3.蝶の眼帯の少女
女の子の眼帯はよく見てみると蝶の形をしていた。この世界にも蝶、あるいは蝶に似た生物が存在するのか。俺はそのことに何故か安心感を覚えた。
彼女は振り向いた姿勢のままピクリとも動かない。電池の切れた玩具みたいだ。
そのまま、俺の顔をじっと見つめてくる。蝶の眼帯に覆われてない右目は空のように蒼かった。
俺も空色の瞳から視線を逸らせない。なんだか、吸い込まれるような感じだ。
俺達はしばし無言で見つめ合う。
近くの席で本を読んでいた若い男性が、俺と女の子の両方に訝しげな表情を向ける。
い、いかん。このままでは変な誤解をされてしまう。
穴の空きそうな勢いで見つめてくる女の子に、何か声をかけようとした時だ。視界から忽然とその姿が消えた。
「!?」
何が起きたのか理解できなかった。俺達に胡乱げな視線を送っていた男性も驚いている。
俺が声を上げるよりも先。
ほのかに甘い香りが再び鼻をくすぐる。
そして。
眼帯を付けた少女の顔が、俺の目と鼻の先に現れた。
彼女は、自分と俺の間を一瞬で移動したのだ。
少女は爪先立ちをすると、俺の首に手をまわし、そのまま自分の方に抱き寄せた。
うわわわわ、ちょっ、な、何をするの!?!?
こちらの様子を窺っていた男性もギョッとした顔になっている。
俺は自分の体温が一気に上がり、顔がゆでダコみたく真っ赤になるのを感じる。
慌てふためくこちらのことなどおかまいなしに、女の子は俺の耳のあたりに顔を近付けると、そのまま犬のように鼻をひくつかせた。
い、いやぁぁぁぁ!!! な、なんスか、その上級者向けのプレイは!? 俺にはちょっと、いや、だいぶ早過ぎると思うんですけど!? できればもっと一般的なヤツから順を追ってオナシャス……って、何を言わせんだよ何を!!
女の子は俺の耳のにおいを嗅ぎ続ける。
マジでもう勘弁してくれぇ〜! 俺、昨日は風呂入ってないんだよ! 服どころか下着もそのままなんだって!!
夏じゃないから臭くないとは思うけど、別にそんなところからいい匂いなんてしないよ!?
「ちょ、ちょっ……!!」
俺は、かろうじて、そう、声に出した。
女の子は満足したのか、俺の体を優しく押し返すと、そのまま一歩後ろに下がった。
「あなた、不思議なにおいがする」
そう言いながら小首を傾げる。その動きに合わせて白銀の髪が揺れた。
三つの星を並べた髪飾りが、窓から差し込む光を反射してチカチカと輝く。
不思議なにおいってなんだ。
やっぱり臭いってことなんじゃろか? 仕方ないだろう、昨日はいろいろあって疲れてたんだから。風呂に入らず寝オチしたことぐらい許してくれよ。あと、アーシアさんに下着の替えがあるか聞くのが恥ずかしかったんだよ。俺だって思春期の男子なんだぞ。それぐらい察してくれよ。
まさかとは思うけど、俺はまだ確率的なゾンビ状態で、知らず知らずのうちに腐臭を撒き散らしているとか?
「懐かしいような、まだ知らないようなにおい。眼を使わなくても、あなたが特別だって伝わってくる」
発言内容が若干意味不明だけど、俺が臭いと言いたいワケではなさそうだな?
「えーと、念のため確認するけど、俺から嫌な臭いがするとかじゃないんだよね?」
「別に嫌なにおいはしないわ。ただ、嗅いだことのない不思議なにおいがするだけ」
良かった、悪臭フンプンニキなんて存在しなかったんや!
でも、今日はちゃんと風呂に入ろう。下着も新しいヤツを用意してもらおう。
ついでに服も洗っておこう。
「あなたは何者?」
首を少し傾けながら聞いてくる。
サファイア色の右目が好奇心で煌めいているように見えた。
いや、ナニモノと言われましても。
どこまで、自己紹介すればいいんだろう。
俺がテラリエルとエリシオンを救うために召喚された英雄って話(実際は違うんだけど)は、やっぱりオフレコなんだよな……?
「わたしの名前はフィオーラ」
「お、俺はタカマル。タカマル・カミナリモン」
向こうが名乗っているのに、こちらが名乗らないのは失礼に思えた。
まぁ、多分、名前ぐらいなら問題ないだろう。
「タカマル・カミナリモン……。変わった名前ね」
異世界の人間にはそう聞こえるのかもな。いや、元の世界でも、名前はともかく、名字はそこそこ珍しかったけど。少なくとも、保育園から高校まで、親戚以外で雷鳴門姓の人間に会った記憶はない。
「そうだ、忘れてた」
蝶の眼帯の少女・フィオーラは何かを思い出したようだ。
「姉さんにお使いを頼まれていたから、わたしはもう行くわ。タカマル、あなたにエリシオン様のご加護がありますように。……でも、これは大きなお世話かも。あなたの魂の深い場所から、エリシオン様のものとは違う大きな力を感じる。眼帯の上からでも、それが
そこまで言うと、フィオーラは小さく微笑み、現れた時と同じ唐突さで、俺の前から去っていった。
ふわりとワンピースの裾を翻しながら、まるで風に舞う花びらのように軽い足取りで。
俺とフィオーラに読書の邪魔をされた男性が、呆気に取られたような表情を向けてくる。
俺は頭を下げてお騒がせしたことを謝罪した。
男性の反応からすると、フィオーラは幽霊ではなく生身の人間のようだった。
俺はそのことに何故かホッとした。
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