第5話 指切り

 高校3年生の男子と、中学3年生の女子が一緒に通学する光景は、知らない人が見ればどう映るのだろう。仲の良い友達関係? それとも友達以上の関係?

 頭の隅でそんなことを考えている自分はどうかと思う。でも私と一樹先輩の関係性は、もう分かりきっていることで。


「よっ! 一樹」

「おっす」

「おっ、加奈の妹の……、志保ちゃん、おはよ」

「おっ、おはようございます……」

「おうおう一樹、女子と通学とか熱いね~」

「うっせえよ、ばーか」

「へへっ、じゃあ俺先行くわ」

「おう」


 そう言って、一樹先輩の友達が去っていく。


「あっ! 一樹先輩おはようございます!」

「お~、おはよう」

「あっ、加奈先輩の妹さん! 志保ちゃん~、おはよ!」

「おっ、おはようございます……」

「じゃあ、先輩! 私先行きますね、2人のお邪魔かと?」

「あははっ、そりゃどうも」


 そう言って、一樹先輩の、部活の後輩女子が去っていく。


 学校へ向かっている間、こんなやりとりをいくつか交わしていた。初めての事ではない。一樹先輩と一緒にいるとよくあることだ。私にはいつも『お姉ちゃんの妹』としての肩書きがあって。それはもちろん、一樹先輩の中にもあって。小学生の頃はそんなこと気にも留めていなかったのに。むしろ嬉しがっていたくらいだ。なのに今は、それが少し重苦しくて。

 でもそれで良いと決めたの。

 だからこれからも続いていく。

『妹みたいな存在』

という、友達以上ではある関係が。


「ふぅ~……」

「ん? あっ、ごめん志保ちゃん。朝から気を使わせちゃって」

「へっ……!?」


 し、しまった……。なんでため息なんかついてるの。


「あっ、ううん! そ、そんなことない。だ、大丈夫だから。ご、ごめん……」

「あははは、謝らなくて良いのに。志保ちゃんは真面目だなぁ~」


 一樹先輩はそう言っていつものように優しく笑う。

 私は返事を迷ってしまって、声を出せずにいた。そのまま真っ直ぐに伸びる田舎道を進んでいく。

 さっきまで辺りから聞こえていた、同じ学校へ向かう生徒の話声や息遣いなどの音がまばらになっていた。のんびり自転車を漕いでいたせいなのか、周囲には私と一樹先輩、それから数人の学生だけ。


 ど、どうしよう。なにかしゃべらないと。そ、そうだ。


「ね、ねぇ。一樹先輩」

「ん?」

「えっと……、じゅ、受験勉強のほうは順調?」

「えっ?」


 一樹先輩は目を点にする。あっ、しまった、もっと楽しい話題を振ればよかった。でも咄嗟にこれしか思いつかなかったから……。


 すると、一樹先輩は苦笑する。


「あはははっ、そうだなぁ~、苦労はしてるかな。加奈に解らないところを教えるの大変でさ」

「あっ、う、うん。お姉ちゃん、勉強苦手だし」

「あはは、そうだよなぁ~。解んない! 解んない! ってほんとすぐ騒ぐし」

「そ、そうなんだ」

「かと思えば急に静かになるしさ。んでよく見たら、うとうとして寝てんだよ」

「えっ……?」

 

 私がちょっと驚いていると、一樹先輩は照れくさそうに、呟いた。


「起こすに起こせなくてさ……。あははっ……、それでじっと待ってる俺はバカだよなぁ」


 お腹の底から熱いものが湧き出てくる感じがした。この煮えるような感情は――、お姉ちゃんが勉強をさぼって寝ているから、と思いたい。だけど……、きっと違う。一樹先輩が、寝ているお姉ちゃんを優しく見つめる光景が、脳裏に鮮やかに浮かぶ。慌てて頭を左右に振った。

 

「ん? 志保ちゃん?」


 一樹先輩の少し心配する声が聞こえた。


「あっ、ううん。な、なんでもない……、から」

 

 私はそう言って、一樹先輩から顔を背けた。

 急に、周囲が静かになる。

 ペダルを漕ぐたび、自転車のチェーンから錆びた鈍い音が響き、鼓膜を嫌に揺さぶる。

 なにかしゃべろうと思うも口が開かない。でも、このままじゃいけない。一体どうすれば。

 ふと視界が急に広がる。細い道から開けた道に出てた。周囲には田んぼが広がっている。朝日に照らされて金色に輝いている稲穂がたくさん。そよ風になでられて、さわさわとこすれる音色がとても心地いい。キラキラと揺らめく稲穂の光景は、大海原のようだ。


