砂の丘、銀の墓標
潮見若真
第1章 覚醒
第1話 眠りの部屋
「シンドウ・チハルくん」
どこか意識の外の遠いところから、名前を呼ばれる。
「目が覚めたか? シンドウ・チハルくん。東京都武蔵野市在住。二〇五〇年三月十五日生まれ、十五歳。間違いないね?」
長い眠りから覚めたような、ぼんやりとした感覚。薄っすらと開けたまぶたの隙間から、わずかに光りが差し込む。のぞき込むようにして自分の名前を呼んだのは、老人と言っていい年齢に見える男だった。
「私はトキタ。ここの管理をしている者だ」
(……ここ? ここって?)
目に入るわずかな光景に、まったく見覚えがない。どうやらベッドに横たえられているようだ――。
体が動かせないほどの怠さ。痛いところは――ない? 拳を軽く一度握って、広げてみる。良かった。手は動くようだ。
「シンドウ・チハルくん。自分のことを覚えているかな?」
(自分……)
少し考える。
「長いこと眠っていたからね。もう少し意識がはっきりしたら、説明しよう、この状況を。それまでまだ眠っていて構わないよ」
たしかに、まぶたを持ち上げるのが億劫なほどの眠気を感じていた。「長いこと眠っていた」というのに?
「あの……」
目を閉じそうになるのをどうにか堪えて、声を上げる。かすれた小さな声にしかならなかったが、トキタと名乗った男は聞き留めた。
「コンサートは……どうなったんですか?」
「ん?」
トキタはわずかに首を傾げ、ほんの一瞬思考したのちに、「ああ」と頷いた。
「コンサートは延期になったよ」
「延期……」
また少し考える。
「そう……」
うとうとと、遠のきそうになる意識を必死につなぎとめて。
どうして延期になったのだったか。思い出せない。
交通事故にでもあったのか?
「今は、もう少し休みなさい」
けれど優しく言われて、堪えきれずに目を閉じる。すぐに吸い込まれるように、眠りに落ちていた。
それから何度か目を覚まし、また眠って。
ふっ――と、目を開ける。抑え気味にした、LED照明の白い明かり。低い天井。
横たわったまま、両腕の肘から下を持ち上げる。それは自分のものではないように重かったが、自分の意図したとおりに動いていることに安心して、両手を見つめる。
(ケガはしてないな)
そのまま手を閉じたり開いたり、指を動かしたりしてみる。動きはするが、体のほかの部分と同じように感覚が鈍い。
とても静かな場所だった。何かの装置が作動する低い音が、Aフラットぐらいの音でずっと小さく聞こえていた。それから、かすかに水の流れるような音。
ゆっくりと、体を持ち上げる。
ベッドから数メートル離れたところに衝立が置かれ、その向こうに部屋が続いているらしいことが認識できた。
どうにか体を起こすことに成功すると、また重い脚を少しずつ動かす。足が地に着くと床のひんやりとした硬い感触があって、裸足であることを知った。
ドラマか何かで見た病院の検査着のような、白い服を着ていた。
立ち上がろうとして、失敗して床に膝をつく。ケガをしている様子はない――痛いところはどこもないのに、脚に力が入らなかった。
内心で首を傾げながら、それでもベッドにすがってどうにか立ち上がり、足を引きずるようにして衝立まで歩いていくと。
薄暗い照明の取り付けられた、低い天井。広い部屋、その一面に。ガラスの蓋に覆われた胸の高さほどのカプセルのようなものが並べられているのが分かった。
それはまるで、部屋一面に並べられた棺のように見えた。
なんとなく不安に駆られて、ゆっくりと近づく。ひとつひとつのカプセルのガラスに、人の名前が書かれているのが分かった。その名前に、見覚えがあって。
(フジタ……タカハシ……それに、……エモト?)
並んだカプセルに書かれているのは、クラスメイトたちの名前だった。
そのうちのひとつにつかまって、のぞき込む。と――
「――!」
刹那。言葉にならない絶叫とともにそこを飛びのき床に尻餅をついていた。
(……に、人間が、腐って……?)
ガタガタと体が震える。うまく息ができない。立ち上がれない。
「あっ、あ……?」
まともに声も出ずに「フジタ」のカプセルを迂回するように這いずっていき、その隣へ。
(タカハシ……?)
震える呼吸を繰り返しながら、カプセルに這い上がって恐る恐るのぞくと、――。
目に入ったのは同じ絶望。顔が半分溶けかかった、人のカタチに見える何かだった。
ぐらりとまた、意識が遠のきそうになるのを必死につなぎ留め、どうにか立ち上がって部屋一面のカプセルを見渡す。
どのガラスの中にも、「かつて人間だったらしいもの」が横たわっていた。
「はっ……あああああああああ!」
叫び声をあげていた。
震えが止まらない。息もできない。
(なんだ、なんだ、なんだここは)
(墓場?)
(え? どうして? おれは?)
(おれは生きている?)
「見るんじゃない!」
焦ったような怒鳴り声。こちらに駆け寄ってくる足音。
声のした方を振り返ることもできずに、
「う、ううぅっ……!」
吐き気がこみ上げてきて、膝をつき体を折った。
「ハッ……ハァ」
耐えられずに崩れ落ちそうになったところで、
「ああ、すまない。すまなかった。ショックだったね」
ガクガクと震える体を、トキタに抱き留められた。トキタはその体を抱きかかえるようにして一緒にしゃがみ込み、背中をさすりながら、「すまない」と繰り返した。
「ここから部屋を移すべきだったんだが。出れば、きみが目を覚ましたことが悟られてしまう恐れがある。もう少し動けるようになったらと――」
違う、聞きたいのはそんなことではない。けれど言葉にならない。視界が涙に滲んでいた。
恐怖と不安に、吐き気が一層強くなり、もう一度手を口元に当てた。
「ともかくそれでは、もうここにはいられないだろう? 行こう」
「ど、こに……」
息を震わせながら、懸命に言葉を手繰る。
「あの……人が、死んで……フジタが、それに……?」
「まずはここを離れよう。きみは、歩けるのか?」
先に立ち上がったトキタが、腕を掴んで体を引き上げようとする。足が竦んで、立ち上がれそうにはなかった。
「なん……、ここは……どうして?」
説明を求めようと見開いた目から、涙がぼろぼろと落ちた。
「ああ、いま説明しよう。とにかくこちらへ」
腕を取られ、立ち上がらされ、トキタの肩を借りてどうにか足を前に出す。
恐々と、しかし後ろ髪を引かれるような思いで一面にカプセルの並んだ部屋を振り返りながら、大きな自動ドアを出た。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます