第56話 熱弁

「ああー、サヤちゃんも惜しいことをしたよね」


 唐突に、嘆くようにミッコは顔をのけ反らせた。


「シンドウ・チハルはこんなに好男子なのに。しかもピアノが上手い。バイオリンも弾ける。ナイフなんか振り回さないで、普通に『好きです、付き合ってください』って言っていたら、幸せな男女交際が待っていたかもしれないのに」


「いや、それは……って、え? サヤ、何か話した?」


「ううん」

 ミッコは悲しそうに、首を左右にゆるゆると振った。

「あの子はあたしとはおしゃべりする気にならないようだよ。だけどあの時、言ってたじゃん。あなたのことが好きなのにぃ。あなたも私のことが好きなくせにぃって」


 思わずハルは、口を開け放っていた。


「聞いてたの?」

「うん」

「えええ? おれ、殺されかけてたよね? 止めてよ、いたんだったら」

「止めたら愛の告白が聞けなかったじゃない」

「はああ?」


 フフっと、ミッコは笑った。


「水をもらいに行ったら、サヤがね、『奥にケガ人がいるから診てくれ、水は私が持っていく』って、身振り手振りと現代語と『古語』が混ざった言葉で言うんだよ。それで行って探したんだけど、ケガ人なんかどこにもいない。あーこりゃ不味いぞって、すぐに戻ったんだ。そしたら」


 思い出したように、またちょっと笑う。


「サヤがきみに馬乗りになってるじゃないの。なんだこいつら、死にそうだったくせに元気な男子だな、って最初は思ったんだけど、どうも様子が違うんで、ちょっと聞いちゃった。あー、言っとくけどね」


 と片手を上げて、抗議しようとするハルを遮って、


「気を利かせたのよ、あたしだって。そういう場面だったら邪魔しちゃ悪いかなーって思って。ついでにできたらきみの返事を聞くまで待ってあげたかったんだけど、さすがに危ないかなって思って止めちゃったんだけど」


 はああ、と大きなため息をハルは吐きだした。

 それじゃ、ミッコはサヤが自分の意志でハルを殺そうとしていたことを知っているのだ。


「ナギさんたちに、言う?」

「んー? 言って欲しい? 言わないで欲しい?」


「……サヤは、横浜のシェルターを連れ出されることになって、だけど砂漠の村の生活を嫌がって新宿に住みたがってるんだよ。だから新宿を破壊しようと思っているおれがジャマなんだ。って、そんなことナギさんたちに言ったって、わけが分からないだろ?」


「はーん」

 ミッコは腕を組んで、腰をかがめまたハルを覗き込んできた。

「理由はそれだけ? 可愛いサヤちゃんが鬼畜ナギおじさんに酷いお仕置きをされたら可哀そうだから、じゃないの?」


「そりゃ……」

 覗き込んでくるミッコの視線に耐え切れず、ハルは顔を逸らした。


「きみは、あの時、とっさにサヤを庇おうとしたでしょう」

 わずかに背を伸ばして、ミッコは苦笑を含んだ声で言う。


「ナイフを捨てろ、と言おうとしたね、あの時。あの状況で、前後不覚に陥るレベルで苦しいはずのきみが、自分を殺そうとしている相手を庇うって……こりゃもうきみはサヤちゃんのことが好きなんだとしか思えないんですけど?」


 ハルはさらに、顔を逸らす。


「そこでおばさん、若い男女のために一計を案じましたぁ。『サヤちゃんは、どうやらどこかの村の悪いおじさんに脅されて、ハルのお茶に毒を混ぜたそうです。殺せと言われたのだと思ったのに死ななかったので、失敗したと思い恐ろしくなって再度チャレンジしたようです。悪いおじさんはどこの村の人か分からないそうです』と、だいたいそんなようなことを、ナギおじさんに報告しましたぁ」


 思わずホッと息を漏らしてしまったのを、ミッコは聞き逃さなかった。

 少しばかり顔を険しくして、


「これできみが改めてサヤに殺されるようなことがあったら、あたしは困る。ちゃんと用心してよね?」

「わ、分かった。……ありがとう」


「だけどさ」

 と、ミッコは表情を和らげる。

「新宿を破壊するかしないかは別として、サヤの気持ちには答えてあげてもいいんじゃないの? 余計なお世話だと思うけど、ごめんね、おばさんだから。……どうしておれも好きだって言ってあげないの?」


「サヤが好きなのは、おれじゃなっくて二〇六〇年代だよ。おれに頼めば新宿に行けるかもしれないって思って、近づいたんだ」

「はああ? バカなのかきみは」

「なんで? サヤのどこを見てたら、本当におれが好きなんだって思えるの? 殺されかけたんだよ、おれ。むしろ憎まれてるよね?」

「その殺されかけたきみ自身が、サヤのことを憎んでいないじゃないの。それはきみ、サヤの気持ちに気づいているからなんじゃないのかい? 少なくとも、きみ。きみは、サヤのことが好きなんでしょう?」


「おれは……」

 少し考えて。ゆっくりと、ハルは首を捻った。


「分からないんだ」

 そうして、言葉を捜しながら。

「なんでもない時にサヤのこと思い出したり、今どうしてるかなって思ったり……彼女のこと考えると、なんだかピアノが上手く弾けたりして、それは……好き、なのかなって思うんだけど」


