19 敷島先生の記憶〈断片〉 #53
あれから三日で『飛行部がグライダー部に滑走路使用権を賭けた結果負けた』という出来事が学校中に広がった。この日の朝、生徒会を中心に飛桜の滑走路の運用方式を決める会議が行われた。私は結果を誰よりも先に聞きたくて早めに学校へ登校し、会議室の外からその瞬間を待った。そのうち数人の生徒と一緒に会議室から出てきた鳳部長に声をかけた。
「鳳先輩。会議の結果はどうなりましたか?」
「あれ、その子が例の一年生?」
「……ええ、この子よ」
ちょうど鳳先輩の背後には柊木先輩と、もう一人緑色のリボンをした管制科の先輩がいた。私はその先輩に軽く会釈をした。
「噂は聞いていたけれど可愛い後輩だね。でも雰囲気でわかる、奥底に秘められている力は計り知れなそうって。これからが楽しみだね」
「だろ。で、話を戻すが来年度以降のグライダー部存続が確定したこと、滑走路使用権は大会練習を除く通常時の運用については厳粛に執り行うということになった。これも二稲木のおかげだな」
「そんな大したことはしていないです。飛ぶことを、あの状況を楽しんだだけですから」
ふと自分の発言を振り返った。
『……状況を楽しむ』
もしかするとこのことなの? 霧でモヤモヤする中にかすかな輪郭を感じたような気がした。ホームルームまで時間があったので、一人になり吹き抜け手すりに腕を乗せ、思考をめぐらす。記憶の輪郭から色や形か何かを引き出せるのではないかとイメージを深めるが、それ以上は何も出てこなかった。
状況を楽しむ……。やっぱり私にはお父さんとお母さんの考えがまだよく分からない。
「あ、二稲木! ちょっといいかい?」
振り返ってみると敷島先生がいた。もはやそれに気を取られてしまい、考えていた内容がすっと消えてしまった。
「どうかしました?」
先生の口調から話が長くなるのが分かった。
「君のお母さんがフライターの開発に携わっていたことは知ってる?」
「え? 特に聞いたことはないです」
期待感がこみ上がり思わず大きな声が出てしまった。比例して緊張感も高まる。
「お母さんが……、そうだったんですか、でも……」
そうか、入部時点で受け取った時から、「初めて」という感覚がしなった。どこか懐かしさすら感じていた。でもお母さんがその存在を含め、一切話したことがなかった。
「フライターを先輩から渡された時に『どうして今渡されるのか』って思ったでしょ? 一昨年はソロフライトを行った段階で先生が渡していた。でも桜ヶ丘たちの代からは入部の段階で渡すようにしたんだ。彼女たちも疑問に思っていただろうけど、ごり押しで新ルールにしたんだよ」
「どうしてそんなことをしたのですか?」
「それは君が入学するってことを知ったからなんだ」
「……」
敷島先生が私の入学を知っていたのはどういうことだろうか? 少なくとも中学三年で飛桜に決めたのに『一昨年から』という意味が分からない。
「ごめんね、君が本当にあの二人の娘さんかを渡された瞬間の反応で確かめたくって。でも君の操縦を見ててこうする必要が無かったとちょっと後悔している」
先生に聞きたいことがたくさん出てくる。でも時間もそんなに無かったので一番気になった質問をぶつける。
「お母さんがフライターの開発とは一体どういうことでしょうか?」
「フライター……開発の段階で高い性能を評価され、様々な企業からスカウトを受けるほどだった。その中にサクテーション社も含まれていたんだ」
手すりに背をもたれながら敷島先生は続ける。
「知っての通り今でこそ、ひそかに普及しているが、どこで生産されているのかがまるで分からないんだ。飛桜の場合は気がつけば届くようになっている。不思議と数が足りなかったことはなかった」
「つまり誰かが設計図をリークしたって事ですか?」
「ま、そんなところだな。いまはこのとおり特許料も入らなくて散々だよ。アッハッハッ!」
その笑顔とは裏腹にどこか乾いたように先生が笑う。
「っとまあ『期待させた割にこんな情報しかでないじゃん』と思われても仕方ない。それについては申し訳ないと思ってる。結局当時先生は情報の管理をしていたが、アレの性能についてはほとんど知らないんだよ。ウイングバードがパイロット派遣会社という名目で運営しているが、サクテーションとの繋がりもイマイチ分からないし。それに結局権利は誰の物なのかもさっぱりだ」
「そうなんですか。でも私にとってその情報だけでもとてもありがたいです」
「それと先生はな、少なくてもあの事故自体が作為的なものだと考えているんだが……」
「私も同感です」
私は華雲と悠喜菜に聞いてもらったテープを鞄から取り出した。
「よろしければこれを……。事故当時コックピット内を録音したテープがあるのですが聞いてくれますか?」
「そんなのがあるのか? 是非聞かせて欲しい」
