交差点の悪意
テサキザ
交差点の悪意
私の通学路には、毎日必ずと言っていいほど信号に引っかかる交差点がある。
一方通行の細い道が二車線の道路に交わる十字路。当然ながら、広くて交通量の多い道路の信号が青になっている時間のほうが長いので、細くて車のほとんど通らないほうを利用する私が信号に引っかかりやすいのも道理だ。
別の道を利用することももちろん考えたけれど、いろいろと試行錯誤した結果それでもこの経路が最短ルートであることがわかった。以来ほぼ毎日この交差点を通り、朝と夕方の二回ここで無為な時間を過ごしている。
私以外にも何人かの生徒がこの道を利用しており、たまに信号が青になるのを一緒に待つことがある。別に話しかけたりはしないし、名前すら知らないけれど、私は密かに同志と呼んでいる。
今日もいつものように信号に引っかかる。同志の姿は見当たらない。なんとなく、私だけが損をしている気になって軽いため息を吐く。
スマホの漫画アプリを開いて本日更新された漫画を消化する。この信号の待ち時間に読むのがすっかり日課になってしまった。特別楽しみにしているわけではないけれど、読み始めるとそれなりに集中してしまう。
視界の端で、私の右斜め後ろに立っていた人が前に歩き出すのが見えた。
もう青か。今日は割と短かったな。
漫画の続きに気を取られながらノロノロと足を前に運ぶ。
目と鼻の先を車が猛スピードで横切った。
ぶわっ、と汗が噴き出る。
あっぶな。
あと一歩でも前に出てたら轢かれてた。
信号無視?
最悪。
すっかり小さくなった車を睨みつける。残念ながらナンバーは見えなかった。通報してやろうかと思ったのに――
次いで、クラクションの音が耳をつんざいた。
思わず逃げるように歩道まで戻る。
なんなんだ、一体。
息も絶え絶えに振り返る。
歩行者用信号が赤く光っていた。
……え?
もう赤になった?
いや、そんなはずはない。いくら青の時間が短いとはいえ、ゆっくり歩いても点滅が始まる前に渡り切れる程度には余裕があったはず。今の一瞬で赤になるわけがない。
だとしたら。
もともと赤だった、のか。
でも、確かに後ろにいた人に抜かされて――
あ。
慌てて周りを見渡す。
誰もいない。
収まりかけていた冷や汗が再び滝のように流れた。
それからしばらくの間あの交差点を避けるようになった。
しかし、時間が経つにつれてだんだんと冷静になってきて、そのうえでよく考えてみれば。
あれが幽霊なのかなんなのかは知らないけれど。
別に大したことはされていない。
ただ横を歩かれただけだ。
私が気をつけていれば、渡る前にしっかりと信号が青であることを確認すれば済む話だ。
それなのに、毎日微妙な遠回りによって時間を無駄にしていることを思うと、なんだか馬鹿らしくなって。
ある朝、あの交差点に向かった。
もはやほとんど恐怖心はなくなっていた。それどころか、あの得体の知れない存在に対して苛立ちを覚え始めていた。
なんというか、やることが卑怯だ。
あれが人に危害を加えようとする理由なんて知ったことではないが、自分で何かをするわけでもなく、手元に気を取られている人の横で歩き出すふりをして、信号が青であると思わせて、車に轢かせようとするなんて。轢かれる人はもちろんのこと、車を運転している人にとってもひどい迷惑だ。
あんな陰湿なことをするヤツに屈したくない。
そんな意思に突き動かされた……というのも少しはあるけれど、シンプルに寝坊したので最短ルートで向かいたかった、という理由のほうが大きい。
一方通行の狭い道を小走りで駆ける。パッと視界の先が開けて、あの交差点に着いた。
当たり前だけれど、何も変わらない。いつも通りの交差点。少し遅い時間なのもあって、同志の姿はない。なんとなく心細く感じる。
車道から三歩ほど手前で立ち止まり、鞄からスマホを取り出す。
いつもの習慣で漫画アプリのアイコンに伸びかけた指を止めて、別のアプリを起動する。
画面いっぱいにアスファルトが映った。