「少年。それを恋と言わずに何を恋と言うと思っているんだ、むしろ」

 ミッコは信じられないという様子に眉を寄せて、呆れた声で言った。


「だけどさ、サヤとおれとは、全然考え方が違うんだよ。絶対に、分かり合えない。それじゃダメじゃない?」

「理屈じゃないんだよ、そういうのは。好きな相手と考え方も同んなじなら、そりゃラッキーだけどもね。そうじゃないからって、好きじゃなくもなれない。複雑だよね、人間」


「だけど。なんていうか……幸せになって欲しいんだ」


 ミッコは真顔になって、小さく首を傾げた。


「幸せにしてあげたい、じゃないの?」

「おれにはできない」


 少しの間、ミッコは黙って考えているようだったが、やがて、


「きみが、きみの感情をセーブしようとするのには、……あたしには、思い当る理由は一つしかない」

 ためらい気味に、

「きみは、死ぬつもりなのか? この計画が終わったら」


「……いや……」


 そんなことないよ、と言わなければならないんだろうけれど。

 言葉を続けることができなかった。みんなが聞いているような気がして。


「あのさ」

 俯いて。前髪をくしゃりとかき上げて、額を手に載せた。

「冷凍睡眠室に出入りしてたんだったらさ、知ってるでしょ」


 もう平気だと思っていても、それは言葉にするとやっぱり苦しくて、わずかに声が震えた。


「おれの友達、みんなあそこにいて、腐ってて」


 ミッコは黙って、ハルの表情を見守っていた。ハルはその視線に応えることができずに、川へと目を落として、


「みんなでプロになって、いつか一緒に演奏しようって言ってたヤツらがさ。さっきまで、そんな話をしてたんだよ? それがさ、あれじゃ……おれ一人だけ幸せになんか、なれないだろ」


「きみは……見てしまったのか、あの部屋を。トキタさんも、酷なことをするね。一体なにをやってるんだか」


 ため息交じりに、ミッコは悔し気な口調で言う。

 ハルはそんなミッコを横目で見て、


「あの部屋の外に出ると、ハシバってヤツに気づかれるから。あの部屋の中に動けるようになるまでいさせようと思ったんだって」

「……そう」

「ついでに、それ見てすぐにシェルターを追い出された。砂漠で暮らして、半年後に戻って来いっつって」

「……なるほどねえ」


 それだけの説明で、ミッコは何かに納得しているようだった。


「ねえ、ハル」


 少しの間があって、ミッコはハルへと視線を向けた。


「きみに会えて、嬉しかった。あたしは……あたしたちは、そのハシバにほとほと愛想を尽かしてさ。もうここじゃ暮らせないって。トキタさんと、きみたちまだ目覚めていないスリーパーを見捨てて、都市を出て行ってしまったんだよ」


「見捨てられたとか、別に思ってないよ」


「いや、きみはそうかもしれないけれど……。トキタさんが二十年もの間きみを目覚めさせることができなかったのは、やっぱりあたしたちのせいじゃないかなあ」


 苦笑するように、ミッコは顔を歪めた。


「あたしたちがまともにあの都市の中にいて、ごく少人数でもコミュニティを作っていられたなら、きみたちをもっと早く起こしてみんなで出ることもできたかもしれない。あの都市を出てきたことは全然後悔してないけれど、トキタさんときみたちを残してきたことは後ろめたくてね。ずっと気になってたんだ」


「……おれは別に、早く起こしてもらったほうが良かったとも思わないし」


「ほかのスリーパーは、どうなった?」

「死んだって言ってたよ。トキタさんは。おれが最後だって」


 ミッコが気にしているようで、あまり詳しい話をするのをためらった。けれどやはり、ミッコは何か納得したようだった。


「あちこち回って、五、六年前にオオイの村に流れ着いて。そこで、ちょっと前に子供らが新宿に攫われたって話を聞いて。ああ、ハシバがいよいよなんかやらかしたなって思ってね。新宿に行こうかとも考えたよ。だけど結局、しなかった。あたしはもう、都市とは関係のない、砂漠の村の女なんだって思いたくてね。そう。実際、そうなの。モリオ・ミチコはもういない。あたしはオオイの、ミッコ」


 そこでミッコは一瞬、満足そうに笑って。

 でも――と続ける。


「まったく知らなかったことにもできないよね。そこまでドライにもなれない。あの頃のモリオ・ミチコに対しても、今のあたしに対しても」


 ミッコは笑い含みに、けれど少し困ったように口を曲げた。


「今度の話を聞いて。最初はまたハシバが良からぬことを企んでいるのかと思って、オオイがそれに加わるのは待ったを掛けようと思ったんだ。ところが、計画を持ってきたのが、ハルっていうヤマトの客の少年だと聞いて。もしかしたら、シンドウ・チハルじゃないだろうかと考えた。ね? オオイのミッコに、ちょっとだけモリオ・ミチコが顔を出しちゃったんだよ。でも、仕方ないね。それでいいんだ。どっちも紛れもなくあたしなんだからね。うまく付き合ってこうと思ってる。――それで、こないだの会合に出てみた。見極めてやろうと思ってね。あの時のきみの態度は素晴らしかった。きみは、あの都市とヤマトのことを考えていた。まあたじろいでいる連中もいたが、あたしには満足だった。きみになら、あの都市の最終処理を任せていいと思った」


 ミッコは一つ、頷いて、


「うん。あたしが背を向けて放り出してきたあの都市で、トキタさんはまだ奮闘していて、ついに立ち上がろうとしている。それに付き合わされているのは、きみ」


 人差し指で、ハルを真っすぐに指して。


「なんの罪もなく、いきなりすべてを奪われた。たった十五歳で。こんな暴力って、あるだろうかね。そんなきみが、一体どんな気持ちでトキタさんの計画に付き合うことにしたのか、興味があったよ。家族や友人を失っても全然気にしない、ハシバみたいなモンスターの可能性もあるとは考えた。でも、どうやらきみはなかなかの人間で」


 熱弁を終えて、ミッコはふう、と息をつく。ちょっと落ち着いて。


「あたしたちの村に子供を取り戻してくれるっていう少年に、それが成功した暁には、幸せになって欲しい」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る