私は先生にイヤホンを渡しい、再生ボタンを押す。先生は目を閉じ、やがて拳を強く握った。
「約束しただろうが、美羽……」
先生の口から悔しさがこぼれた。まるでお母さんを守ることが出来なかったという自責の念にとらわれているようにも窺がえる。しばらくするとテープが止まる。少し沈黙を挟み先生はイヤホンを外した。
「悪い、ありがとう」
「敷島先生……」
「やっぱりサクテーション社に殺されたんだな二人も……。あの時先生がライセンスの売却を反対しなければ、こんなことにならなかったのだろうか……」
「先生は絶対に悪くありません! 先生に巡り会えたからこそ、私がこうして事件の真相をいっそうに解明しようと心に決めたのですから」
「強かだね、君は。お母さんによく似ているよ」
先生はいつもの笑顔に取り戻し再び口を開く。
「今後何か分かったら、すぐに君と共有するようにする。先生は君たちを応援しているから」
「ありがとうございます」
あの一瞬、先生がお母さんの名前を口にしたことについて聞こうと思った。だが喉から言葉を出す勇気が湧かなかった。気がつくと手には汗が滲んでいる。
一呼吸置いたのち、話しを整理しながら教室へ向かう。すると今度は幡ヶ谷君に声をかけられた。
「よう、この間ホンマにすごかったな。俺もお前みたいなりたいねんなー」
そういえばグライダー部が飛行部に勝利したのと同じくして、幡ヶ谷君の告白も学校中に広がっていた。「高嶺の花だった」とか、「どうせ胸の大きさが目的だろ」など、根も葉もない噂が飛び交った。それでも本人はまるであの出来事がなかったように振る舞い、教室に入る私を見つけては、相変わらず気さくに話しかけてくる。
「うん……、ありがとう」
定型文のような褒め方に素っ気ない感謝を加える。私の気を引こうとしているのが見え見えなので正直迷惑。どうしても諦められない理由は何だろう? 私なんかよりももっと素敵な人なんているはずなのに。
ホームルームの時間、陽気に柴崎先生は紙を黒板横のコルクボードに貼り付けた。
「はーい皆さん期末試験の日程を発表します。ウフフ」
「よっしゃ! 部活が休みになるからカラオケ行こうぜ」
「バカだろお前、テスト期間だからって遊んでいる場合じゃないだろうが」
「どうせお前もギリギリまで勉強しないだろ?」
「それな、アハハ!」
「さて皆さんに警告。赤点を取った人は補習大変だから覚悟してね。部活がないという意味をよく考えるようにね。では皆さん頑張ってください、ウフフ」
先生は手短に連絡事項を告げると教室をあとにした。
「なぁ、赤点取るときは一緒だから裏切るなよ」
「それは確約できない――」
「早いね。もうそんな時期かー」
「俺様は、成績上位目指したろうかな!」
教室では他愛のない会話が飛び交う。
「そもそもこの学校のテストはむずかしいのかな?」
ため息をつきながら自信なさそうにしている華雲。そんな様子をみている私までもが自信をなくしてしまいそう。
「別に勉強していれば大したことは無くね? 入試と同じような難易度だと思う」
華雲とは反対に自信満々な口調で喋る悠喜菜は、窓を背に腕を組みながら私の前の席に座った。
「げ、入試と同じだとなおさらヤバイかも」
「悠喜菜ちゃんそこの席の男子、さっき課題ノートを持っていたからすぐに戻って来るはずだわ」
一応忠告はした。普段休み時間になった途端、イヤホンを両耳につけてスマホをいじりだし、誰かが話しかけると微妙に不快そうな表情を浮かべる。きっと悠喜菜にも例外なくそうすると思った。戻ってきた席の主はやはり若干迷惑そうな表情を浮かべた。悠喜菜と私に目が合ったと思ったら彼はすぐに離れていった。悠喜菜が恐らく怖い顔をしたのだろう。
「んで、華雲はどれが苦手なのさ」
「航空気象と情報社会はできるけど、数学と英語がかなりヤバイ」
「じゃあ愛寿羽の家でみっちり勉強しようか」
華雲の肩に手を乗せながら悠喜菜が声を発する。
「そ、そうだね。それじゃあ、あずちゃんよろしくね」
そういえば前にそんな約束をしていたっけ。でも賑やかになることを考えたら得なのだろうか。
「了解。その代わりにヘンなモノや人は連れてこないでね。あと家事も料理以外は手伝ってくれたら嬉しいかな」
「まかせて!」
華雲は真っ白な歯をちょっとだけ見せながらニコッと笑い、自分の席に戻っていった。
窓の外を見渡すと誘導路にグライダー部のTFUNと、飛行部のセスナ機が一列になって滑走路前に提起している。空を見上げると紺碧のキャンパスに大小の積乱雲が幾つもできていた。これからも雲の数ほどやることは多いが、信頼できる仲間と一緒ならどんな事でも成し遂げられる気がする。そう思うと気分が高揚してきた。
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