ガッシュガッシュ
三塚章
ガッシュガッシュ
僕の通学路には、僕が入れないほど小さな家がある。お母さんに聞いたら、ホコラっていうんだって。ガラスのはまった扉からのぞくと、なかには小さなお地蔵さんが入っている。
小学校が終わって、友達の直光(なおみつ)と一緒に帰ろうとした時だった。
「これから直光の家でゲームしようぜ!」
とか話ししていたら、急に直光がふざけて僕がかぶっていたボウシを取って走り出した。
「おい! 返せよ!」
なんて叫びながら、僕はランドセルをガチャガチャ言わせて追いかけた。
もちろん、直光も冗談だってわかっていたから、本気で怒っていたわけじゃないけどね。
しばらく笑いながら追いかけっこしていたんだけど、僕は何かにつまずいて転んでしまった。ちょうど、お地蔵さんのほこらのまん前で。
「おい、大丈夫かよ」
直光は、逃げるのをやめて助け起こしてくれた。
「うん、大丈夫」
肘も膝もすりむいていない。頭を少しホコラにぶつけたけれど、そんなに痛くない。僕たちはまた歩き始めた。その時。
ガッシュ、ガッシュ、ガッシュ……
変な音がした。
さっき通り過ぎたホコラの方を振り返ると、誰かが長い棒のついたブラシ――そうだ、デッキブラシって言うんだっけ。学校のトイレ掃除でたまに使う――それで道路をこすっているのが見えた。
いつの間に来たのだろう。僕と同じくらいの歳の子だ。顔はうつむいていて見えない。
お手伝いかな、偉いな、なんて僕は思った。
でも、ちょっと変なんだ。その子が着ている、シマシマの半袖と紺の短パン。それは僕が持っているのと同じ服だった。それに、もっと変なのは場所を動かないっていうことなんだ。
普通、道を掃除するなら、はじっこも、真ん中もちゃんとやるよね。でも、その子 は立ち止まったままずっと同じ所をこすっている。
なんでか分からないけれど、僕はなんだかドキドキしてきた。変な汗が出てくる。
服なんて、同じものがたくさん作られているはずだから、同じものを着ている人もたくさんいる。同じ年頃の男の子だってたくさんいる。だから、別に怖いことじゃない。
そう思ってまた歩き出そうとしたけれど、どうしても目を離すことができなかった。
その子が、顔を上げた。こっちに気づいたのではなく、ずっと下をむいていて疲れたから、ちょっと上をむこうといった感じで。
僕だった。
そう、鏡でいつも見る僕の顔。
ガッシュ、ガッシュ、ガッシュ……
僕じゃない『僕』が、一生懸命デッキブラシを動かしている。
「え……?」
「どうしたの? ねえ」
何度か呼びかけられて、ようやく直光がそばにいることを思い出したけど、まだ目を『僕』から離(はな)せなかった。
顔を『僕』にむけたまま、指をさして言う。
「いや、あそこに僕が……なんか、道路をこすって……」
「は? 何言ってるんだよ」
直光は思いっきり顔をしかめて、僕が指した方を見つめた。
「いや、ほら、あそこに」
僕は必死で『僕』を指さした。
「ああ、もう、わかったよ。もう、そういう冗談はいいから」
直光には見えていないんだ! やっぱり、あれは普通じゃない! そう考えると、一気にパニックになった。
「うわああああ!」
僕は、大声を上げて家までダッシュした。
それから、学校からの帰り、お地蔵さんを通り過ぎるとガッシュ、ガッシュという音が聞こえるようになった。
そして振り返ると、『僕』がデッキブラシで地面をこすっている。
一体、あれは何なんだろう。僕の幽霊? 僕はまだ生きているのに。
なんだかすごく怖くなって、僕は眠れなくなってしまった。大好きなパスタも全然おいしくない。
そんな僕を、お母さんもお父さんも心配した。でも、自分の幽霊がいるなんて言えない。きっとふざけていると思われるだけだ。でなければ、もっともっと心配させてしまうんだ。
「なあ、このごろおかしいぞ」
それから数日後、廊下でおっかない顔をしている直光にそう聞かれた。
あれから普通にしていたつもりだけど、彼にはバレていたようだ。
「べ、別に何もないよ」
教室に戻ろうとすると、とうせんぼされた。
「嘘つけよ」
通りかかる子が、こっちに不思議そうな顔を向けている。
「何か困ってることがあるんだろ?」
直光は、僕のことを心配しているんだ。
僕はうっかりたくさんわさびを食べてしまったように、鼻の奥が痛くなった。
本当のことを言おうとして、僕はあたりを見回した。もう一人の『僕』がいる、なんてことを誰かに聞かれたら、変に思われる。
そのとき向こうから、白いブラウスと青いスカートはいた女の子が近づいてきた。メグだ。その周りでメグの友達三人が歩いている。
「あ」
僕はとっさに顔を背けた。
メグと僕は、家が近くて幼稚園のころからよく一緒に遊んでいた。
僕のお母さんとお父さんも、メグのお母さんとお父さんと仲がよくって、一緒にキャンプへ行ったりファミリーコンサート行ったりしていたから、小学校に入ってからも仲良しだったんだ。でも今は……
「なあ」
直光に肘をつつかれ、僕はハッとした。
それから、ホコラのそばに『僕』がいたことを二人に言った。
「そうだ!」
直光が急に大きな声を出した。
「まずは、その偽物をよく観察してみよう!」
「観察?」
直光が聞き返す。
「だって、相手が何なのかわからないと、どうしたらいいのかもわかんねえじゃん」
僕はびっくりした。
最近は、あの道を通るのも怖いのに、『僕』を観察だって?
「そんで、何者なのか聞くんだよ」
「そんなこと!」
僕がもそもそ言うと、直光は怒った。
「じゃあ、ずっとこのままでいいのか? もう一人自分に会うと、死んじゃうって話もあるんだよ!」
「ええ、そんなのいやだ!」
「だったらやるしかないだろう。大丈夫だよ! 俺も一緒に行くから!」
直光は言った。
と言うわけで、僕はその日の帰り、『僕』と対決することになった。
校門を出て、文房具屋さんの横を通り、右に曲がる。大きな木のある家を通り過ぎ、郵便ポストの横を通り、お地蔵さんのホコラを通り過ぎる。
ガッシュ、ガッシュ、ガッシュ……
恐る恐る、僕は振り返った。シマシマの半袖に短パン。笑っても怒ってもいない顔。もう一人の僕は、ガッシュ、ガッシュとデッキブラシを動かしている。
「なあ、本当にそこにもう一人のお前がいるんだな」
僕はうなずいた。やっぱり直光には見えていないみたいだった。
直光に背中をつつかれて、僕は恐る恐る『僕』に近づいた。
「あ、あの」
僕が話しかけても、『僕』は顔すらあげない。
僕はまた話しかけてみる。
「あの、あなたは僕ですか?」
『僕』は返事もせずにガッシュ、ガッシュと道をこすっている。
幽霊のように半透明っていうわけでもないし、おおいかぶさってきたり、襲ってきたりもしないみたいだ。ただブラシを動かし続けているだけ。
『僕』は一体何をこすり落とそうとしているんだろう?
よく見ると、アスファルトに黒いシミがあった。
これを落とそうとしているのかな?
最初は、ガムの跡だと思った。けれどよく見ると違った。
小指の先くらいの、フチがギザギザした円が、ニ、三個。
何か物が貼り付いていたものじゃない、濡れてるんだ。それを『僕』は、ブラシで伸ばして乾かして消そうとしている。
(!)
