第2話 着任

  月面軌道上にある直径百二十キロの鏡面を通り、たどり着いた先がエデン星系である。

 太陽とほぼ同規模の恒星を中心に、十二の惑星が巡る恒星系で、恒星は一つ一つの部品が幅数百キロにも及ぶダイソン球によって取り囲まれている。


 ダイソン球とは簡単に言うと、太陽全体を覆うように発電装置を取り付け、太陽から発せられるエネルギー全てを余すこと無く利用するための巨大な装置の事だ。

 厳密にいうと、このエデン星系のダイソン球は網目状になっているため、全てのエネルギーを取り込んでいるわけでは無い。


 とはいえ、太陽の生み出すエネルギーは膨大だ。

 ダイソン球から漏れたエネルギーに、無線送電システムでロスした分を加えたとしても、太陽系全域に地球の年間消費量の数億倍という膨大なエネルギーを送り続けることが可能だった。


 そんな重要な場所だけあって、星系全体至る所に宇宙軍と異世界派遣軍の艦艇が厳重な警戒をしいている。

 ここはまさに人類の心臓とも言える場所であった。


 そんな星系の中心が、星系名にもなっている惑星エデンだ。

 エデンは地球型の惑星で、呼吸も居住も可能な星だ。

 ただし、微生物を除く動植物が一切存在しない砂漠と岩だらけの不毛の星であり、数箇所ある密閉型の気密都市に数十万人の軍や異世界派遣軍関係者が居住するだけの茶色い星だ。


 そんな名前とは真逆の星の衛星軌道上にあるのが、異世界派遣軍の本部衛星である。

 SF映画に出てくる宇宙要塞さながらの、直径数十キロに及ぶ球形の施設だ。

 ちなみに通称は”死の星”であるが、惑星破壊可能な武装は装備されていない。


  その本部衛星のとある通路を、一機の55式強化機兵歩兵支援ロボット兵士が、身長180cm程の大柄のSSを連れて歩いていた。


 強化機兵とは、要は強化外骨格パワードスーツの中身をSAに切り替えた歩兵支援用の機動兵器である。


 通常身長3m程で、15mmアサルトライフルや30mmライフル、60mm迫撃砲やレールガンを装備して歩兵や戦車の支援を行う、陸軍でも採用されている兵器だ。


 この55式は2155年採用の機種で、サイズを2mとコンパクトにして扱いやすくすることを目指した物だが、従来の武装が扱えない事等から普及せず、生産中止となった不遇の機種だった。


