第2話 コールドスリープ

「なあ……! なあ、って!」

 黙って進もうとするトキタに、肩を支えられて歩きながら何度も声を掛ける。

「ここは……おれは、どうして」


 やはり、まったく見覚えのない場所だった。暗めに照明をともした無機質な長い廊下。やはり映画だったか何かで見た、むかしの建物に似ている。二〇〇〇年代初期までの学校や病院や役所といったところは、こんな感じのあまり飾り気のない建物だったらしい。


 ぼんやりと過ぎていく光景に目をやりながら、けれどそんなことを深く考える余裕などなく必死に言葉をつなぐ。


「みんな、どうなったの? あれは……死んだのか? クラスの……みんな」


「ああ、残念ながらね」

 ようやく口を開いたトキタは、無表情な口調でそう答えた。


「なんで……」

 愕然と、トキタの横顔をうかがう。大人としては背は低めだろう。肩を借りていても、あまり身長差を感じない。それでいてがっしりとした体格。


冷凍睡眠コールドスリープだ」

「は? コールド……?」

「聞いたことくらいはあるだろう? 二〇六五年……きみがいた時代に……」


(おれがいた時代?)


「今から数百年前になるが」

「すう……ひゃく?」


 どうやら求める説明が始まったようだが、まったく頭の処理が追い付かない。


「まあ、聞きなさい」トキタは前方を見つめながら、続ける。「第三次世界大戦が起こることは確実視されていた。あの頃に、な」


 ひとつため息をついて、

「核戦争だよ。それは近々起こると予測されていた。それで、いよいよ世界の破滅が近づいたところで……」


 ちらりとこちらに目をやって、トキタはやはり無表情に続ける。

「始動したんだよ。未来の世界に人類を送り込む計画がね」


「……はあ?」

 やっぱり頭が追い付かない。なんの説明を始めたんだ?


「きみの通っていた学校の生徒は、一校丸ごとで眠りについた」


 SFじゃあるまいし。


「未来に送られる者として、冷凍睡眠によってきみたちは数百年の時を越えた。外の核戦争と、その後に続く核の冬を乗り越えて、この核シェルターにこうして……だが……ほかの者は」

 いくぶん苦しそうに、そこで息を継ぐ。

「覚醒に失敗したんだ」


「……失敗、って……」

「ほかのみんなは目覚めることができずに、死んだ。きみだけが、生きて眠り続けていた」

「ちょっと、待っ……」

「きみだけが助かった。だから、きみはどうにかして生き延びなくちゃならない」

「待ってよ、な……分かんないよ……なんだよそれ……」

「すまないが、そういうことだ。きみは、辛いだろうが……」


 わけが分からな過ぎて、頭が混乱して。それでなくても、目覚めたばかりで思考がおぼつかないというのに。また涙が出そうになる。


「なんで? おれだけ? ……え、なんで? だって……みんな……」

「今はあまり長く説明している暇がないんだ。それに覚醒したばかりで難しい話をしても、これ以上は理解が追い付かないだろう? またゆっくり、詳しく話そう」

「本当に、死んだの? みんな……あれは……」

「ああ」

「だけど……」


 言いかけたが、何を言われても理解できていないのは確かだ。混乱に堪えきれずに涙が落ちた。


「それからすぐに、核戦争が起きて世界は一度滅んだ」

 抑揚のない声で、トキタは続ける。

「だが完全に人類が滅亡したわけではなく、生き残った人々が新しい世界を作っている。この建物の外でな」


「……父さんと、母さんは? 家は……どうなってる?」


 トキタは答えずに、前を見つめたままだった。


「死んだの?」


 腕を持ち上げて、顔を拭う。信じられるか、そんな話。なんでおれは今、こんな戯言を聞かされているんだ?

 けれど、


「ピアノは?」

 ぐずりと鼻をすすりながら、また小さな声で尋ねていた。

「また弾ける?」


 トキタはやはり答えなかったが、腕を支えているその手に、微かに力が入った。


「コン、サート……おれ……」

 言葉にならずに、唇を噛む。捉えるものを失った指が、震える。


「ああ……きみは、ピアニストの卵だったな」


 そうだよ。おれはピアニストになりたくて……コンクールで優勝して、来週にはコンサートが……オーケストラと一緒に、ピアノ協奏曲を……。


「すまない……」


 思い出せば思い出すほど、不安が喉元までせりあがってくる。トキタの話の内容を理解することを、頭が拒絶していた。


「大戦を挟んで時代が分断されて、その当時から現在までの情報はほとんど残っていないんだよ。だから、何がどうなったのか、正確なことは私にも分からないんだ。はっきりと分かっているのは『起きて』からの、それも自分の身の回りのことだけさ」


 心持ち、口ぶりに悔しさを滲ませて続けるトキタ。


「……あんたも、その……コールド……?」

「そうだ。私は冷凍睡眠技術の開発者の一人だ。きみたちを眠らせた、ね」


「え……」


「きみときみの友達を眠らせて、スリーパーたちの目覚めを管理する役目を持って、一緒に眠った。きみたちを『起こす』ためにな。けれどそのほとんどが、目覚めることをできずに死ぬことになった。私はたった一人生き残っていたきみを『起こした』。ちょうど一週間前のことだ」


「は……なせっ!」


 支えられているトキタの腕を振りほどいて、突き飛ばすように離れる。

 離れた瞬間、立っていられずに背中を壁につけて座り込んでいた。

 我慢しきれずに、涙がまたこぼれるのを手で拭いながら、しゃくり上げる。


「も、やだ。いやだ。え? なんで……おれだけ?」

「すまん……」

「……あん、た、謝って……ばっかで……」

「……本当に、すまない」

「分かんないよ。なんだ、よ、コールド……スリープ? 知らないよ。分かるかよ。おれだけって……そんな」


「ピアノは――」

 気持ち屈みこんだ位置から、トキタは優しく声を掛けてくる。

「また弾けるよ。本当だ。楽器はこの都市の中にも、外にも。どこかには残っているはずなんだよ。きみの置かれている状況も、彼らのことも、いずれちゃんと説明するから。理解できるまで……」


「もう、いやだ。歩けない」


 小さなため息が落ちたと思ったら、突然トキタの腕が伸びてきて、思いがけない力で引き起こされそのまま肩に担がれた。


「はなせぇ!」


 抵抗しようとするが、本当に力が出ない。

 そのままいくつかのドアを抜けて、エレベータに乗って。また少し歩いて、トキタが足を止めたと思うと今度は手動のドアを開ける音がした。

 小さな部屋に入って、椅子に腰かけさせられる。


「すまない。気分が悪いか? まだ本調子ではないのに、いきなり歩かせて申し訳ない」


 言いながら、棚から袋を取り出して、いくつかの品物をそこに詰めていくトキタ。こちらに背を向けて、慣れた作業のように手際よく。


 座ってみると、全身の力が抜けてへなへなと倒れこみそうになった。そうして、ひどく息が切れていることに気づく。さっきの部屋で「あれ」を見た時から、息が上手くできない。

 瞬きをすると、ぽろぽろと、涙が落ちた。


「本当は、もっとリハビリが必要なんだよ。長いこと体を動かしていなかったわけだからね。だけど『あれ』を見てしまってはもう、あの部屋にはいたくないだろう?」


「あれ」を思い出して、また吐き気が込み上げてきたが、トキタはそれに構ってくれる様子はなかった。


「こんな状態のきみを『外』に出すのは本当に心苦しいが、あの部屋を出てはここにいてもらうことはできないんだ」

「……『外』って?」

「核シェルターの……この『都市』の外だ」


「……は?」

 やはり分からない。怪訝に返すと、トキタは振り返った。


「顔色が悪いね」

「……」

「本当に、申し訳ない」


 沈痛そうな顔で歩み寄ってきて、


「着替えるんだ、これに」

「……え……」

「早く」


 有無を言わさぬ口調。トキタに手伝われながら白いシャツとジーンズに着替え、ブーツを履かされ、リュックを背負わされる。


「水と、流動食だが食糧が入っている。最初は食べられないかもしれないが、とにかく何か口に入れるんだ。吐いてもまた食べる。いいね」


 最後にフードのついたマントを着せられる。前のボタンを留め、フードを頭にかぶせながらトキタは、


「ここは、新宿だ。新宿は分かるな?」


 唐突に話が飛んだことにまた混乱しつつ、渋々頷く。中学から通っている学校がある場所だ。大通りから猫しか通らないような抜け道まで、よく知っている。行きつけの店も、図書館も。帰りに友達としゃべりながら、放課後のレッスンまでのわずかな時間をつぶした公園も。


