第7話 流れ星の落ちた場所で

 帝都から馬車で五日程西に行くとたどりつくのがルニ子爵領だ。


 かつてボスロ帝の近衛を務めていた者達が、帝都西方の守りとして配された貴族領の一つで、取り立てて産物も無く、人口も少ないこの地域の領主達特有の非常に小規模な領地で、『帝都の盾として名誉を与えられた。されど利を持たず』と揶揄される貧しい場所だ。


 そんな小さな領地にある、唯一の街ルニ。

 人口千五百人ほどのこじんまりとした街だが、一応の領都でもあるため街を囲む壁と門が築いてあった。


 そんな門の一つは、珍しい事に慌ただしい空気に包まれていた。

 通常ならば二、三人の衛兵がいるだけの場所に、十数人の応援が駆け付けて、松明だけではなく篝火が焚かれ、門を煌々と照らしていた。

 

 それと言うのも、つい先ほど海の方角からやってきた、不可解な物体のためだ。


 最初にそれに気が付いたのは、門脇にある櫓で見張りをしていた衛兵だった。


「海の方から何かが来る!」


 という叫びに、門の前で雑談していた二人の衛兵は首を傾げた。

 大陸で海沿いと言えば、漏れなく断崖絶壁の崖である。

 そして、海側に集落や人家は無い。


 となれば、こんな夜更けに海側から来る者などいるはずが無いのだ。


「何かってなんだよ? それが分からないと何も言えねえよ!」


「あ、いや……嘘だ、ろ……」


 門脇の衛兵が叫ぶが、櫓の衛兵は呻くだけだ。


「呻いてったってしょうがねえだろうが! 具体的な……ん?」


 門脇の衛兵は、思わず闇に包まれた海の方を振り返った。

 微かに聞こえるかん高い、聞いた事の無いような音に気が付いたからだ。


 キィィィィィィィィィィン!


