赤、紅、朱

ゆるくちプリン

第1話 赤、紅、朱

「ジャック・ザ・リッパー」町はこの話で持ち切りだ。事の発端は2週間前から起きている連続女子高生惨殺事件。ロンドンのかの有名な人斬り伝説になぞらえて、この事件は「ジャック・ザ・リッパー」と、呼ばれている。

 この町、渚市には目立った名所も無ければ目立った名産品も無い。そんな平々凡々な町で起きた非日常。恐怖と同時に、少し楽しい。という感情が湧いてしまうのは異常なのだろうか?そんなことを考えながら今日も1人長い帰路を歩く。

 件の事件は女子高生を狙った凶悪な殺人事件。私も女子高生。普通の子達なら防犯意識を持ち、複数人で帰るものなのだろうが、生憎私にはそんな友達はいない。

 2週間前までなんの色も無かった1人きりの帰路は、恐怖とスリルと言う鮮やかな色を帯びて、確かに変わっていた。

 広がる田畑、紅く美しくそして何気なく寂しい色をした夕暮れの空が、背後から来るかもしれない恐怖を増長させる。

 赤。紅。朱。

 赤色というのは美しいと同時に警戒の象徴でもある。彼岸花、血液、サイレン。

 人を警戒させ、その心を踊らせる色。それらを象徴するように田んぼの隅には毒々しいほど真っ赤な色をした彼岸花が咲いている。

 そうこうしている内に、家に着く。家から光は漏れず、ただ夕焼けに照らされて妖しく光っている。周りには他の家も少なく、まばらな家と、広大な田畑が広がっている。

「ただいま。」

 そう小さく呟いた声が、誰も居ない暗く悲しいリビングに吸い込まれていく。リビング中央の机を見ると、そこには置き手紙。

「今日も遅くなります。冷蔵庫の中のビーフシチュー、温めて食べてね。」

 と急いでいたのが分かる乱雑な字で書かれていた。私は手を洗い、マスクを外して、冷たくなったビーフシチューの皿をレンジに入れる。

 長い時間、1人の沈黙と電子レンジが発する音が空間を支配する。きっとクラスの女の子達は今頃談笑しながらジャンクフードでも食べているのだろう。そう考えていると悲しくなる。

 悲しみに支配されかけた私の心は、レンジの「チン」と言う高い音に救われた。熱くなった皿を持ち、机に運ぶ。その時、ようやくテレビをつけ、ニュースを見る。

「いただきます。」

 そんな言葉も言っては見るものの、ニュースの発する音がかき消してしまう。

「えー渚市で発生している連続女子高生惨殺事件についての速報です。昨日被害にあい、重症の状態で搬送された月宮花子さんが大量出血で死亡しました。これにより、1連の事件での死者は17人となりました。」

 渚市のジャック・ザ・リッパー。赤い文字で強調されたその文を画面の端に置き、所々白髪の混じる髪をした男性アナウンサーでそう告げた。

「警察の情報としましては・・・・」

 そう続き、今までの被害者と、犯人の行動範囲をまとめた地図がモニターに映し出される。

 私の通う私立柏木高校は、3日前に見た時と同じく円の中心にあった。この2週間、同じニュースしかやっていない。

 外はもう暗く、少し前まで聞こえていたはずの五月蝿い蝉の声はいつの間にか鈴虫の美しい音色に変わっていた。

 食べ終わったビーフシチューの皿を水につけ、風呂に入る。シャンプーをしている時の背後に何かがいるかもしれないと言う恐怖は2週間前から強くなるばかりだ。

 いつ見つかり、いつ襲われ、いつ殺されるか分からない。そんな恐怖は、1人きりだった私の心を埋める生の実感となっていた。

 テレビを消し、電気を消す。するとリビングは何もかもを吸い込んでしまいそうな闇を帯び、そこに放たれた「おやすみ。」の言葉さえも闇に葬ってしまう。

 夏用の、少し肌寒い布団の中で「明日」と言う明確な時間を無事に終えられるかどうかを自分自身に問うて眠りについた。

 

 

 

「行ってきます。」

 もう母親は仕事に出かけたのだろう。母子家庭で私を育ててくれる母とまともに会話したのをいつか、私はもう覚えていない。

「行ってらっしゃい。」

 の返答は無く、ただ沈黙。人並みの子なら涙が出てしまいそうな悲しい雰囲気も、私には慣れっこだ。

 いつも通り1人の通学路、田んぼの隅の彼岸花は、昨日と同じく毒々しい赤色をして咲いている。

 10分程歩くと、住宅街に出る。ここまで来ると他の生徒達もかなり居て、皆「ジャック・ザ・リッパー」の話で持ち切りだ。

「7組の月宮、死んじゃったらしいな。」

「次は誰なんだろうな。」

 襲われる事の無い男子達は、さも他人事のように談笑している。それに対して、女子は

「花ちゃん、死んじゃった・・・・」

「怖いよ・・・なんで今日学校行かなきゃならないの?」

 女子達はいつ死ぬか分からない恐怖の渦の中、お互い身を寄せ合いながら投稿している。彼女達のバッグの持ち手には、小学生が付けているような防犯ブザーが可愛らしいキーホルダーと共に吊られていた。

 いつになったら終わるのだろう?そんな恐怖を人は怖がる。先が見えないのは恐ろしい。しかし、私は確実に生の実感を感じ、愉悦に浸っていた。

 私はおかしいのだろう。

 学校に着き、朝のホームルームを済ませる。いつもの授業かと教科書を準備した瞬間、突如として全校集会の呼び出しが放送で鳴り響いた。

「学校、休みになるのかな?」

「なるでしょ、うちの学校でももう5人目よ?ならなくても明日から休むけど。」

 ザワザワと言う話し声は、体育館の中でも続いた。しかし、校長が舞台の上に立つと、一瞬で静まり返る。

「えー皆さん。皆さんも知っているでしょうが、最近この町で起きている連続女子高生惨殺事件、その危険性を危惧して、本校はこれから1週間、休校という措置を取る事になりました。休校期間中は不要不急の外出をせず、家の中で己の身を守りましょう。」

 校長の話が終わると男子の喜ぶ声、女子の安堵の溜息がまた体育館を包む。しかし私は安堵と共に、折角得た生きる感覚を無くしてしまうような気がして、安堵の渦の中1人憂鬱な溜息を残した。

 学校は昼で終わりとなり、帰路に着く学生達の目は朝と違って安心に満ちている。まぁいいだろう。これで・・・・

 

 

 女子高生が死ぬのは最後だから。

 

 

 私は足早に家に着き、黒いマスクをつけフードを被る。2週間前からこれが私だ。何も無かった私は、赤に生を見出した。

 肉の裂ける音、飛び散る血飛沫、自分の腕に着いた初めて殺した他人の血が、狂おしいほど真っ赤だったのを今でも覚えている。

 長く大きな包丁を鞄の中に入れ、家を出る。

「行ってきます。」

 は言わない。もう「ただいま」が言えないから。

 住宅街から少し離れたマンション。そこに有るのは温かな家庭の光と幸せの白。

 私はそんな白を真っ赤に塗りたくる。それが私の生きる心地だから。

 私は1人で歩いている女子高生を背後から何回も刺した。まだ暑い昼だからか、周りには誰も居ない。悲鳴が鳴るよりも先に、軋む骨の音が彼女にトドメを刺した。

 私は何回も何回も彼女の背中を刺し、真っ赤になった彼女を見下ろして少し笑った。

 

 

 私は今、小高い丘の上にいる。いつもならきちんと手を洗い、血を落としてから来ていたのだが、今日は何もしていない。

 下に見える町では、先程まで私がいた所に赤いサイレンの光が集まっている。

 私は右腕に着いた血を少し舐め、また笑った。

 この2週間、何処から嗅ぎ付けて私の所に来るかも分からない警察が怖かった。しかし、その赤いサイレンが私の身体を捕らえる前に、私の身体は生で満たされた。

 うふふ、あははと、久しぶりに声を上げて笑った。

 夕暮れが来るまで、あともう少し、血に濡れた時計の針はもう4時を指していた。

 

 

 私の耳に次に入ったのは、美しく鳴く鈴虫の声でも、夕暮れを示す音楽でも無く、大きくて耳障り、そして何より人を恐怖させる音。

 振り返り、そちらを見る。すると、何台ものパトカーの発する真っ赤なサイレンの光が私の身体を突き刺した。

 

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