 なんにしろ、本部施設の廊下を歩くような物ではない。

 その不可思議な強化機兵は、目当てと思しき部屋にたどり着くと、しばし深呼吸するような動作をした後、意を決してインターホンを鳴らした。


「失礼いたします。一木弘和代将、参りました」


 強化機兵から発せられた声は若い男のものだった。


「入りたまえ」


 答える声は年配の男のもの。

 一木と名乗った強化機兵は、扉が開くと同時にすばやく入室した。

 デスクに座るアラブ系の将官が顔を上げる。


「本日付で第44歩兵師団師団長として着任致しました。一木弘和代将であります」


 名乗ると同時に、猛禽の様な見た目に反して、温和で物静かな声でアラブ系の男が口を開いた。


「よく来たね一木代将。着任を歓迎するよ。第049機動艦隊司令のアブドゥラ・ビン・サーレハ大将だ。そこにいるのは副官のスルターナ少佐だ」


 そう言われて初めて、一木と名乗った強化機兵は自分が通った扉の真横に、黒いヒジャブを被った人影がいることに気がついた。

 目元以外は全身を隠していて表情などは窺えない。

 その上一言も喋らず、静かに敬礼するだけだ。


「よろしくお願い致します。ああ、こちらは……マナ、君も名乗りなさい」


 そこでようやく、一木はやや後ろに立っていた長身の少女を紹介した。


「はっ。一木代将の副官を務めさせていただく事になりました。マナ大尉であります」


 ぎこちなく少女が名乗った。表情や動きはどこか硬い。


「ああ、事情は聞いている。大変だったね、一木くん」


 サーレハ司令はマナ大尉を見ると、何かを察したように一木を気遣った。


「……いえ……情けない話です……ですが、同期の仲間や恩人のお陰で立ち直りました。このマナを新しいパートナーとして、粉骨砕身頑張っていく所存です」


「マナ大尉も頑張ります」


 敬礼する一機と一体。


 ここでこの強化機兵、もとい一木弘和について語らなければならない。

 この、不幸な男の事を。


 話は、2020年。

 今から145年前に遡る。 


 二十世紀末に生を受けた一木弘和は、二十一世紀も五分の一ほど過ぎた頃、平凡なサラリーマンとして生活していた。


 あれこれと不穏な空気や衰退の色が見えつつあった時代ではあったが、一木個人は友人もそれなりにおり、両親との関係も良好。

 仕事はさして高給ではない上に、やりがいと言うにはやや厳しい労働環境ではあったが、生きていく上で支障があるほどでも無く、時代を考えれば”普通の生活”といって差し支えないものだった。


 そんなある日、一木弘和の人生における転機が訪れた。


 帰宅途中に大型トラックに轢かれ、瀕死の重傷を負ったのだ。

 およそ人間の形と言えないような状態になった上に、意識が戻らない昏睡状態。

 そのまま一木は九年の歳月を過ごすことになった。


 そして家族が精神と資金面で疲弊したころ、救済の手が差し伸べられた。

 治療困難な難病患者や、昏睡、植物状態の患者に対する冷凍睡眠処置が実用化され、さらに保険の適用が認められたのだ。

 

 この大胆な政策は、無論技術革新という面もあったが、医療費の圧縮という非常に切実な理由も関係していた。

 非情かも知れないが、こういった患者を入院させ続け、身体の健康を保つために使われる費用が、冷凍睡眠処置ならば数分の一になり、病院の負担は大幅に軽減される。

 

 ”解凍”に至る目処がたっていないという大きな問題も、未来の技術に丸投げされたままの導入だったが、結局の所”希望”をつなぐことの出来るこの冷凍睡眠処置は、一木を始めとする多くの患者に用いられることとなった。


 それから数十年後。

 冷凍睡眠処置患者の内、治療法が実用化された難病患者が社会復帰していく一方。 一木のような患者の解凍処置は全くはかどっておらず、ある種社会問題となっていた。

 

 孤独な身の上で肉体を損傷したまま、目覚める事のない数千人の人間への対処に社会が悩む中、ナンバーズの来訪によって潮目が変わった。


 というのも、彼らのもたらしたアンドロイド技術を応用することで、完全義体、いわゆる全身サイボーグ技術の実用化に目処がたったからだ。

 

 こうして脳の状態を検査し、相性が良好な義体が製造できた者から解凍処置が施されていった。

 

 そんな中、どの様な義体でも脳が反応しない、いわゆる”相性の悪い”人間がいた。

 いわゆる自作パソコンの様な話ではあったが、ナンバーズの技術を持ってしても解決できない、体質による解決困難なこの問題により、数十人の人間が眠り続けることとなった。


 以後、毎年製造される医療用義体から軍用、警察用、競技用、産業用。

 あらゆる理論上人間の脳が搭載可能な機械と目覚められない患者とのマッチングが行われ、一人、また一人と社会に復帰していく中。

 

 2150年代になっても眠り続ける三人の人間がいた。

 そのうちの一人が一木であった。


 そして、結局一木が目覚めたのは2162年の事だった。

 軍から払い下げられた型落ちの強化機兵が、奇跡的に脳と適合したのだ。


 そうして一木は目覚めた。

 だがその目覚めと、新しい体による生活は決して楽なものではなかった。


 通常の義体は当然だが、人間がそれを用いて生身と同じように生活することを意識して設計され、製造されている。


 しかし軍用の、しかもSAが搭載されることを前提とした強化機兵に、人間の脳を載せてまっとうな生活が送れるはずもなかった。


 最初に一木を苦しめたのは、360度全周囲認識可能な視界だった。

 ものの数秒で気絶するほどの頭痛に襲われた。

 