 という風邪とも、見知る獣とも違う、異質な音だ。


「な、なんだよ」


「おい、あれ見ろ!」


 櫓の衛兵が叫ぶと同時に、闇の中に光が見えた。

 松明とも篝火とも違う、白い、筋の様に真っすぐに伸びる不思議な光だ。

 そんな不思議な光景に呆然と立ち尽くす彼らの元に、その不思議な音と光の主が、だんだんと近づいてきた。


「は、箱だ……鉄の箱だ!」


「動いてる……は、はええ! 馬よりも早いぞ!」


 おののく彼らの目に飛び込んで来たのは、暗緑色の箱状の物体だった。

 大きさは小さな小屋ほどもあり、上下二段の箱状の物体が重なって構成されていた。

 下段の箱の方が大きく、そこに不思議な光の発生源が付いていて、さらに両脇には無数の車輪と、その車輪に巻き付くように鉄の帯が巻き付き、回転していた。

 どうやら、その鉄の帯と車輪によって動いているようだ。


 冗談の箱はやや小さく、正面には大きな鉄の筒が取り付けられていた。

 そんな何かの冗談のような物体が、馬よりも早い速度で門に迫り、そして少し離れた場所で、停止した。

 本来ならば警戒するべき衛兵たちは、ただただ立ち尽くす事しか出来なかった。

 最も、年に数回訓練を受けただけの、当番制で衛兵をやっている領民に対応を期待するにしては、今起きている出来事はあまりに異質過ぎた。


「いったい、あれは……」


「おい、あれ!」


 門脇の衛兵の一人が指さした方を見ると、鉄の箱の後ろにあった扉が開き、そこから誰かが降りてきていた。

 人影という、現実感のある物を見た彼らは、ようやく槍を構える事を思いだし、震えながら鉄の箱を威圧した。


 そうして、必死に槍を構える彼らの前に現れたのは、意外な者だった。


「お、女だ! 見た事の無い服を着ているぞ!」


 粗末な皮鎧の衛兵たちの前に現れた一人の女が、ニコリと微笑んだ。

 その背後に、新たに二台の鉄車が表れるのを見て、衛兵たちはようやく応援を呼ぶことを思い出した。





 子爵領を治めているのは、今年五十になるカラン・ルニ子爵。

 でっぷりと太った大男だが、帝都の西の守りを任された一族だけあり、武勇に優れた男だった。


 彼の所にその知らせが届いたのは、すっかり夜も更けた頃だった。


 妻とともに床に付きながら、領地から上がってきた報告書を読んでいた時だ。

 突如馬の嘶きが聞こえ、にわかに屋敷の正面が騒がしくなった。

 カランはすぐにそれに気がつくと、妻に先に寝ているように言付けて部屋を出た。

 すると、すぐに慌てた様子の家宰がやってきた。


「カラン様、大変でございます! 」


「どうした、何事だ? 」


「使者です! 門の前に見たこともない国の使者が表れ、この領地の責任者を出すようにと……」


 家宰の言うことがカランには信じられなかった。

 この領地の東にあるのは帝都のある皇帝直轄地、南北にあるのは別の領地。

 そして西にあるのは崖ばかりの海岸と、凶暴な海獣がうろつく災厄の海だけだ。

 異国の人間が来るような場所などあるはずもない。


 しかし、家宰が言うならば真実なのだろう。

 そう判断して、カランは矢継ぎ早に指示を出した。


「すぐに騎士団を招集しろ! 民兵連中も声をかけて屋敷に武具を取りに来るよう触れを出せ! ああ、そうだ。カシュ!! 」


 カランは寝室にいる妻を呼んだ。

 聞き耳でも立てていたのだろう。

 扉がすぐに開き、三十歳程のまだ若い妻が姿を現した。


「はい、はい。あなた」


 軍勢がいると聞いて顔は青ざめているが、さすが貴族の妻。

 気丈に対応していた。


「ワシの鎧を出してくれ、すぐ出陣する」


 妻は青い顔ながら、覚悟を決めた表情で頷いた。


 そうして半刻ほどでカランは胸甲に兜を身に着け、屋敷の警護兵から馬に乗れるものを選んで伴とすると、馬に乗って出陣した。

 すでに夜も遅いと言うのに住人達が不安からか起き出していた。

 カランが馬を急がせると程なく、入口の門が見えてきた。

 とはいえ人の背丈の倍ほどの壁と薄い木の門だ。

 どのような軍かによるだろうが、最低限の攻城戦の備えが相手にあれば、この街は容易く陥ちる事になる。


「どうにか交渉で……」


 カランはひとりごちると門に近づき、守備兵への声掛けもそこそこに、門脇の櫓へと登った。

 そしてカランは謎の使者とやらを見た。


 騎兵は一人もおらず、代わりに家ほどの大きさの鉄の箱のような物が三つ、街道上に一列に並んでいる。

 箱からは甲高い、聞いたことの無い音が鳴り響き続けており、その前方には箱ごとに二つ、松明とも蝋燭ともつかない見たことのない白い光が灯っていた。

 そして箱の上には一回り小さな箱が乗っており、その箱からは後ろの二台には細い、一番前の箱には太い棒が伸びていて、まっすぐ門の方を向いていた。

 よく見ると穴が空いている。

 薬式鉄弓を大きくした物にも見えるので、もしかすると何らかの投射兵器なのかもしれない。


(攻城兵器のたぐいか?)


