time

王子

time

 この小説は、以下の映画作品を元に独自の解釈を加えた二次創作作品です。


 短編映画『time』

https://youtu.be/g6vt6ILSKw8


 * * *


 こんなこと願わずにいたかった。それでも願ってしまういやしい自分を蹴飛ばしたら、いくらか気分は晴れるだろうか。

「ハヤト君、十二秒・五六」

 ストップウォッチは私に正確な記録を示した。十一秒を切るのは容易たやすいことではない。私の告げたタイムを聞いても、息を切らした男子は「そんなところか」といった様子だ。

 次の走者がスタート地点でクラウチングスタートの姿勢をとった。いつになく気迫に満ちているように思われた。彼は今、記録更新よりも手に入れたいものを背負って走ろうとしている。

「ヨーイ、ドン」

 号令係が手を振り下ろし、彼が走り出す。

 手元のストップウォッチが経過時間を刻み始めた。偽りも誤魔化ごまかしも無く、デジタル数字は淡々と切り替わっていく。

 一秒、二、三……、

 蝉がけたたましく鳴いている。どうしようもなく騒がしく思われた。


 * * *


「ねぇハルカ聞いた?」

 ユウコはシャトルを跳ね上げて私に問う。当然「聞いたよ」なんて返答を求めているわけではない。仕入れた情報を語りたくて仕方なくて、それでももったいぶるために、こうやって枕詞まくらことばを置くのだ。私達は回りくどさを使いこなすすべを知っている。

 調子を合わせて「何をー」と打ち返す。ラリーを続けるのだって楽じゃない。

「ミホがね、ユウキ君に告白したんだって」

 真っ直ぐ飛んできたシャトルは、ラケットに受け止められることなく芝生に落ちた。名指しを受けたミホは「ちょっとぉ、」と口を尖らせた。

「ねービックリでしょ」

 控えめな子だと思っていたミホが告白を。よりによって、ユウキ君に。

「ナイショって言ったのに」

「ハルカならいいじゃん。でね、ユウキ君に『十一秒台出すまで待ってほしい』って、言われたんだって」

「もうユウコ、口軽い」

 二人のやり取りを前に、シャトルは拾われることなく転がったままになっている。


 * * *


 ユウキ君のフォームは美しかった。弾かれるように飛び出した前傾姿勢、一歩踏み込むごとに上体が起こされていく。ピンと背筋を伸ばし垂直になった体は、力強く地面を捉えるスパイクと、晩夏の空気を切り裂く両腕を推進力に、前へ前へと運ばれていく。姿勢の移行が滑らかで、両足の回転が軽快で、全身の動作に無駄がないほど速く走れる。ユウキ君は部内の誰よりもそれを証明していた。

 今日の走りはいつも以上に洗練されていた。十一秒台を掴めそうなほどに。

 そう、だからユウキ君は条件に付した。はなから迷いは無く、十一秒はすぐ手に届く場所にあったから。これはるかるかの局面じゃない。結末が決まった通過儀礼だ。

 ストップウォッチに視線を落とす。

 五秒、六、七、八……、


* * *


「そうだハルカ。ミホに協力してあげてよ」

 ユウコは無邪気に提案する。少なくとも口振りはそうだった。

「協力って」

 自分の声が小さくなるのが分かった。鏡を見たら引きつった笑みを貼り付けているに違いない。協力という言葉をこんなにも重苦しく感じたのは初めてだ。

「ほら、タイムが早くなる、裏ワザとか?」と、ミホに目配せをする。

「そんなのないでしょ」

 ミホは、ちらりとこちらを見やる。

 二人は、私が計測係だと知っているのだ。つまりは、そういうことなのだろう。

 協力。友達ならば当然に求め、また求められる。たとえそれが共犯関係だとしても、友情という甘美な響きがカモフラージュになる。薄汚れたウェディングドレスみたいだ。

「ごめん、ちょっと分かんない」

 拾って打ち返したシャトルは、行き先を見失ったみたいに明後日の方向へ飛んだ。


 * * *


 ユウキ君は最高速度を維持したままゴールラインへとひた走る。乱れないストライド、顎を引いて真っ直ぐ前方を見据え、上体のブレも抑えられている。今までで一番美しいフォーム、渾身の走りだった。間違いなく、過去最高の百メートルを疾走していた。

 突き出された胴体トルソーがラインを通過した瞬間、ボタンを押す。

 ストップウォッチは嘘偽り無く、正確な記録を示していた。十一秒を切るのは容易くない、はずだった。ユウキ君でなければ。

「タイムは」

 ストップウォッチを握りしめて棒立ちだった私を、ユウキ君が荒い呼吸と共にせっついた。振り返って私に視線を投げていても、見ているのは私じゃない。彼の関心事は、もちろん私なんかではなく、十一秒を切ること自体でもなく、その先にある。

 これは、おまじないだ。あまりにもくだらなくて、私には一切関係の無いおまじない。それなのに、彼の行く末を今、私が握らされている。いつまでも成就じょうじゅさせないわけにはいかない、成功が約束されたおまじない。こんなの、あんまりじゃないか。それでも。

「ユウキ君、十二秒・二」

 裏ワザなんて無い。使うまでもなかった。私に使えるのは一時しのぎの呪いだけだ。

 誰も彼もが好き勝手に欲しいものを追い求めている。接触プレーも、八百長やおちょうも、妨害行為もありの直線コースを私達は走っている。この世で唯一正直で誠実なのはストップウォッチだけなのかもしれなかった。

 突き立てられたふたつの1から目を逸らすと、膝に手を置いてうつむくユウキ君の背中が上下に揺れていた。

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