 しかも眼をつぶることも出来ない。

 強化機兵に瞼など存在しないからだ。

 

 このままではリハビリもままならず、強化機兵に搭載されたシステム管理コンピューター内に仮想空間を構築して、そこに意識を退避出来るように調整を受けた。

 後に一木は人生で最も苦しかった時間を、目覚めてから仮想空間が完成するまでの、この三時間だと言ったという。


 この恐ろしい苦痛に絶望していた一木に、二度目の転機となる出会いが訪れた。

 一木専属の看護師となった、シキという名前のSLとの出会いだ。

 

 目覚めたばかりでアンドロイドもSLも知らなかった一木の一目惚れだった。

 彼女の献身的な介護もあり、一木は地獄の様な義体のリハビリに耐えた。

 

 耐えられない部分は機械的な改良を加えた。

 全身の全周囲走査センサーを塞ぎ、目元に単眼式の可動カメラアイを搭載したことを始めとして、人間的な動作を邪魔する細かいパーツを取り除く改造が行われ、三ヶ月ほど経った頃に、一木はようやく義体のまま丸一日現実世界で過ごすことが可能になった。


 そしてこれを契機に、一木弘和はシキにプロポーズをした。

 そしてそこで初めて、一木に現代の社会状況と、アンドロイドに関する説明がなされた。

 彼は、シキの事をアンドロイドと知らずに告白したのだった。

 とはいえ、この行為自体に問題は無かった。

 すでにPAの支給制度が普及して久しく、アンドロイドを種類問わず伴侶とすることに、社会的な制限は無かったのだ。


 この告白は、シキの方も乗り気で成功することになるのだが、ここで問題が発覚した。

 一木弘和には膨大な借金が存在したのだ。

 

 一木が生前金を借りていたわけではなく、一木が目覚めることの出来た理由でもある、強化機兵の値段だ。

 

 冷凍睡眠にかかった費用は両親の支払いと、処置を受けた当時の契約通り、国からの保険で賄われていた。

 そして、現代の生活にベーシックインカムによる完全な保障があることは先に述べた通りである。


 では何故かと言うと、強化機兵が高すぎたためだった。

 通常目覚めることが出来る義体が見つかった時点で、その義体の料金は”一定の範囲内”で保証されることになっていた。

 

 そして、正式採用から十年も経っていない軍事兵器というものの値段は、個人が使用する全身義体の値段とは比較にならなかった。

 法律の不備と言えばそうなのだが、こんな高価な軍事用ロボットしか適合しない人間がいるなど、想定されていなかった。


 そしてその結果、プロポーズが成功したのにも拘わらず、一木はシキをPAとして登録できなくなってしまったのだ。


 国に借金がある場合、この時代の法律ではベーシックインカム制度に基づいた”生きるために必要不可欠なもの”は全て保証されることになっていた。

 そして、全地球市民の希望であるパートナー支給制度は”必要不可欠なもの”に入っていなかった。


 そうなると借金を返済する必要があるのだが、これが難航した。

 この時代全ての労働はSLが担っている。

 ラーメン屋の店員から配送スタッフ、営業から農家まで、ほとんど全てだ。

 

 そうなるとアルバイトもままならない。

 存在する生身の人間の働き口と言えば、一握りの官僚や会社役員、高度な技能を持つ職人くらいのものだった。

 当然二十世紀生まれの元サラリーマンサイボーグに務まる仕事ではない。


 好きあった一木とシキという二人が、一緒になることが出来ない。

 そんな悲劇が起こりそうな時、シキの法律上の所有者でもあり、一木のボディを製造したメーカーでもあるサガラ社の技術顧問の老人がある仕事を紹介した。


 それこそが「異世界派遣軍師団長育成過程」だった。

 高給で休みが多い、福利厚生が厚い、人手不足のため試験の倍率が低い、PAを副官として登録可能。

 この好条件の前に、一木に選択肢は無かった。


 二つ返事でシキとともに異世界派遣軍に入隊することを決めた一木。

 

