第17話

 学校全体がなんとなく緊張感に包まれている。二月に入って、三年生の受験が本番を迎えているからだ。先生方もそわそわしているように見える。でも二年生の僕らには、ほとんど関係が無い。いつものように授業を受けて、午後は部活で汗を流す。その繰り返し。

 教室で僕は後ろの方の席なので、いやでも木村さんの席が目に入る。もともと木村さんは気まぐれに、長い休みを取ることがあった。だから先生や、他の生徒も特に気にしてはいないようだ。こうやって見てみると、教室というものは残酷だ。みんな、仲間のように見えるけれど、ある日学校に来なくなってしまえば、誰も全く気に留めない。誰かが、誰かを強く思っていない限り。

 授業が終わって教室を出て、ロッカーの整理をしていると、後ろから肩を叩かれた。振り返ると慎ちゃんだった。部活に一緒にいこうぜ、と慎ちゃんが言った。

「悪い。今日は大切な用事があるんだ」

 僕は言った。

「おまえ、またサボるのかよ。まあ、単なるサボりじゃないってのは、なんとなく分かるけどさ」

 怒った顔をして、慎ちゃんが言った。

「ごめん。今月はけっこう欠席するかも。ちょっとやることがあるんだ」

「……分かった。先生には俺からも言っておくよ。……まあ、がんばれよ」

「うん。ありがとう」

「お前、そんなこと言って、笑ってデートとかしてたら殴るからな!」

 僕の肩に強めのパンチを放って、慎ちゃんが体育館に向かって歩いて行った。


 学校の正門を出て駅には向かわず、僕は歩いて木村さんの家に向かう。突然行くのはよくないかもしれないけど、良く考えたら、木村さんの電話番号はお父さんの携帯の番号なのだ。こちらからの連絡手段が全く無い。でも、直接木村さんの所に行くということは、シンプルで良い感じがする。特に今日は、なんとなく。

 谷中の入り組んだ路地を進んでいく。道はよく覚えている。表通りからだいぶ引っ込んだところにある、古めかしい木造の建物。僕はガラガラと戸をあけて、ごめんください、と大きな声で言った。

 家の中がシーンとしている。僕がもう一度呼ぼうかと思ったとき、階段の上から声がした。

「菅原君?」

 そう言って木村さんが、木の階段をトントンと降りて来た。学校にいるときよりも、少しだけ元気そうに見えた。

「ごめん。突然おじゃまして。ちょっと話したいことがあるんだけど、いいかな?」

 僕が言うと、木村さんが少しおびえるような表情になった。

「どうしても、話したいことがあるんだ」

 僕が重ねて言うと、木村さんが小さく頷いた。

 上がって、誰もいないから、と木村さんが言った。おじゃまします、と言って、僕は靴を脱いで玄関に上がった。

 居間の小さなちゃぶ台をはさんで、僕と木村さんは向かい合わせに座っている。木村さんは俯いて、表情を動かさずにいる。

「調子はどう?」

 僕が言うと、木村さんは無言で首を振った。

「あんまり、良くないんだね?」

 ハイ、と言って、木村さんが小さく頷く。

「ちょっと、ややこしい話なんだけど……」

 そう言ってから僕は、おじさんから電話がかかってきた事、木村さんの事を話して病院に行けといわれた事を、なるべく分かりやすいように、丁寧に話した。話しているうちになぜだか、僕は興奮してきて、仕舞いには木村さんの美しさが、病気と切り離せないという事を熱弁していた。

「だから木村さん、僕と一緒に病院へ行こう。ちょっと恐いかもしれないけど、もしかしたら――」

「行きます」

「え?」

「行きたい。わたし、病院に行ってみたい」

 うっすらと微笑んで、木村さんが言った。

「よかった。じゃあ行こうね。もう病院の目星もつけてあるんだ。なるべく早く行こう」

 予想外に木村さんがあっさりとOKしたので、僕は声がうわずってしまった。そんな僕を見て、木村さんがまた微笑んだ。

「よかった。菅原君、お別れの話をしにきたのかと思っちゃったよ……」

 微笑んだまま、木村さんがボロボロと涙をこぼした。

「そんなわけないでしょう。まいったな、だいぶ信用が無いね、僕」

 僕が笑って言うと、木村さんは泣きながら少し笑った。

 ものすごく繊細になっている。この木村さんの状態は、やはりかなり危ういような気がする。今日、病院に行く事を決めて本当によかったと、僕は思った。

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