盗まれた贋作

表山一郭

第1話

藤岡は急いでいた。昨日浮かれていたのが嘘のように憂鬱だった。昨日に遡る。午前10時を周り、彼が海外赴任するところの送別会がいよいよ佳境にはいったころ、告げられたこと。思い出したくもなかったが、リフレインしていた。


大地震の地震速報である。実家の熊本が震度6弱の大地震に見舞われた。速報を見たときは現実感がなかった。藤岡はよいのさめないままテレビの画面に映し出された倒壊した家屋の瓦礫の山を見せられたかのようにじっと見つめていた。周囲の反応はそれに反して冷ややかだった。成人aは呟いた。これからって時によお。成人bも呟く。まったく気分が悪くなるぜ。

成人c。嫌だわ。せっかくの送別会なのに。縁起が悪い。


なあ藤岡


藤岡は答えなかった。

周りは訳がわからないといった面持ちでお互いを見合わせ、せっかく歓待してやったのにといわんばかり眉をしかめた


ごめんなさい急用が入って

藤岡は震える声で非礼を詫びた


そう?残念ね

友人はそそくさと出て行った。


あいつ、前から思ってたけど。

変わってるよな

bの声が扉越しに伝わってきたのを彼は耳にした。正確には、耳に入ってきたように思った。気が動転していたのかもしれないがそんなことはどうでもいいことだ。

一人になり目の前の事態に集中できるという安堵感が彼女を一瞬脱力させた。遠方で起こったショッキングな出来事に対峙しなければならない既成事実が彼女を我に帰らせた。


藤岡はスマホを取り出し単身赴任の夫に電話をかける


おかけになった電話は現在つながりません

背筋に悪寒が走った

男性の渋い擬似音声の反響がぷつりと切れ

彼女の部屋はいま静寂と呼ぶにふさわしいだろう



彼女はクルマを手配し被災地より一番近くのホテルを予約し飛び出した。真夏の日照りとセミの声。触覚と聴覚が鈍く、不愉快に彼女を襲ったが、これは好都合だった。夫の安否を確かめたい気持ちから気が逸れた。




忠彦は喉が乾いていた。停止した車両より身を乗り出すと日差しが当たり、目眩をもよおした。自動運転の発達により停止中は空調が自動的に停止される。また電気自動車の発達により機器類はコンパクトになったかわりに、無理な条件での空焚きは部品への悪影響が大きい。高速道路を歩く気にもならず、

籠城し交通網の復旧を待つことにした。幸い、道路の致命的損壊は免れていたことをドローンの映像により確認していた。


彼には今日、恋人とのアポイントメントがあったのだが、どうやら間に合いそうもない。スマホを取り出し安否の確認と状況の説明を行った。


携帯には彼女の音声の周波数を登録し、そのほかのノイズを打ち消すための仕組みが備わっている。


「もしもし?あけみ?いまどこ」



どうやら入れ違いだったようだ。クッションに身を預けしばらくボーッとしていた。

せっかくの遠方だ。旅行を楽しむことを彼に伝えた。


「さてなにをするか」



忠彦は一足先にアパートに戻ると、キッチンに向かい、奥にしまわれた丼茶碗より小型金庫のカードを取り出した。祖父の時代はダイアル式、ナンバー式の金庫が流通していたのだが、オートロック、タッチ式の金庫が主流となっておりカードを持っていなければ開けることが出来ない。しかし彼は金庫の開封にあたりカードを拝借していた。思った通り彼女はカードの不備をメーカーに訴え、適合するカードをよこした。アクティベートには暗証番号の設定が必要になるが、彼女の性格上、スマートフォンやクレジットカードの番号と同一に設定するものと踏んでいた。2年も同棲していれば、0-9で構成される4桁の番号くらい見ることが出来る。彼の見立て通り、金庫は開いた。中には、婚約指輪と、1枚の封筒が入っていた。封を開けると彼女の父、つまり忠彦の養父の遺言書がしたためられていた。


19:20 犬枝県北部で震度5の地震です。

通知音がなりスマートフォンでAIによる一斉読み上げが行われる。


忠彦は眼をつむりしばらく硬直していた。義父の残した遺言は「私の絵を子供たちに譲る」と記されていた。

忠彦の義父は画家にして生前より名声を得ていた。

フランスに父とともに留学して、写実的な絵画を3D化するといったデジタルとアートの融合を特徴とするグループを立ち上げ

仲間とともに数々の展覧会を開催。SNSで評判が拡散され、大成功を収めたのをきっかけに、

彼らの書く絵は飛ぶに売れた。


だが長くは続かなかった。

順調に思えたが2年後、消息を絶った。

父親が死体で見つかった。

アトリエの一室でノートパソコンを開き、画面には幸せだったと一言添えられていた。

薬の空き瓶が整然と並べられており、現場の鑑識課ならびにプロファイラーは強い意志をもった自殺

として断定した。ビジネスパートナーの義父でさえ理解に苦しむ死に方であった。



忠彦は遺書をしまい、セカンドハウスとして利用しているコワーキングスペースで遺書を再びひらいた。

そこには小さく注意書きが付されていた。「ただし血縁の証明をうけること」


忠彦は肩をこわばらせ遺書を何度も見ていた。

興奮が冷めやらない。

成人になり自身のルーツは今は亡き自殺した父にあったことは養父より聞かされていたからだ。

怒りのやり場をおさえきれなくなり、声を押し殺してむせび泣いた。

自身が養父を快く思っていなかったことは事実であったが、彼は養父への敵意をうまく隠しやり過ごしていたと思っていたからだ。

彼は計画が失敗に終わったことを認め、あけみに一報をいれた。

「無事を確認できて。安心しました。実家はどう? こちらのことは心配しないで」


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