傑作

門前払 勝無

東京って経験値

 私が早稲田にある大学に通っていた頃ー。


 ビリヤードのあるバーが友人達の溜まり場でバイトをしながら遊び場でもあった。それぞれの田舎から上京してきた同期達は東京に染まっていった。

 私はチャラい遊びに楽しみを見いだせなくてビリヤードのバーのバイトを真面目にこなしていた。


 ネオンが消える頃に雨が降り出して、目の前を走る早稲田通りは光を反射させていた。

 そして、あの人は現れた。


 黒いスーツをラフに着ていて薄く色の入ったグラスをかけていた。カウンターの隅に座りマスターと親しげに話していた。

 私は一番台の掃除をしてからカウンターに戻った。

「歩美ちゃん、彼はこんなに優しい顔してるけど怖い人だから近づいちゃダメだよ」

マスターはニヤニヤしている。

「マスター!本気にされちゃ困るよ」

男もニヤニヤしている。

「ヤクザなんですか?」

「ちげぇよ」

「あ!ごめんなさい」

「ね!怖いでしょ?でも、いつもお客さんが少なくなってから来てくれるんだよ、他のお客さんに迷惑かけないようにね!」

「静かに飲める店がないだけだよ」

「お仕事は何してるんですか?」

「俺?何でも屋」

「え?」

「何でもやるよ、君は男っ気無さそうだから一杯おごってくれたらキスしてあげるよ」

「けっこうです!!」

私がプリプリして断るとマスターと男は大笑いしていた。


 男はいつも「東京物語」と言うカクテルをマスターに注文していた。ラムと桜リキュールとウーロン茶を割ったお酒であった。何となく私は初めて挑戦するカクテルを東京物語にしてみた。


 毎日バイトは二時に終わるのだが、アパートに帰っても暇だから、あの人が来るまでお店でビリヤードをしていた。

「最近よくビリヤードしてるね」

あの人が後から声をかけてきた。

「え、はい。帰っても暇だから…」

「たまには勝負しようか?ナインボールしかできないけどね」

「良いですよ」

「勝ったら一杯おごってね」

私は3回連続で負けた。

 マスターは隣で笑ってる。

「志郎くん!歩美ちゃんのバイト代無くなっちゃうからたまには負けてあげてよ」

「しゃあないなぁ、歩美ちゃんが勝ったら一万やるよ」

「やった!本気出しますよ」

「お!じゃあアドバイスしちゃうよ!」

「マスターずりぃな!」

三人で朝方までワイワイしながらビリヤードをした。私は3回負けて2回勝った。

 お店を閉めて三人でロイヤルホストでご飯を食べてから解散した。志郎さんはタクシーに乗って行った。


 それからしばらく志郎は来なくなった。


 私は東京の夜に慣れてきた。

 友人達と歌舞伎町にも池袋にも六本木にも行くようになった。誘われてクラブのイベントにも行く、初めて会う男の人とも気軽に話すし連絡先も気軽に交換する。バイトも週五から週二にして志郎の事も薄くなった。…と、思っていたけど、一日何回も志郎の事を考えてしまう。特別な事は何も無かったのに何故か志郎に惹かれている。


 金曜の夜なのにビリヤードのバーは暇で、お客さんは誰も居なくて、マスターは向かいの地下のレストランに常連さんとご飯を食べに行ってしまった。また、雨が降ってきてガラスをノックしていると志郎が普通に入ってきたー。


「なに黄昏れてんの?」

「あ!志郎さん!今まで何処に行ってたんですか!心配で心配で私はぐれちゃいましたよ!どうしてくれるんですか!志郎が居ないから勉強も出来なくて!弁護士になろうと思ってたのに留年しちゃいそうなんですよ!どうしてくれるんですか!責任とってください!こんなに好きにさせて急に居なくなるなんて!ひどいですよ!女心を弄ばないでください!」

私は志郎さんに詰め寄った。

「何だよいきなり!」

キョトンとしている志郎さんを見てハッとした。私は何を口走ってるんだろう。凄く恥ずかしくなった。こんなに大きな声で人に詰め寄ったことなんて無かったし、自分の気持ちを爆発させた事も無かったのに…自分の顔が真っ赤になるのが鏡を見なくても解った。


 とりあえず東京物語ちょうだいー。


 志郎さんはニヤニヤしながら何も言わずに煙草を吸って私を見ている。

 私は我に返って恥ずかしいけど、東京物語を下を向きながら造った。

「何か話してください」

「何を話す?」

「何でもいいです」

「話をする気分じゃない」

「この沈黙が気まずいです」

「気まずくさせてるのは歩美ちゃんでしょ?俺は気まずくないよ」

ニヤニヤしている志郎さんをまともに見れない。

「俺は君が思ってるほどかっこ良くないし、未来も無い、いつ居なくなるかも解らないし、バイト先にたまに来る変なヤツにしておいた方が良いよ」

「私じゃダメですか」

「全然ダメだね…」

「でも、携帯の番号だけでも教えてください」

「それは良いけど」

「諦めません!」

「何をだよ」

志郎さんは笑いながら伝票に番号を書いてくれた。

「なんかあったら電話しな…今日はまだ仕事あるから帰るわ」

「また、来てくれますか?」

「そのうち来るよ」

志郎さんは煙草の火つけないでくわえたまま店から出て行った。


 そして、また現れなくなった。


 私は私が嫌になってどうでも良くて、クラブのイベントではっちゃけた……そして、記憶が無くなった。

 目を覚ますと知らない場所であった。天井に映る私は下着姿で周りを見渡すと知らない人達が数人寝ていた。身体かだるくて下半身に嫌な違和感があって頭が朦朧としている。意識はハッキリしているけど何かがおかしい。誰も起こさないように服をまとめてバッグを抱えてそっと部屋を出た。チカチカした卑猥な廊下をフラフラしながら歩いた。非常事態だから、非常階段から外に出た。鉄の扉を開けると太陽の灯りが私を叩いた。服を着て靴とバッグを持って手すりに掴まりながら階段を降りた。自然と志郎さんに電話をかけていた。でも、出ない。何度もかけた。