「きれいだ」

「へっ!?」


 突然、一樹先輩から『きれいだ』という言葉を投げかけられた。びっくりして、一樹先輩に顔を向ける。


「ん? どした、志保ちゃん?」


 不思議そうな瞳で私の事を見つめていた。私は慌てて口を動かす。


「ううん! な、なんでもない! その、え~っと……、き、きれいだよねっ。……あっ! た、田んぼの風景? あの実った稲穂とか?」

「そうそう」


 一樹先輩は目を細め優しく頷く。そして、周囲の光景を楽しそうに眺める。私はひとまずほっとする。なんとかごまかせたと思う。『きれい』という言葉になんで慌てたの、自意識過剰もいいところ。いや、そ、そもそも一樹先輩がいけない。いきなり『きれいだ』って言うから。   

 動揺している私をよそに、一樹先輩は気さくに話しかけてくる。


「この風景を見るとさ、秋が来たって感じるよなぁ~」

「あっ、う、うん……」

「……、田舎の学生の特権! なんてね?」

「うん……、そうだね……」

「…………、ぁ~、んんっ!」


 私が小さく返答した後、急に一樹先輩が喉の調子を整えだした。えっと~、ど、どうしたんだろ? 

 すると、一樹先輩がイタズラな笑みを浮かべ口を開いた。


「いや~、今年も稲がたくさん実りおったのぅ~、豊作じゃのぅ~」


 一樹先輩が急に、農家のおじさんみたいに話し出した。しみじみとした、なんとも哀愁漂う声音。いや、おじいちゃんのほうがしっくりくるかも。そう思ったらつい笑ってしまった。


「ふふっ」

「おやおやぁ~、どうしたのじゃ? 志保ばあさんや?」


 あっ、私もおばあさんになっちゃった。って、一樹先輩は一体何をしてるやら。でも、せっかくだから、私もちょっとのってあげることにした。


「いえいえ、なんでもありませんよ、一樹おじいさん」

「お~、そうかえ、志保ばあさん。では儂は、芝刈りにでも行ってこようかの~」

「あらあら、そうですか。じゃあ私は……、川へ洗濯に行ってきますよ」

「大きな桃に気をつけなされ」

「ぷふっ!」


 思わず吹き出してしまった。だってすごくネタバレしているし。すると一樹先輩が、したり顔で言う。


「あと桃を割る時は、赤子に気をつけなされ」

「ぷふっ! も、もう! すごくネタバレしてるからっ! あははははっ!」


 私はつい声を上げた笑ってしまった。いきなりそういうの、ずるい。


「良かった」

「あはははっ! えっ……? なに?」


自分の笑い声でよく聞こえなかった。すると一樹先輩が、なぜか照れくさそうに頬をかいた。


「あっ、いや~、な、なんでもないよ。おっ、もうすぐ学校に着くな」


 ふと視線の先に、学校の校門が見えた。生徒がまばらに門をくぐっている。

 もう少し、一樹先輩と話していたかったな……。

 すると、一樹先輩がそっと声をかけてきた。


「なあ、志保ちゃん」

「ん? なに?」 

「文化祭さ、一緒にまわらないか?」

「えっ?」

 

私が少し首を傾げると、一樹先輩がふわりと笑う。


「文化祭、一緒にまわろ」


 その言葉に私の全身がざわつく。そ、それってもしかして2人だけ!? 


「あっ、もう誰かと約束してる? それなら断ってくれても――」

「あっ、ううん! だ、大丈夫!」


 すると一樹先輩は嬉しそうに微笑む。その表情を見てハッとする。お、思わずOKしちゃったけど、ど、どうしよう!?


 でもそんな心配は必要なかった。


「じゃあ、加奈と一緒に楽しもうな」

「えっ?」


 お、お姉ちゃんと?


「志保ちゃんと、俺と、加奈の3人でさ、文化祭まわる予定」


 そう言って一樹先輩は嬉しそうに笑う。

 そっか……、お姉ちゃんと一緒か。うん、むしろそうで良かった。私と一樹先輩が2人きりになるより……。

 そんなことを思っていると、一樹先輩が少し照れながら話し出す。


「俺、今年が最後の文化祭だからさ……、来年は、俺も、加奈も、ここにいないだろうし。中々3人、集まることも難しいのかなって思うとさ。仲の良い2人と一緒にまわりたいんだよ」


