タマ川のタマちゃん

タマちゃん、現る

『続いてのニュースです。小田ショタ区の河川敷に、今年もタマちゃんがやってきました!』


 朝の情報番組を流し見しながら、トーストをコーヒーで流し込む。俺の慌しい日々はそういった日々のルーティンから始まる。出勤前の機械的な反射じみた動きは、特に楽しくもなんともない。

 だからこそ、そのニュースは刺激的に映ったのかもしれない。タマちゃんといえば、俺が小学生くらいの頃に一大ブームを巻き起こした野生動物だ。半分マスコット化し、観光客が多数訪れたらしい。

 また電車が混むのか。そう思いながら、俺は心のどこかで癒しを求めていた。小田ショタ区の河川敷は、すぐ近くだ。休日にでも見に行ってみよう。


 そういうわけで、激務に疲れた俺は癒しを求めるべく河川敷に向かった。時刻は金曜日の午前9時。平日なのに、賑わいは加熱している。

 河川敷に来たことなど、何十年ぶりだろう。咲き乱れる野草の名は、確かオオイヌノフグリだ。コバルトブルーの花弁が控えめで、心に安らぎを与える。川沿いに集う人の群れのミーハーさも、その中に入る俺の浅ましさも、全て洗い流してくれるようだ。


 河川敷には、何匹目かのドジョウを狙った出店が多く出店していた。役所がまだ商標登録をしていないのか、主に食品系の便乗商品が多い。

 タマちゃん団子に、タマちゃんタピオカ。急ごしらえなのか、串に二つだけ刺さった団子や双子のように繋がったタピオカのどこにタマちゃん要素があるのかは見当がつかない。

 いつだって、ブームに乗るのは早いほうがいいのかもしれない。川の流域で一番槍を競う出店群を見ながら、俺はそう思った。


 一際観光客の多い場所は、スマホのカメラを構えた若者で溢れていた。彼らも俺と同じく、小さい頃にテレビで観たタマちゃんに憧れてここに来たのかもしれない。初めて見る実物に感じるワクワク感は、最近の生活では感じることのなかった感情だ。一種のノスタルジーなのかもしれない。

 群衆から離れ、俺は土手の斜面で背伸びをした。この高さからなら、小さくても見えるはずだ。


「おい、タマちゃんが上がってくるぞ!」


 歓声が上がる。俺も胸の高鳴りを抑えられずに、彼らの視線の先を凝視した。確かに、何かの影が見えた。


 それは、象徴的な姿をしていた。一言で云うなら、『皮張りのアメリカンクラッカー』だろうか。産毛で覆われ、水面を浮くように泳いでいる。

 最初は身体の一部かと思ったが、周囲の喜びようを見るにあれが本体なのだろう。それは、本当に見覚えのある姿だった。

 タマちゃんというより、タマだ。∞の記号のような特徴的な姿の、おぞましいクリーチャーだ。


「本物のタマちゃんだ!!!」

「可愛い〜〜!!!」


 そんなわけあるか。あれはあまりにも冒涜的すぎるぞ!?

 それは幼体なのか、小ぶりな体長だった。成体だと、モザイクをかける必要があるかもしれない。よく朝のニュースで出せたな。

 最悪な気分だった。折角の休日を費やして見たものが、それかよ。別に家でも見れるわ。そう文句を言いながら帰ろうとした、その瞬間だ。


 背後に感じた気配は、特有の殺気を放っていた。俺は周囲を見渡し、その正体を知る。猟銃を構えた、マタギじみた男が立っていたのだ。


「いや、何やってるんですか!?」

「……静かにしろ。狙いがブレる」


 彼はスコープの具合を確認し、苛立たしげに舌打ちをした。仕事人の風格だ。


小田ショタ区猟友会の者だ。役所から害獣駆除の依頼が来てな。あいつ、わかるか?」


 突き出された事務書類には、例のクリーチャーの生態が書かれていた。学名、チンデモニウム・コウガニスク。成長すると鋭利な一本角で外敵を突き刺して捕食する、凶暴な肉食獣と化すらしい。


「この時期の親は、気が立ってるんだ。子を探すためにタマ川に現れたとしたら、河川敷の人間も襲いかねない。その前に、なんとかしなきゃいけねぇんだよ……」

「そんな。まだ小さい子供ですよ!? そこまでしなくても……」

「本来、野生動物は人里に降りるべきじゃねぇんだよ。その境界を破るなら、ケジメとしてそれなりの報いは受けなきゃならない。それが共生するために必要なことなんだよ……」


 正直、あのクリーチャーを殺すのは別にどうでもよかった。どちらかというと、あの形状をしたものを弾丸が貫くのは見ていられないのだ。

 水上を浮かぶ両玉は、時折流れに逆らおうともがいている。頼む、そのまま二度と顔を見せないでくれ。俺は必死に祈った。


「無駄話は終わりだ。折角の平日休みを費やしたくないんだよ。さっさとやるぞ」


 男はスコープを覗き込み、引き金に指を掛ける。どうしようもなく、ただ見ていることしかできないのか? 俺は股座を押さえながら、その行く末をただ見守ることしかできない。


「やめて!!!!」


 照準の先で立ち塞がったのは、小学生くらいの少年だった。彼にとっては、あれが初めて見るタマちゃんなのだろう。眼に涙を溜め、必死に抵抗を試みていた。


「下がって!! 危ないから!!」

「小僧、帰れ!!」

「それを下ろして! あいつだって生きてるんだ!」


 どちらの言い分も理解できる。ヒトに危害を加える前にどうにかしなければならないのは勿論だが、まだ未来のある幼獣を殺すのは忍びないのだ。一時、膠着状態が起きる。


 事態を動かしたのは、例のクリーチャーの行動だった。それは、水面を切るように跳躍したのだ。

 目一杯身体を伸ばし、緩やかに飛翔する。陽光を浴びて、タマちゃんはキラキラと輝いていた。金色ではなく、約1680万色。ゲーミングPCのような、虹色の光を。


「消えた……」

「……もう、二度と来ないようにな」


 それから、タマちゃんは二度と人間の前に姿を見せることはなかった。最後の飛翔は発光が強過ぎてカメラでは捉えられず、やがて都市伝説として語られていくだろう。

 何度目かのタマちゃんブームは、呆気なく終わった。玉石混合の出店も引き上げ、河川敷には再び平穏が戻ってきたのだ。

 あれを皆が可愛いマスコットとして祭り上げた理由はいまだに分からない。前のタマちゃんとは似ても似つかないのだ。あの場で正気だったのは、俺とマタギぐらいじゃないか?


 俺は今日も出社する用意を始める。トーストをコーヒーで流し込み、朝の情報番組をただ眺める。笑顔のキャスターが視界に入った。


『続いてのニュースです。ウン湖で発見されたウンッシーが……』


 もういいよ。俺はテレビの電源を落とした。

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