 生まれて始めて全身全力でのやる気をだした彼は、リハビリと試験勉強を乗り切り、晴れて異世界派遣軍に入隊し、将官学校に入学することが決定した。

 

 この時点で定期収入が発生したと見なされ、一木は給料から返済分が天引きされる事を了承する代わりに、各種権利が復活した。

 逆に言うと軍をやめればシキを失いかねないということだったが……。


 それでも、この時の一木は幸せだった。

 たとえ生身の体を失い、無機質な機械の体になったとしても、大切な存在が出来たのだ。

 それに、多少の不自由も仮想空間に意識を移動させれば、疑似体験とはいえ生身の頃の感触を概ね体験できた。

 将官学校は厳しかったが、この時代での初めての友人が出来、全ては順風満帆に見えた。



「だが、そうはならなかった……」


 着任の挨拶にきた一木代将とマナ大尉を、第049艦隊の旗艦シャフリヤールに送り出した後、副官のスルターナ少佐に彼の来歴を話し終えたサーレハ大将は言葉を濁らせた。

 

 壁際に立つ黒衣に身を包んだスルターナ少佐は、悲しそうに目を伏せた。


「つまり、彼は何よりも大切な存在を失ってしまったんですか?」


「そういう事だ……不幸な出来事だったが……」


「よく短期間で立ち直ってくれましたね。やはり来訪前の人間は精神力が強いのでしょうか? 」


 現代人はベーシックインカムによって労働する事が無く、アンドロイドに依存しているため来訪前の人間に比べて精神的に弱い。

 この時代、事実かどうかはさておいて、常々言われていることだった。

 だが、サーレハ大将は首を横に降った。


「学校時代の評価を見る限り、そういったメンタルの持ち主という印象は受けなかった。だが理由は想像が付くよ。あの娘、マナ大尉のお陰だろう」


 一木代将の後ろに控えていた、身長の大きなSSの少女。

 副官であり、一木がパートナーと言うからにはある程度深い関係なのだろうが……。


「何があったのですか?」


「いわゆる、押しかけ女房というやつだ」





 サーレハ大将の部屋を後にし、一木はエデン星系の月面基地行きの定期便に乗っていた。

 月基地にいる艦隊司令部のスタッフと面会し、さらに着任する師団のSS達と合流するのだ。


「…………………………」


 だが、沈黙が重い。

 今隣にいるマナというSSが来てから二週間。

 愛するシキがいなくなって一ヶ月。


 一木の心は一向に晴れなかったが、隣の少女の事を考えると、これ以上腐ってもいられない。

 なぜなら、この少女は一木のためだけに作られたのだ。


 2週間前、シキとの別れの後。

 自分の仮想空間に引きこもり続けていた一木の前に、強制的に送り込まれてきたのが、このマナという少女だった。


 いきなり仮想空間にプロテクトを解除して現れたのにも驚いたが、一番驚いた点は、身長こそ違うもののその姿がシキとほとんど同じだったからだ。


 瞬間、困惑と怒りを覚えた一木は、少女が声を発する前に二週間ぶりに現実空間に戻った。

 少女を送り込んだ人物に心当たりがあったからだ。


 そして、そこには思った通りの人物がいた。

 三角形に整えられたアフロヘアという狂った髪型に、三国志から出てきた様な長いヒゲ。

 やたらと筋肉質の体を高級スーツに包み込んだ御年九十五歳の不良老人。


「やあ! 一木くん元気だったかね? 久しぶりだね! 人類に友と家族と伴侶を贈る、サガラ社技術顧問、賽野目博士さいのめはかせだよ」


 一木の体である55式強化機兵の製造元。

 アンドロイドを人間らしく見せる、外装関連のシェア八割を誇る二十二世紀の大企業サガラ社の、創業時からのメンバー。


 一木が目覚めた時から世話になっていた人物でもある。

 そして何より、一木のPAでもあった試作型医療SLシキの製作者……一木の感覚で言えば父親にあたる人物だ。

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