なんだか、雷に撃たれたようだった。
ずっとずっと忘れていた。ううん、忘れていたつもりになっていたことを思い出した。
「お前、メグのこと好きなんだろう」
僕は知らなかったんだけど、男の子が、誰か一人の女の子と仲良くするのって、おかしなことに思われるらしい。あいつはメグと付き合っているとか、メグのことが好きなんだとか、からかわれるようになった。僕はそれが嫌だった。ガマンしていたけれど。
だけどその日、メグと一緒に帰っていた時、クラスメイトの文人達にからかわれたんだ。あいつらは、僕とメグを取り囲んで、「デート、デート!」とか「いいねえ、仲がよくて」とかなんとか、はやしたてた。やめてほしくて、恥ずかしくて、怖くて、つい言っちゃったんだ。
「別に、メグの事なんて好きじゃないよ。大嫌いだ。メグが勝手についてくるんだ」
メグは立ち止まった。
そう、ちょうど今、『僕』の立っているところに。
そしてポタポタとメグの目からは涙が落ちた。僕は、それをぼんやりと見ていた。
そうだ、その時の涙の形。フチがギザギザした円。
僕は思いっきり走り出した。
そうだ、僕はずっとずっと、メグに謝りたかったんだ。前みたいに仲良くなりたかったんだ。
でも、それはとっても難しくて、メグに話しかけようと思っただけで、胸が苦しくなって足が震えて……だから、忘れたふりをしたんだ。
もう、僕が消えるか消えないかなんて、どうでもよかった。謝らないと。
「おい、どこに行くんだよ!」
直光の声が聞こえた気がした。
メグはもう家に帰っているはずだ。僕はメグの家のチャイムを鳴らした。
「あら、久しぶりね」
そう言って、メグのお母さんは笑った。
僕の声が聞こえたのだろう。メグがニ階からおりてきた。
「どうしたの?」
メグの姿を見て、僕の心臓が大暴れする。
「じゃあ、ゆっくりしていってね」
多分、僕がメグとゆっくり話せるようにしてくれたのだろう。メグのお母さんは、家の奥に引っ込んでいった。
残されたメグは、黙って僕を見つめている。
何か言わなきゃ。
焦るけれど、何を言っていいのかわからない。
だから僕は、いきなり頭を下げた。
「ごめん」
「え」
僕は、かたく目をつぶって下を向いているから、メグの表情は見えないけれど、聞き返してくる声は聞こえた。
僕は、逃げ出したくなるのを我慢して続ける。
「みんなにからかわれた時、ひどいこと言ってごめん。本気じゃなかったんだ。なんだか恥ずかしくて」
しばらく待っていたけれど、メグは何も言ってくれない。そっと顔を上げると、ずっと僕を見詰めていた。
「うん」
メグは大きくうなずいてくれた。
僕の目から、涙がぽたぽたこぼれた。玄関の床が、フチのギザギザした円の形に濡れる。
「おい、どうしたんだよ。ここ、メグの家じゃないか?」
外から直光の声が聞こえてきた。直光が追いついたんだ。
「おい、どうしたんだよ」
僕が泣いているのに気づいて、直光が言った。
「なんでもない、なんでもないよ」
僕は首を振った。
それから、僕はお地蔵さんのホコラに戻ってみた。
でも、ガッシュ、ガッシュ……っていう音はもうしなかった。道路をこする『僕』も、メグの涙の跡も消えていた。
あれは多分、僕の心の一部だ。あんなことをしなければよかった、ちゃんと謝ればよかった。そんな思いが『僕』になったんだ。僕の心の一部なら、僕と同じ姿をしているのも当然だよね。そして『僕』は、メグの涙をブラシでこすって、落とそうとしていたんだ。
次の日の帰り道も、その次の帰り道も、もう『僕』は出てこなかった。たぶんもう、出てくることはないんじゃないかな。
でもね、ちょっと困ったことが起きたんだ。
それから一ヵ月くらいした時かな。風邪をひいたようで、頭が痛くて、先生に言って早く帰らせてもらうことになったんだ。そして、ホコラを通り過ぎたとき、今度はザッザッて音がしたんだ。僕は、恐る恐る振り返った。
何十年も昔の人なのかなぁ、着物姿で坊主頭の子が、ほうきを使って地面をはいていたんだ。同じところをずっと。そのはいている地面だけ、道路に穴が開いたように土になっていた。そして、その乾いた土に涙の跡が残っていた。
その男の子は、ほうきでその跡を消そうとしてるんだ。
それは、ずっと昔の誰かの心の一部なんだろう。もう、本物はおじいさんになっているはずだ。でも、その人は何年何年も、何十年も後悔し続けているんだ。
なんだか悲しい気持ちになりながら、僕はまた歩き始めた。
そうしたら、またガッシュ、ガッシュとブラシでこする音がした。また別の場所からも。
振り向いて、驚いた。
通りに、男の人、小さな女の子、おばあさん、おじいさん……いろんな歳の男の人、女の人が、それぞれデッキブラシを持って足元をこすっている。誰かの流した涙を消そうと。
ガッシュ、ガッシュ……
顔も上げないで、一生懸命。
ガッシュ、ガッシュ……
それから僕は、体の調子が悪い時に見えるようになったんだ。たくさんの人が思い思いの方向を向いて、道路をこすり続けているところを。
ガッシュ、ガッシュ……
ガッシュガッシュ 三塚章 @mituduka
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