 何とか大久保公園に辿り着くと志郎さんから取り返しがかかってきた。


「もしもし!あんた誰?」

「歩美です…」

「なんだ!どうしたの?」

「大変なんです……」

声を聴いたら何も喋れなくて泣いてしまった。

「なんかあったのか?」

上手く喋れない……。

「今どこだ?」

「公園」

「どこの?」

「大久保公園」

「行くから待ってろ」

「うん」

すぐに電話が切れた。


 気がつくと志郎さんの膝の上で寝ていた。

「おきたか?」

「ごめんなさい」

私は身体を起こしたが力が入らなかった。

「なんのクスリやったの?」

「クスリ?」

「記憶ないの?」

「はい」

「昨日は何してたの?」

「歌舞伎町のクラブのイベントに行って友達の友達を紹介されてお酒を呑んでたような…」

「ソイツと酒飲んでたの?」

「はい…でも、ホテルで目が覚めてフラフラしてて…」

「もられたんじゃないの?酒になんか入れられてやられちゃったんじゃ無いの?そういうサークル流行ってんじゃん」

「わたし……死にたい」

「まぁレイプなんてざらにあるでしょ、教訓として勉強したって思えば良いんじゃ無い?」

「最悪…志郎さんもそういうことするんですか?」

「するわけないでしょ?クスリやらないもん」

「殺したい!昨日のアイツ殺したい!」

「物騒な事を言わないでね…とりあえず帰りな家の前まで送ってやるから」

「ありがとうございます…あんまり優しくされるともっと好きになっちゃいますよ」

「今日は優しくしてやるよ。次に遊びに行くときは気をつけな!」

家までのタクシーの中で志郎さんは優しく私の肩を何も言わずに支えてくれた。

 

 2日後ー。

 ビリヤードのバーに何となく見覚えのあるホスト風の男達が入ってきた。

「歩美ちゃ~ん!やっと見つけた~!」

「君達だれ?」

マスターが声をかけた。

「うるせぇよオッサン!この女に請求書持ってきたんだよ」

「請求書?」

「とぼけんなよクソ女!お前の飲み代三百万の請求書だよ!逃がさねぇからな!お前の大学も実家も押さえてるからよ!」

「どういう事ですか?」

「覚えてねぇのかよ!俺らのチンポ美味そうにしゃぶりながらシャブ食いまくってたくせによ!」

「歩美ちゃん!どういう事?」

「マスター何でもないです!」

「もめ事は困るよ!」

「2日後にまた来るからよ!ここに居なかったらお前の実家と大学にこの写真ばらまくから!」

男達は笑いながら写真を置いて出て行った。

 写真は裸の私が恥ずかしい姿をしていた。私は膝から崩れ落ちた。頭が真っ白になった。

 マスターは志郎さんに電話していた。しばらく経って志郎さんが来た。今日は一人じゃ無かった。怖そうな人と若い男の子も一緒だった。

「歩美ちゃん…東京は何か間違えると怖い所だよ…夢は東京じゃなくても叶えられる。恋も東京じゃなくても出来る。東京に執着しちゃダメだよ」

志郎さんは私の頭を撫でて店から出て行った。


 2日後ー。

 志郎さんがホスト風の男の一人を連れてきた。

「歩美ちゃん、見たくないと思うけどコイツでしょ?」

ホスト風の男は顔が腫れ上がって左手が布で覆われていたが血が滲んでいた。

「コイツ!コイツだよ!」

マスターが言った。

「お前よ、二人に謝れよ」

「すみませんでした!」

ホスト風の男は土下座していた。

 そして、若い男の子に連れて行かれた。

「歩美ちゃん、少し二人で話さないか?」

私達は店の外のコインパーキングに行った。

 志郎さんは私を抱き締めてキスしてきた。そして、お尻のポッケに入れていた携帯を取った。私は志郎さんの唇の感触に嬉し恥ずかしだったが、次の瞬間驚いた。志郎さんは私の携帯電話を地面に叩きつけた。何度も踏みつけた。

「忘れたい過去はこれで消せよ。俺も君の記憶から消しな、もし思い出すならキスの事だけでね…俺も遠くに行くことになったから、もう会えないけど、俺を好きになってくれてありがとうね」

志郎さんは振り返りもせずに走って行ってしまった。

 何度も呼んだのに振り返りもせずに…。


 私は大学を中退して実家に帰り近所の建設会社の事務をしている。

 東京の空も、ここの空も同じ雲が見下ろしている。

 きっと志郎さんもこの空を何処かで見てるはずだ。

 忘れるなんて出来っこない。


 私は今も志郎さんを忘れたことは無い…。


おわり

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傑作 門前払 勝無 @kaburemono

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