 トキタは安心したように頷き返すと、それまでよりもいささか早口で、


「きみの知る時代の都庁のあたりを中心にして、西新宿一帯に及ぶ大きなシェルターだ。地下通路がかつての中野坂上までつながっている。それより西は崩落がひどくて危険だから――」


 話の着地点が想像できずに、眉を顰める。知っている地名が出てきても、いまひとつ理解が及ばない。


「そこで地上に出ろ。出たら、とにかく西に向かうんだ。月が見える方向。ただ――」

 トキタはこちらを真っすぐに見て、腕に手を置いた。

「そのあたりはまだ都市周辺の哨戒ロボットがうろついている。立ち止まらずに西に向かって、廃墟を抜けるまでとにかく急げ。もしも見つかって呼び止められたら」


 言いながらトキタが差し出してきたものに、思わず目を見張っていた。


「ためらわずに撃て」


 そう言って、トキタが手渡そうとしているのは、一丁の拳銃。

 一瞬それを凝視した後、縋るように視線をトキタに向ける。無理だ、そんなものを使うのは。


「大丈夫だ、できる。ここが安全装置。これをこう……外して、引き金を引くだけでいい。顔のあたりを狙うんだ。無理なら足を吹き飛ばす。動きを止めればそれでいい」


 受け取る意思のないことを察して、トキタはそれを無理やりマントの内ポケットに押し込む。


「廃墟を抜けられたら、拳銃はそこで捨てろ。――立てるか?」


 完全にトキタのペースだった。けれど逆らう余裕もなければ、逆らって何をどうするのかもまったく思い浮かばない。疲れ切っていたが、これ以上には休む暇は与えられず、また腕を取られ立ち上がらされ、



「こっちだ」そのまま腕を取られて部屋の外へ。


「ちょっ、と……待ってよ」


 引きずられるようにして、大きなドアに向かう。ドアが開くと、前方には寂れた地下通路が続いていた。


「中野坂上の廃墟を出たら、もう急がなくていい、とにかく西を目指せ。人がいて、村がある。助けてくれる人がいる」


 困惑する相手をよそに、トキタは背中を押して進ませると、地下通路に足を踏み入れたところで手を離した。そして両手で改めて肩を抱き、


「歩けるな? きみはひとまず、その村で暮らすんだ。どこでもいい。受け入れてもらえる村なら」

「何を言ってるのか分かんないよ」

「いいんだ。今は分からないまま行け」

「えぇ?」


 困惑のあまり、また泣きそうになった。が、トキタは両肩に置いた手に力を入れて、


「半年。どうにか無事に生き延びろ。そうして半年後にここに戻ってくるんだ。私はこの場所で待っている。その後で、また話そう」


 そうして手を離して、一歩下がる。強い視線で、目を見つめながら。


「半年だ。忘れるな」

「は……」


「シンドウ・チハル」

 強い口調で。呼びかける。


「私を憎め」


「は……?」

「きみの友達を死なせたのも、きみを眠らせまた起こしたのも。きみをこの理不尽で過酷な境遇に追いやっているのは、私だ」

「なに、言って……」


「怒りを糧にして、生き延びろ」


 出てきたドアに向かって少しずつ後ずさりながら。

 静かに、重たい息をついて、


「生きて、必ずここに戻ってこい。半年だ。待っているからな」


 困惑に呆然と立ちすくむうちに、トキタだけを「中」に残してドアが閉まる。

 最後の一瞬。


「どうか、無事で」


 そうつぶやいた老人の顔が、泣き出しそうに歪むのが見えた。

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