あがにゃん殺伐感情百合短編集

阿賀沢 隼尾

第16回 殺伐感情戦線【嘘】 乙女達の花園は鮮血と嘘で紅く染まる

 私の口には、マリアの肉の感触と味がじっとりと残っていた。

 血だまりが私の周りに出来ていて、私の着ている制服にも返り血が掛かっていた。


 教室にはマリアの肉体は何一つとして残っていなかった。

 肉片一つも。骨の欠片一つも。


 相手に警戒心が無いのは幸いだった。

 心臓の鼓動が速まるばかりで全然静かになってくれない。


 貴方が悪いのよ。

 貴方がエリと仲良くしていたから。


 だから、私は貴方を殺したの。


 貴方の愛が深くなる前に。


 カタタタタ。


「誰!?」


 見られた。

 食人現場を見た者を生かしておくわけにはいかない。


 教室を出て左右を出るが、犯人の姿が無い。


 やばい。

 このままではいけない。


 仮に、これをネタに脅迫されたり、学校や警察に報告されるようなことがあったら……。

 ごくりと息をのむ。


 ここは女子校。

 女子しかいない。

 それに、ドア越しからは彼女のシルエットしか見えなかった。


 特徴的だったのは、鞄に付けてあった星型の飾りだった。

 逃げられた今ではもう遅い。


 仕方が無い。

 今日は一旦寝よう。


 今日の夜の闇は一層暗く、白金色の月明かりがいつも以上に神々しく地を照らし、寒さが身に染みたのは気のせいなのだろうか。


 ――――――――――――


「エリ。おはよう」

「うん。おはよう、ユキ」


 濡鴉色の黒髪を背中まで垂らしたエリはいつも通り私の部屋の前で待ってくれていた。


「今日はマリア来ないのかな。いつもなら来ているはずなのに」

「さぁ、どうなんだろう」


 食堂に行って私は国から給付される動物製ミートボールが乗っかっているお椀を持っていつも座っている席へ直行する。直後、エリも国から支給される動物製の血液パックを持って向かい合わせに座る。


 いつも通りの光景だ。

 マリアがいない以外は。


 今日はどうも食欲が湧かない。


 なぜなら、私の中にはマリアがいるからだ。

 私は彼女を食べる時の自分を回想してみる。


 彼女はなぜか抵抗しなかった。

 私を清水のような澄んだ瞳で見つめていた。

 私に食べられるまま、抗うことなく、無防備にされるがまま身を私に任せていた。


 なぜだろうか。

 なぜ、マリアはあの時私に抵抗しなかったのだろうか。


 私は食人衝動のままに彼女を食べたのだろうか。

 それとも、彼女とエリが仲良くなるのが、このまま恋人同士になるのが怖かったのだろうか。


 私は彼女に嫉妬していたのだろうか。


「ねぇ、食べないの?」


 エリの心配そうな声で私は現実に引き戻された。


「あ、ああ。うん。今日はちょっと体の調子が悪くって」

「そうなの? 保健室に行く?」

「いや、良いよ。大丈夫」

「ねぇ、食人種って動物の肉で我慢出来るものなの?」


 その言葉に背筋に悪寒が走る。


「なんでそんなこと聞くの?」

「いや、何となく」


 もしかして、昨日の人影って……。

 そう言えば、シルエットの特徴に当てはまる。

 けど、それだけで決断するのには早過ぎる。


「そうだね。私は人の味を知らないからなぁ。でも、一度人の味を知ってしまうと動物の肉じゃ満足できないっていう話は良く聞くよ」

「そうなの? へぇ。私たちと同じ感じなんだね」

「そうなんだ」

「うん。吸血種も人の味を知ったら決していけないっていう掟があるんだよ。まぁ、ここ数十年の話なんだけれどね。それまでは吸血鬼の食事と言ったら人の血が主だったから。それに、法律で眷属になるのも吸血するのも二人の同意が無いといけなくなったし。食人の法律化も丁度そのくらいでしょ」