今日またあのときのアイツが出たら、写真撮ってやる。
SNSで拡散してやる。
画面を顔に近づけて夢中になっているふりをしつつ、目だけをキョロキョロと動かしてヤツが来るのを待つ。
さあ、来い。
来い。
歩行者信号が青になった。
……まあ、こうなるんじゃないかと予想はしていた。あれを見たのもあの日の一回だけだし。もしかしたら単なる見間違いだったのかもしれない。
安心したような、少しがっかりしたような。
それから再びあの交差点を毎日通るようになった。
しばらくの間はヤツを写真に収めてやろうと信号の待ち時間にカメラを起動して構えていたけれど、あれ以来全く姿を見せないので、そのうち飽きてしまい以前のように漫画を読むようになった。
ただ、油断しているとまたヤツに狙われるかもしれないので、交差点を渡るときは必ずスマホを鞄にしまい、歩行者信号が青になっていることを確認してから歩き出すようにしている。結果としてはこれまでより交通安全に気をつけるようになった。
もしかすると、アイツは歩きスマホの危険性を訴えるためにあんなことをしたのかもしれない、なんて思い始めたある日の朝。
いつものように漫画アプリを起動し、更新分に目を通している途中。
右斜め後ろに誰かが立っていることに気づいた。
ドクン、と心臓が高鳴る。
顔を固定したまま目を限界まで右下に向ける。視界の端ギリギリなのでよくは見えないが、確かに誰か、何かがいる。
早まる鼓動を必死に抑える。まだアイツだとは限らない。もしかしたら同志という可能性もある。
汗ばむ指で漫画アプリを閉じ、カメラを起動してインカメモードにする。
スマホを顔の正面まで挙げて、前髪を整えるふりをしながら手の角度を変えて右後方の様子を窺う。
誰もいない。
そんなバカな。
スマホを下に降ろし、改めて肉眼で見てみる。
やはり、いる。
カメラには映らないんだ。
これではっきりした。後ろにいるのは人間ではない。
アイツだ。
実感した途端にあのときの恐怖が甦ってくる。
落ち着け。ヤツは私に直接なにかしてくるわけではない。これだけ意識しているんだから、この前みたいにスマホに気を取られて轢かれそうになることはあり得ない。そして、信号が青になってしまえばコイツはなんの脅威でもなくなる。
大丈夫。
大きく息を吸って、ゆっくりと吐く。
もう一度。
よし。
しかし長いな、相変わらず。まだ青にならないのか。
だんだん冷静になってきてしまったぞ。
もっと言うなら、恐怖心より好奇心のほうが大きくなってきた。
コイツは一体なんなんだろう。
何を思ってこんな回りくどいことをしているんだろう。ただ人を傷つけたいだけならシンプルに後ろから突き飛ばせばいいのに。いや、よくはないけど。
一度気になりだしたら止まらなくなってしまう。
正体を見てみたい。
どうしよう。
振り返るか?
いや、なんとなくだけど、そうしたらヤツは初めて会ったときのように跡形もなく消えてしまいそうな気がする。
なにか、ないだろうか。コイツに対して干渉できること――
あ。
ちらり、と前方の歩行者信号を確認する。まだ赤のままだ
次いで、スマホを見ているふりをしながらその先の地面を見る。あれ以来信号を待つときは車道から少し距離を置くようにしているので、あと三歩分くらい先までは歩道になっている。
よし。
意を決して、一歩、また一歩と踏み出し、そこでピタリと止まる。
どうだ。こちらからフェイントをしかけてやった。これに釣られて私を追い抜いたりしないかな。そこまでうまくはいかなくても何かしらの反応を示すのでは。
先ほどと同様にヤツがいる方向を凝視する。
姿は見えない。
さっきの場所から動いていないのか。私が前に移動したことに気づいてないのかな。
どうしよう、もう振り返ってしまおうか、それとも後ろに二歩分戻ってみるか――
ドン、と前方で大きな音が聞こえた。
交差点の悪意 テサキザ @tesakiza
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます