百合小説短編集
砂鳥はと子
1 再会
とても気まずい。すごく気まずい。
私はカラオケボックスの隅の席に縮こまりながら、横目で少し離れた場所に座る女性に目を向けた。
三年ぶりに合うけれど、当時とほとんど変わっていない。変化といえば肩まで伸ばしていた髪がショートボブになったくらいだろうか。
黒目がちの涼し気な目と合いそうになって、慌てて逸らす。
今日はストレス発散に、久しぶりにひとカラでもしようと思い、地元のカラオケ店へやって来た。
今日に限ってやたら店が盛況で、空いてる部屋がないと店員さんに断られてしまった。
諦めて帰ろうとしたら、私より先に来て隣りで受付を済ませていた女性に声をかけられた。
「よかったら一緒にどう?」
相手の顔を見て私は絶句した。
もう二度と会わないと思っていた予期せぬ相手に。
そのまま帰ればよかったのに、頭が混乱していたのかオーケーしてしまった。
そして今それを後悔している。
「ねぇ、
置物のようになってる私に構わず話しかけてくる。
(やっぱりあれはなかったことにされるんだ⋯)
今となっては私もなかったことにしたいけれど。
私は改めて彼女に目を向ける。
当時大学生だった先生は、高校生の私から見たらとても大人で憧れの存在だった。
勉強の教え方も上手くて、美人なのにいつもどこか控えめで、でも花のような笑顔がとても魅力的だった。
私はその先生の笑顔を見るために、苦手な勉強も頑張れた。
そして家に来る最後の日に私が告白して振られた。
一番会いたくなかった人。忘れたかった人。
「茉緒ちゃん、私、歌ってもいいかな?」
「⋯⋯どうぞ」
今すぐにでも逃げ帰りたい。
この人に会った瞬間に踵を返すべきだった。
ここでじっとしてても仕方ない。
(帰ればいいんだ)
私の目的はひとカラ。それが達成できないのだから、先生と一緒にいる必要はない。
「すみません、私やっぱ帰ります。⋯⋯人前で歌うの苦手だし、先生一人で楽しんでください」
私はなるべくあの時の事を引きずっていることを悟られたくなくて、満面の笑顔を作った。立ち上がり、先生の顔を見ずに前を横切って部屋から出ようとした。
「茉緒ちゃん、待って」
先生に腕を掴まれた。細くしなやかな指の感触に意識が向く。
「逃げないで⋯、お願い」
振り返ると思いの外、悲壮な顔で私をじっと見つめてくる。
(逃げないで、か。そんなに逃げたそうに見えたのかな)
事実、私は逃げたい気持ちでいっぱいだから見透かされても仕方ない。
「⋯⋯先生も本当は一人の方が楽しいでしょ? 私はまた別の日にでも来ますから」
「久しぶりに会ったから茉緒ちゃんともっと話したいんだけど⋯⋯」
一体、何を今更話すことがあるのだろう。私は先生との思い出を全部捨てたいのに。
「先生は私なんかと話しても楽しくないんじゃないですか。私、先生のこと好きだったんですよ。恋愛対象として。そんな奴と一緒にいるなんて気持ち悪いでしょ」
『茉緒ちゃんのことそういう風に見れない。絶対。無理だから』
私が告白した時に確かにそう言った。
初めて先生から拒絶された。
あのいつも笑顔で表情豊かな先生から全ての感情がなくなったような顔をされた。
女が女に告白するんだから、気持ち悪いって思う人がいても仕方ない。分かってる。
それでも私はずっと好きだった人に拒絶されて、悲しかった。
振られると分かっていても、受け入れられないと分かっていても、拒絶された悲しみが減るわけではない。
「私、茉緒ちゃんのこと、忘れたことなかったよ」
「そうですか。そうですよね。嫌な思い出ですもんね」
つい嫌味が口をついて出る。
先生は切なげに私を見ている。
「でも、もう忘れてください。私も先生のことは忘れますから。お互い、全部なかったことにしましょう」
それで今度こそすっきり終われるはずだ。
「茉緒ちゃんと一緒に勉強したことも?」
「そうです」
「それは、できないかも。私、茉緒ちゃんがどんどんできるようになる姿見て嬉しかった。自分でも人の役に立ててるんだなって。茉緒ちゃんがいい結果出す度に、すごく喜んで笑顔で私に報告してくれるの、楽しみだった」
あの頃の思い出がいくつも脳内で蘇りそうになって、私は打ち消した。
私も先生に懐いていたし、憧れていたし、先生のために頑張っていた。けど、そんな思い出は捨てるしかなくなった。
私が告白なんかしたばかりに。
「ありがとうございます。私も先生のおかげで勉強頑張れました。さようなら」
今度こそ私は部屋を出るために、先生の手を乱暴に振り払う。
「ごめんね、茉緒ちゃん。あの時、嫌な思いさせちゃったよね。今更こんな事を言っても遅いと思うけど、茉緒ちゃんのこと大事に想ってた。想ってたけど、立場とか考えたらどうしていいか分からなくて⋯。茉緒ちゃんも高校生だったし」
「⋯⋯別にいいです。昔のことですし。若気の至りってやつで忘れてください」
元々、両想いになれるなんて思ってなかった。告白した私がバカだった。それだけだ。
大人になった今なら先生がそうせざるを得なかったのも分かる。
「それじゃあ、お元気で」
私はこぼれそうになる涙を必死に堪えて背を向けた。
今度こそ二度と会わないように。
「茉緒ちゃん」
先生に後ろから抱きすくめられて、私はまたもここから逃げられなくなった。
「離してください⋯」
私は先生の腕を離そうとしたが、あまりに強く回されたため、何とか逃げようと抗う。
「あの時、無理って言ったのは先生と生徒だったからで、茉緒ちゃんが無理って話じゃなくて⋯⋯⋯。私、先生だったし。その気持ちに応えたら先生として裏切りになるんじゃないかって思ってて」
先生の声がだんだん涙声になる。
「⋯⋯本当はすごい嬉しかった。茉緒ちゃんに好きって言ってもらえて嬉しかった。本音を伝えられなくてこの三年間後悔してた⋯⋯」
「先生⋯⋯」
抗おうとしていた私の腕から少しずつ力が抜ける。
とうとう先生は私に抱きついたまま、泣いてしまった。私の目からも涙が溢れる。
先生の手にそっと自分の手を重ねると、ぎゅっと握り返された。
(どうしよう、この手を離したくない)
「茉緒ちゃん、ごめんなさい。取り乱して」
ようやく落ち着いた先生に、私は一安心する。あんな先生を初めて見た。
「先生の気持ちは分かりました。その、もう⋯⋯気に病まなくていいですから」
先生が私のことを心底拒否していたわけじゃないと知れただけでも良かった。
「そろそろ時間だけど、どうしますか?」
泣き止むのを待ってたら、あっという間に時間が過ぎてしまった。
「⋯⋯延長してもいい? ちゃんと、もっと茉緒ちゃんと話したいんだけど⋯⋯」
「ここで、ですか? いいですけど」
先生の顔が晴れた青空のように明るくなる。
(私が大好きだった先生の笑顔だ)
私と先生がこれからどうなるか分からないけど、もしかしたらあの時の私の気持ちがちゃんと届くのかもしれない。
(もう一度向き合ってみようかな)
上手く行っても行かなくても、今度は後悔しないように。
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