「ああ。たしかにな」

「だから、私たちって同じもの同士なんだよ。マリアちゃんは人間だったから。あの子の前では言えないけどさ、もしかしたら私たちのことを怖がっていたのかも」

「え?」

「だって、あの子からしたら私たちって捕食者みたいなものじゃん? 力もわたしたちの方が数倍強いし。だから、心の底では私たちのこと恐れているところはあるんだと思うんだ。私達みたいなグループって学内でも珍しいよ。食人種は食人種。吸血種は吸血種。吸魂種は吸魂種。人間は人間。みんな同じ種族でグループ作っていること多いから」


「周りはそうかもしれないけれどさ。でも、私たちは違うよ。私とエリはマリアを襲わないし、マリアもそれを分かっていた。私たちには信頼があった。私たちは信じあえることが出来ていた」

「うん。そうだね。他の人もそうして欲しいけど少し難しいよね。やっぱり。歴史から見ても人間は私達を憎んでいるし、許してもらおうと思ってもそれは無理な話だよね」

「そうかもしれない。私たちは過去に先人たちが犯した罪の償いはしていく必要はあるし、同じ過ちを冒さないようにしないといけないのかもしれない。けれど、私たちは共生することになった。共生するためには最低限のルールが必要だよ。みんな幸せに生きる為に」

「私たちはずっと謝り続けないといけないの? 私達は関係ないのに。先人が行ったことなのに」

「うん。謝らないといけないんだよ。だって、その民族に、集団に私たちは属しているんだから。でも、私たちが報酬を払う必要は無い。それは過度な行為。私たちに歴史的罪や民族的罪はるのかもしれない。その為の罪の意識は必要なのかもしれないけれど、金銭的な物質的報酬は払う義務は無いと思うんだ。あくまで行ったのは先人達だから。私たちの資源は私たちのものだから。それを使用するのは私達だから」

「なるほどね。でも、集団に属している限りその罪は続くと私は思うな」

「つまり、私たちはマリアに謝り続ける必要があると?」

「うん」

「そんなことしてマリアが嬉しいと思う?」

「それは……」

「きっと、マリアなら『そんな過去のことよりも今の私たちだよ。謝られても、私は嬉しくないよ。きっと、それが嬉しいのなら、それは優越感。貴方たちと私たちの関係が上下関係になった時のこと。それは人と吸血種や食人種が分かれていた時のことでしょ。でも、それじゃいけないの。歴史の罪は背負わないといけない。けれど、それは双方が公平に、平等になるための儀式でないといけない。私たちは未来の為に生きているんだから。これからのことを考えていかないと』って」