 心がざわつくが、表に出すわけにはいかない。

 カランは冷静に、近くの兵に状況を確認した。


「それで使者本人は何処だ?」


「はっ! 最初に姿を見せてから、一旦あの箱の中に戻っています」


「わかった。ならば……来たぞ!! わしがこの子爵領の領主、カラン・ルニである!! 」


 近くにいた兵が思わず耳を塞ぐほどの大音声で叫ぶと、三つの箱の後部からぞろぞろと人間が降りてきた。

 その顔を見てカランは驚いた。


 女だ。

 妙な格好をした女達が後ろの二台からは八人ずつ。

 一番前の箱からは四人降りてきた。

 その全員が恐ろしく美しい女だった。


 薄暗くてハッキリとしないが、後ろの箱から降りてきた女たちは緑色のまだら模様の服を着ており、その上から袖の無い分厚い上着を重ね着している。

 上着の前の部分には、箱の様な物がごちゃごちゃとついており、その上肩や頭には革鎧と鉄兜を装備していた。

 

 しかし、そんな上半身の重装っぷりに反し、下半身は膝上までの長さの筒状の布を腰に巻いているだけだ。

 足には長靴と黒い長靴下を履いているようだが、腰の布と長靴下の隙間の白い肌が不釣り合いな色気を醸し出していた。


 対して、前の箱から降りてきた四人は、見慣れた構造の黒い上下の服を着ていた。

 遠目でも分かるほど仕立てがいいようだ。

 

 カランは、あまりに現実離れした光景に戸惑った。

 だがそんなカランに構うこと無く、前の箱から降りた女の内、頭と思しき楕円形の帽子を被った一人が答えた。


「いきなりの失礼な訪問に応えていただき、感謝する」


 澄んだ、美しい声だった。

 その一方で、酷く無機質な印象を感じさせる声でもあったが……。


「私は地球連邦異世界派遣軍所属のアミと申します」


 ちきゅうれんぽう……いせかい派遣軍……カランには聞き覚えのない国だ。


「お前たちは何なのだ……どこから来た!」


 カランがそう問うと、アミという女はしばらく黙った。


「答えんか!」


「私達は……海の向こうから来ました」


 その言葉にカランは衝撃を受けた。

 おとぎ話だと思っていた。まさか、いや本当に……。嘘ではないのか、担がれているのではないか……だが、どこの誰がこんなことをするのか。


  カランがここまで衝撃を受けるのも無理はない。

 古代の創世神話から庶民の昔話、近代の無謀な冒険家の記録に至るまで、その全てが”この世界には陸地はこの大陸しか無い”という事実で統一されているのだ。

 

 一応おとぎ話や与太話として、女神ハイタの末息子、魔王オルド・ローが海の彼方に魔物たちを連れて去った。

 そこには大陸以外でたった一つだけ、島があるというものがある。

 ただし、これはあくまで神話から派生したおとぎ話。

 子供への脅し文句で用いられるような話に過ぎない。

 衝撃を受けるカランは、だが現実に存在する、自称海向こうの女達に対応しなければならない。


「子爵閣下、私達は先触れです。どうか交渉のため、帝国との交渉使節である我々を街に入れてもらえないでしょうか? 」


 呆然とするカラン子爵の目に、土煙を上げてこちらにやってくる蛇のように長い列を作る鉄の箱の群れが見えてきた。

 もし、目の前の箱と同じように人間が乗っているならば、その規模は数千を超えるだろう。


(とんでもないことになった。先祖よ……大陸をまとめし先祖よ、我にご加護を……)


「アミ殿。詳細を話し合うためも、まずは詳しい話を聞きたい。今からワシがそちらの代表者のところに行こう。案内してほしい」


 するとアミは再び、少しの間黙った。

 沈黙の後、アミはカランを見据えて、はっきりと頷いた。


「それでは我々の指揮官の元に案内しましょう。閣下、降りてきてください」


 カランが頷いて、櫓を降りる。

 すると周りには兵士が集まっていた。

 皆、不安に飲まれたような顔をしている。


「狼狽えるな! 住民を家に入れて外出を禁止しろ! それと早馬の用意だ、ルニ子爵領に海向こうからの使節あり。軍勢を連れて訪問中、とな。まずは第一報だ。続報を送る後続の馬の準備も急がせろ! 」


 バタバタと動き始める兵士たちを見ながら、カランは覚悟を決め門を開け放つように命じた。


「さあ、アミ殿。行こうか」


 鉄の箱の群れに向かって、カランはゆっくりと歩き出した。

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