食パンを咥えた女神様
黒羽カラス
第1話 天台山高等学校
そこには黒い山のような男子、
大きな溜息を吐いて竜一は軽く仰け反った。学生服の詰襟の部分を外し、右腕を机に叩き付けた。
近くで短い悲鳴が上がる。周囲の男子が目で咎めた。
その時、一人が椅子から勢いよく立ち上がった。前髪の一部が垂れて手早くリーゼントに押し付ける。
「……待て、
「やめろ……」
周囲の囁く声を無視して竜一の元に向かう。
「いい加減にして貰えませんか」
「なんの話だ」
竜一は僅かに視線を上げる。更に一歩を踏み出した金山は途端に表情を緩めた。
「不機嫌な理由を教えてくれませんかねぇ。俺達のせいなら謝りますから。このままだと息苦しくて仕方がないんですよ」
「悩みがある」
「他校と揉めてるなら俺達が手伝いますよ。郷田さんのような力はなくても数でなんとかします」
金山は猫背となって小刻みに頭を下げた。低姿勢を前面に出しながらも目だけは真剣で相手の出方をそれとなく窺う。
竜一は腕を組んだ。厚めの唇を僅かに開く。
「どうすれば彼女ができるんだ」
「そっちの悩みですか。まあ、男子校もあって出会いはないですけど、郷田さんならいくらでも付き合えますよ。そうだよな、みんな」
周囲に話を振ると遠巻きに見ていた連中が集まり始める。
「そうですよ。ヤンキー女には憧れの的です」
「郷田さんの武勇伝は男でも惚れ惚れします。十人のチームに囲まれても怯まない。拳の一撃で相手を吹き飛ばす。もう、痺れますよ」
「自信を持ってください」
緊張から解放された男子達はこぞって褒め称えた。竜一は渋い表情で机に置いていた右の拳を握り締める。生木を折るような音に一同は瞬時に押し黙った。
「俺の好みではない」
「清楚なお嬢様系なら、俺の友達の姉を通して何とか」
金山は途中で口を閉ざす。竜一の目付きが鋭くなった。
「容姿や生まれは関係ない。明るくて誰にでも優しく、そうだな。間の抜けたところがある、そんな女が好みだ」
集まった全員の表情が曇る。目で問い掛けては力なく頭を左右に振った。
場を収めようと金山が弱々しい笑みで口を開いた。
「性格は見た目でわからないんですけど。なにしてんだ、お前は!」
一方を目にした瞬間、金山は怒りで目を吊り上げた。
「腹が減って……」
小太りの男子は齧ったサンドイッチを容器に戻した。竜一は、それだ、と目を見開いて言った。
金山は腑に落ちない顔で問い掛ける。
「あの、郷田さん、どういう意味ですか?」
「俺の好みの女を見つける方法がわかった」
一同がざわつく。静かになるのを待って金山が身を乗り出した。
「聞かせて貰ってもいいですか」
周囲から生唾を飲む音が聞こえる。真剣な目が竜一に注がれた。
「狙い目は平日の午前八時過ぎだ。遅刻を免れようと女は朝食のパンを咥えて走っている。角を曲がったところで不注意によって人とぶつかる。転んだ女は痛みに耐えながらも持ち前の優しさで謝る。角に張り込んでいれば出会えるだろう、どうだ?」
「そ、それ本気で」
半笑いの男子に金山が素早く近づき、さりげなくボディブローを叩き込む。目配せで動いた一人が男子に肩を貸して教室の外に連れ出した。
仕切り直しと言わんばかりに金山は満面の笑みとなった。
「とても良いアイディアだと思います! そうなると張り込む場所が重要になりますね。みんなはどこが良いと思う?」
「……それなら白園女子の近くはどうだろう。俺達の高校にも近いし」
一人の提案に複数の男子が、そうだな、と同意を示す。
「今、思い出したんだが、白園の連中が抜け道に使っているところがあるよな。道が狭くて左右の角に建物があって。あそこならぶつかり易いと思う」
「コンビニが近くにあるところだよな」
思い出したかのように数人が、あそこか、と声を弾ませた。
「脇道のない一本道で、どうやって隠れるんだ?」
痩身の男子の一言に場が静まる。竜一は両腕を組んで一同の顔を眺めた。
「そうなのか」
重く沈んだ声に緊張が一気に高まる。中には震えている者もいた。
金山は額の汗を袖で拭うと明るい声で言った。
「大柄な郷田さんが抜け道に待機して、駆け込んできた女とぶつかればいいじゃないですか。監視と出会いを兼ねることができます。転んだ女が気に入れば手を差し出して優しさをアピールすれば完璧ですよ」
「上手くいくのか」
「はい、自信を持って言えますね。郷田さんは顔の彫りが深くて男らしい。そこに優しさが加われば成功は揺るぎませんよ」
竜一は組んでいた腕を解いた。立ち上がると白い歯を剥き出しにして豪快に笑った。窓ガラスが怯えたように小刻みに震える。
瞬時に口を閉ざし、その場の全員を見下ろした。
「俺はお前達の言葉を信じる。信じたからな」
念押しのあと、頭を下げるようにして竜一は教室を出ていった。
残された者達は項垂れた。しゃがみ込む者もいた。各々が絶望の姿を表現した。
金山も例外ではない。腑抜けたような顔で口元に薄ら笑いを浮かべた。
「……パン咥えて走る女が現実にいるかよ」
耳にした者達は大きな溜め息を吐いた。
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