俺流四国8泊8日傷心の旅
口羽龍
7月31日
7月31日、私は旅に出ることにした。行先は四国だ。8泊8日という、今までで最も長い旅だ。本当は8日からする予定だった。しかし、会社とのいざこざがあって今日限りで退社となった。今回の旅はそのショックを忘れて、再就職を目指して頑張ろうと思ったからだ。
7時ちょうど、私は難波行きの特急ひのとりで難波に向かった。次の接続のことを考えたら1時間半後のアーバンライナーだ。しかし、どうしてもひのとりに乗りたくてこっちに乗った。
ひのとりは名古屋を出てしばらくすると地上に出た。即日解雇のショックがまだ尾を引いてなかなか気が上がらない。
ひのとりの車内で、私は持ってきた文庫文を読んで暇つぶしをしていた。名古屋から難波までは2時間ちょっと。新幹線なら名古屋から新大阪まで半分足らずで着いてしまう。こっちの方が速そうに見えるが、難波で南海に乗り換えて和歌山市まで行くことを考えたらこっちがよかった。
午後9時過ぎ、難波に着いた。そこまでの時間は何をしようか考えたが、南海の難波駅近くの鳥貴族で飲むことにした。今日のショックを忘れるためにも。
鳥貴族は家の近くにあるにもかかわらず、行ったことがなかった。いつも利用しているのはとりのすけで、そこにはないチーズつくねを注文した。こっちもなかなかいける。それに1本1本が大きい。今度は家の近くのも行ってみようか。
11時20分ごろ、今日最後のサザンがやってきた。指定席と自由席があるが、今回はゆったりと行きたいので指定席を使った。私が乗った1号車には乗客が数えるほどしかいない。みんな後ろ4両の自由席に乗っているんだろうか。自由席なら乗車券だけで乗れるから、みんな安い方を選んでるんだろうか。
11時35分、今日最後のサザンは難波を出発した。新今宮、天下茶屋と地下鉄やJRと接続する駅に停まった。しかし客は入ってこない。
月日が変わって8月1日、結局終点の和歌山市まで誰も入ってこなかった。予定では和歌山港からフェリーで四国に入る。しかし、夜も遅く和歌山港行きの電車はもう終電を過ぎていた。やむを得ずタクシーで和歌山港に行くことにした。うーん、深夜便の分も連絡する電車があってほしかったな。
10分足らず走って、タクシーは和歌山港に着いた。フェリーターミナルの食堂はもう閉まっていて、照明が消されていた。
待合室には明かりがついていた。待合室には何人かの人がいた。多くの人が夜行バスやサンライズ瀬戸で四国に行くからこうなるんだろうか。
船の深夜便は前々から乗ってみたかった。以前、乗り鉄で和歌山港に来た時にこの便のことが気になったし、動画で様子を見て、自分も乗ってみたいと思っていた。
深夜2時20分、出航まで20分前、私は船内に入った。船の中はまばらで、とても静かだった。その分、船のエンジン音がよく聞こえた。眠れるかどうか不安だな。
2時40分、南海フェリーは徳島港へ向けて出港した。私はデッキから和歌山港を見ていた。その向こうには自宅のある名古屋がある。戻ってくるのは8日後。長い長い旅が始まる。私は期待でいっぱいだった。
船内に戻った私は机に座って寝ることにした。今日1日の疲れを取ろうとした。しかし、船がうるさいのか、それでも忘れられないのか、なかなか眠れなかった。お酒をジョッキ3杯飲んだのにこの有様だ。このショックを忘れることはなかなかできないものか。とても不安になった。
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