桜の下の読書会
宵埜白猫
ある晴れた午後に
薄く開いたカーテンの隙間から差す陽の眩しさで目を覚ます。
――今日は土曜日、学校もバイトも休みだけど……さすがにちょっと寝すぎたな……。
「……まあ、たまにはこんな日があってもいいか」
ベッドから降りて、ぐっと体を伸ばしながら狭い部屋を歩く。
洗面所の鏡にはいつも通り、酷い寝癖の僕が居た。
冷たい水で顔を洗って、ゆっくりと寝癖を直す。
そうしていると、次第に頭もすっきりしてきた。
キッチンに移動して、食パンをトースターにセット。
その間にポットでお湯を沸かして、紅茶を準備する。
ティーポットにスプーン一杯の茶葉とお湯を注いで砂時計をくるり。
それと同時に軽快な音が鳴り、トーストの完成を知らせてくれる。
こんがり焼けたトーストをお皿に取って、オレンジのマーマレードをたっぷり塗る。
砂時計を見ると、ちょうど最後の一粒がさらりと落ちた。
紅茶をカップに移して、静かに手を合わせる。
「いただきます」
――そういえば、ゆっくり朝ごはん食べるのも久しぶりだな……。
実家に居た時は当たり前だったことが、実は結構贅沢だったりする。
だから、たまにこうしてちゃんとした食事をするだけで、小さな幸せを感じたりするのだ。
貧乏学生最高。
ゆっくりと味わいながら朝食を終えたら、身支度をしてアパートを出る。
予定の無い日はいつも、アパートの裏の公園で本を読む。
公園には綺麗な桜が咲いてるし、ちょっと場所を変えるだけで、趣味の読書も新鮮な気分になるのだ。
最近特にお気に入りなのが、桜の木の下。
静かな公園で、大きな幹に背を預けて一人ゆっくり本を読む。
おまけに春の暖かな日差し付き。
毎日の疲れも悩み事も、そうしているとすぐに消える。
アパートを出て三分程歩くと、公園に到着。
ブランコにジャングルジム、それに二人掛けのベンチがあるだけの小さな公園。
その一番端で大きな存在感を放っているのが、満開の桜だ。
灰色のアパートや錆びた遊具に囲まれて、その淡い薄紅色の花たちが際立っている。
そんな桜の木の木陰に腰を下ろして、鞄から取り出した本を開いた。
「あの……」
読み始めようと、本に視線を落としたのと同時だった。
鈴を鳴らしたような綺麗な声が、頭の上から降ってきた。
「隣、良いですか?」
見上げた先に居たのは、両手で本を抱えてこちらを見下ろす女性。
少し童顔で、明るい茶髪を肩まで伸ばした、綺麗な女性だった。
服装は白いシャツにロングフレアスカート、その上からカーディガンを羽織った落ち着いた格好だ。
――同い年くらいかな。
「……どうぞ」
言葉を失っていた僕は、やっと一言絞り出す。
「ありがとうございます」
そう言って微笑みながら、彼女はゆっくりと、僕の隣に腰を下ろした。
その後は、お互いに本を開いて、物語の世界に浸っていた。
最後の一文を読み終わって、ぱたんと本を閉じる。
――今何時だろう。
すでに日は落ち始めていて、辺りはすでに暗い。
春とはいえ、日が暮れるとまだ肌寒い。
なのに、今日は左側だけ少し暖かい。
そっと隣を見ると、本を開いたままの彼女が、すぅすぅと小さな寝息を立てていた。
「こんなところで寝てたら風邪引きますよ」
軽く肩を叩きながら彼女に声をかける。
可愛らしいうめき声がして、ゆっくりとまぶたが上がった。
寝ぼけて潤んだ、猫のような瞳と目が合う。
その瞬間、まるで時間が止まったみたいに、世界から音が消えた。
自分の心臓の音だけがうるさくて、僕は慌てて彼女から目を逸らす。
「私、寝ちゃってたんですね」
そう言って、少し恥ずかしそうに笑う彼女はとても可愛い。
「起こしてくれてありがとうございます」
彼女がぺこりと頭を下げて立ち上がる。
「またここで、一緒に本を読みませんか?」
鞄に本をしまう彼女の手が止まって、初めてその言葉が僕の口から出たことに気付く。
気づいても、一度声にした言葉はもう胸の中に戻ったりはしない。
――初対面の女性に、何言ってんだろう……。
気恥ずかしくて、頬がかぁっと熱くなる。
「いいですよ」
さっきまでと同じ綺麗な声で、
「これからは毎週土曜日、この木の下で、二人で本を読みましょう」
彼女も少し頬を赤らめて、はにかむように笑った。
穏やかな春の日差しの中で、いつもとは少しだけ違った休日。
その少しの変化が、今はとても心地いい。
――来週が楽しみだな。
春風に吹かれて揺れる桜の枝が、薄紅色の花吹雪で公園を染めた。
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