理を折りに詰めてもらって持ち帰った。


「ご苦労さま。なかなか盛り上がりましたね」

 水野が後片付けを手伝っている片倉に声をかけた。

「ええ、先に公開した動画と合わせて、我々への得体の知れない恐れは減ったはずです。顔を合わせて飲むだけなんですがね」

「管理体はどうでした?」

「まだ戸惑いがあるようです。印象には残ったでしょう。もうただのプログラムという捉え方はしにくくなったはずです。効果判定は週明けに行います」

「よろしくお願いしますよ。あ、手伝いましょうか」

 水野がコードをまとめようとしたが、木下の部下が遠慮してさっと持っていってしまった。


 週が開け、サービス向上アンケートと銘打って株主に配信された効果判定は上々の結果だった。東陽坂に対して皆忌憚なく意見や要望を述べていた。

「このようにはっきりと書かれています。恐れはほとんどないと見ていいでしょう。対等の仲間という意識です」

 片倉は結果をまとめた報告を幹部たちに示した。集会所の壁には新たな動物が増えていた。

「しかしまた、はっきりと言ってくれる。水が臭い、株の価値に見合ってない、か」

 ある幹部が苦笑いと共に言った。

「それでいいんですよ。力で押さえつけられるかもって思ってたら書けません。後は皆さんと管理体の仕事です」

 片倉が注目点を反転させながら返事をした。


 水野が机を叩いて注目を集めた。

「さて、皆さん、以上で片倉さんの仕事は完了し、契約は終了です。片倉さんは我々の依頼した目標をよく達成し、期待以上の働きをしてくれました。そこで特別報酬を支払いたいのですがいかがでしょう」

 一同拍手をした。

「ありがとうございます。報酬は『東陽坂組織連合−円』で支払います。片倉さん、ありがとうございました」

 片倉が立ち上がって礼をするとまた拍手が起こった。


 翌日の昼前、ホテルで荷物をまとめている片倉の所に水野が訪れた。お別れの前に食事でもどうですかという誘いだった。

 荷物を持ってついていくと、駅のそばの個室居酒屋に案内された。揚げ物中心の定食で、酒もすすめられたがそちらは断った。

「ご苦労さまでした。個人的にも礼が言いたくて」

「それはどうも。今後もなにかありましたらどうぞ」


 改札で別れた。片倉は特急に乗った。少し眠り、それから次の仕事の下調べを始めた。東京駅に降りた頃には日は沈みきっていた。

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