 言われてみればそうだ。

 きっと、彼女ならそう言うだろう。


「確かにそうだね」


 そう。

 私のお腹の中にいる彼女ならきっとそう言うだろう。

 でも、一つ疑問があった。

 普段の彼女はこんな話題は話さない。


 何か意図があるのだろうか。

 いや、考え過ぎか。


 結局、私はミートボールを食べずに授業に参加することになった。

 今日の授業は何一つ集中できなかった。

 昨日のこともあったし、今朝の会話のことも気になった。

 心がざわつくのも当然だ。


 親友を食べたのだから。

 それからの今朝の話題。


 昨日の味と感触が忘れられない。

 マリアちゃんの柔肌の感触が。鉄っぽい鮮血の味が。


 あの時の出来事は幻ではないかと考えてしまうが、鮮明でリアルな五感がそれは過去の出来事だと私に現実を突きつける。


 何故私はマリアちゃんを食べたのだろうと朝から何度も想起し、熟考している。


 あれは私の食人衝動だったのか。

 それとも、唯の嫉妬だったのか。


 ああ、分からない。

 いつもの日常の風景。


 どちらにしろ、今までの自分には戻れない。

 後戻りはできない。

 私に残された選択は仮面を被って日常を送ること。


 私は罪人となったのだ。


 彼女を永遠に自分のものにする代わりに、十字架を背負うことになったのだ。

 ああ。

 これが100年前のことならこんな余計な罪の意識を感じることは無かっただろうに。


 昼休みになると、いつもの屋上に向かった。

 いつも通りの日常。

 三人だけしかいない屋上へ。


 今日は弁当も持っていない。

 重い足を屋上まで運んで扉を開くと、血まみれのエリがいた。


 いや、違う。

 自分の右腕を引き千切った彼女がいた。

 だらりと、右腕の制服が重力に従ったまま垂れている。


 暫く何も言葉が出なかった。

「ねぇ、私と契約して私の眷属になってよ」

「な……。なんで。もしかして――――」


 私の次に発する言葉を彼女はかき消した。


「わたしね、ユキのことが好きなの。マリアも好き。でも、ユキはもっと好き。知ってる? 眷属って吸血種一人につき一人しか契約することが出来ないっていう法律があるの。可笑しいよね。眷属って、吸血種にとっては家族以上に強い結びつきの人にするんだよ。だって、その人を吸血種にするんだもん。吸血種にされた人は祖先も自分も未来永劫吸血種になる。魂がそうなっちゃうの。だから、眷属って吸血種にとっては最愛のパートナーでないといけないの」

「あのさ、昨日のこと」

「昨日? どうかしたの?」


 満面の笑みを浮かべる彼女は心の底から微笑んでいた。

 でも、確信した。


 彼女は知っている。


 けれど、仮面なんて無い。

 素の姿で彼女はそこに立っていた。


「ずっとね、気になっていたの。人の血ってどんな味がするんだろうって。食人種の人が人を食べたらどうなるんだろうって」


 鈴のような千里まで届きそうな澄んだ彼女の声が脳を震わせる。

 彼女は軽やかなスキップを踏みながら、湖の水上を踊るバレリーナのような足取りで屋上を舞う。

 血痕が宙を舞い、血に舞部の跡を残す。


 ――――幻想的な光景。

 私は彼女に思わず見惚れてしまう。


「見て。これ私の右腕。食べたいでしょ」

「それはダメだよ。食べたらだめだ」

「良いんだよ。だって、私普通の人間みたいに軟な体してないから。吸血種はね、再生能力が人間の何倍も良いんだよ。食べても誰も気づかれることは無いよ。ほら、私怒らないから。その代わり、私と契約しよう」

「契約……」


 私はマリアを永遠のものにしたかったんだ。

 だから、朝ご飯を食べなかったんだ。

 彼女を他のもので汚したくなかったから。

 彼女はエリと仲良くしていたから。


 私は二人に恋をしていたんだ。


 だから、同じくらい大切に想っている二人を選べなくて。

 でも、二人が恋人同士になるのは許せなくて。


 二人を自分の永遠のものにするって決めたんだ。

 エリを自分の体の中で生かすって。マリアと契約して彼女を永遠に自分のものにするって。


「私は、マリアが欲しい。エリも欲しい。全部欲しい。体も心も魂も全部。全部全部全部。二人の全てが欲しい」


 自分がこんなに強欲な人間だとは思わなかった。


「分かった。それじゃ、契約をしよう。ほら、私の右腕を食べて。その間に契約を済ませるから」

「分かった」


 エリの右腕に齧り付く。

 陶器の如き純白の肌に歯を立てる。紅い線が肌を染めていく。


 人間とは違って筋肉質な肉。

 これはこれで美味い。

 エリとマリアの肉が私の胃を満たしていく。

 エリとマリアの肉が私の肉に変換されていく。

 私の中で二人が永遠のものにされていく。


 首筋に痛みが走る。


「んっ…………」

「これで共犯だね」


 情欲的なマリアの声が耳元で囁かれる。


 罪を犯した者と罪を見た者。

 禁忌を犯した者同士、私たちは寄り添い合う。


 三人の精神と肉体が循環する。

 閉塞的な乙女だけの肉欲と鮮血に塗れた花園の世界。


 これが私たちの平和。


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