 少し寂し気な目をした一樹先輩にハッとする。来年は、大学進学で一樹先輩は1人暮らしを始める。それはお姉ちゃんも一緒で。でも2人はそれぞれ違う大学に進む。離れ離れになる2人。

 一樹先輩、それでいいの? だってお姉ちゃんのこと――、

 心音がトクンと跳ねた。そしてある事を思いつく。

 私が断れば、一樹先輩とお姉ちゃんを2人きりにしてあげられる。


「やめとこうかな……」

「えっ? どした急に?」


 不思議そうに目を丸くする一樹先輩。言い訳はどうしようか。もちろん、最初に浮かんだ理由なんて言えない。


「いやその、部活の出し物を手伝うし、時間合わないかもって……」

「全日程、手伝う訳じゃないだろ? 志保ちゃんが自由に動ける日に合すよ」

「あ……、で、でも、ほら! 一樹先輩は、お姉ちゃんと一緒にさ! 色々とまわりたいところあるでしょ。私がいると……、じゃ、邪魔に――」

「そんなことない。もしそうなら、こんなこと言わないって」


 一樹先輩が楽しそうに笑う。

 うう、どうしよう。言い訳が思い浮かばず苦心していると、もう学校の門が迫っていた。そのまま2人で門をくぐってしまう。すると一樹先輩が「ちょっと待って」と声をかけてきた。


「なあ志保ちゃん」

「あっ、うん」

「一緒にまわるの、やっぱ嫌?」


 すごく寂し気に、なんだか瞳をゆらめかせる一樹先輩。いやちょっと待って!? そんなか弱い捨て犬みたいな雰囲気をだされると困る!


「そ、そんなことない! あっ――」


 し、しまった!? そう思うも、もはや時すでに遅し。

 一樹先輩が嬉しそうな顔をする。ああもう後には引けない。引けないのだけど、ほんとにそれで良いの? 一樹先輩……。  


「うしっ! じゃあ約束なっ!」


 すると、一樹先輩が声をはった。右手の小指を差し出してきながら。

 私は思わず身構える。


 ちょ、ちょっとそれは……。


「どした?」

「いやその……、な、なに、それ?」


 私は目線で一樹先輩の小指を示す。

 すると一樹先輩は苦笑する。


「ほら、小学生のころはよくしていただろう?」


 無邪気に笑う一樹先輩。でも私は笑えない。

 だって私もう中学3年生だよっ? ゆ、指切りをするなんて恥ずかしすぎる! しかも相手は……うぅ。な、なんで、一樹先輩は恥ずかしく思わないの!?


『妹みたいな存在』


 あっ。


 ふとよぎる思い。そっか、そうだよね……。私だけ何を慌てて……、バカみた――、


「……、えい」

「ひっ!?」


 一樹先輩が私の隙をついて、なかば強引に私の右手を掴んだ。小指同士がからみ合う。一気に体の熱さが増していく。一樹先輩が大げさに、絡まっている指を上下に動かす。擦れ合う小指同士の肌の感触が生々しい。


「文化祭、一緒にま~わるっ、指切った! っと」


 そう言って一樹先輩は私から小指を離した。


「あっ、あの、えっ、えっと……」

「じゃあまたな、志保ちゃん」


 そう言って楽し気に笑い、校舎に行ってしまった。体がすごく熱い。そして私の小指に残る、一樹先輩の小指の感触。そんなに強く握られていなかったのに、強く残っている。わ、私は一体なにしてんの。こんな校門付近で。か、一樹先輩と、ゆ、指切りなんて――、


「朝から見せつけてくれますねぇ~」

「へっ!?」


 後ろから女子の声。私のとてもよく知る声だ。慌てて振り返ると、友達の千紗《ちさ》ちゃんがいた。とても嫌味な笑みを向けてくる。私は慌てて口を開いた。


「え、えっと……、み、見てたよね?」

「ん~、なにを?」

「うっ!? い、いや、あの……」

「んん~?」


 千紗ちゃんが嫌味な笑みを濃くし、小首を傾げる。右側に結んだ短めのサイドテールが小悪魔の尻尾みたいに揺れる。


「う~ん、そうかそうか、志保は私を疑っているんだねぇ~?」

「い、いや、あの――」

「大丈夫!! 私は何も見ていないから! 約束するよっ!」


 そう力強く言って、右手の小指を出してきた。完全に指切りの形だった。


「や、やっぱり見てたんじゃないー!?!?」


 怒る私から、そそくさと自転車を漕いで逃げる千紗ちゃん。小悪魔な彼女を追いかけながら、私達は自分の学年がある中学の校舎へ向かった。

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縁結びの神様 @myosisann

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