14:思いもよらぬ発見

 アンチハッシ氏は大竜巻が突如消失した幸運を喜んでいた。あんまり喜んだため自分の支払いで祝賀会を開こうと言い始め、ロハノを引っ張って教職員用食堂まで連れて行った。


 <油走りトカゲ>を入念に絞って油を取り除いたのを強く焼いたものを彼らは注文したが、いつまでもそれが出来上がることはなかった。不審に感じたロハノが調理士のひとりに訊ねると、


「すみません。その料理はバームヘイクの担当なのですけれど……あっ」


 彼女は大竜巻が去ってからもずっと氷室に忘れ去られていた。


 慌ててkoocが三重に施した氷室の扉の鍵を開けると、かちんかちんに凍ったバームヘイクが霜の降りた床の上に転がっていた。彼女はロハノが<ぬるま火>ですっかり溶かすまで息ひとつつしていなかった。


 大竜巻の襲来から数日経ち、いつものようにエムナープ草の世話のため温室を訪れたロハノは、空気中に立ち込める魔力の密度が異様に高まっていることに気がついた。


 ついにエムナープ草が成熟したのだった。


 しかも色合いが特に沈鬱な明度だった。エムナープ草は色が暗ければ暗いほど、じっと見ていると突発的に自殺したくなればなるほど、よい品質の個体なのである。


 彼が畑で育て上げたものはめったにお目にかかることのない、いずれも一級の品質を誇る特別なエムナープ草だった。


 ロハノは面倒臭がるル・ゲを説得し、温室まで彼を案内した。


「なんだこの草は。こんなものを見せるためにわざわざ連れてきたのか」


 かんしゃくを起こしかけた副学長を彼は必死になだめ、これが「総合魔術論」の講義のため用いられる素材のひとつなのだと言い、かくして栽培に成功したわけだから、もう商人から高値で仕入れる必要はなくなり、だから必要な予算は大幅に削減され、もはや「総合魔術論」が大学の負担とはなりえないと主張した。


 副学長はしばらく唸っていたが、だからと言って今年度で講義を終了することに変わりはないのだの何だのとぶつぶつ言いながら去っていった。


 城内のあちこちに災厄の名残がとどまっていた。


 それはページがばらばらになった魔導書、柄の折れた剣、葉が一枚残らず落ちた<滴りの植木>、割れたビンから漏れ出した薬品、猛獣を閉じ込めていたはずの鉄格子の折れた檻などといった形をとって現れた。


 しばらくすべての講義が休講となり、学生も教職員も清掃のために駆り出された。


 解き放たれた猛獣のなかにはキメイラもいた。誰がなぜこんな魔物を檻で飼っておこうと思ったのか、そうすることによって何かいいことがあると考えたのか、火を吹き追いすがる合成獣から身を隠すはめになった人々は恨めしく考えた。


「おい。そいつを殺すなよ」


「魔物の調教について」の講義を担当するカゴロシが武器を構えた学生たちに注意した。


「おれのペットなんだから」


 今度はその教授が追いかけられる番だった。


 大きな棟は隅々まで掃除されたが、めったに使われることのない箇所の掃除についてはほとんど人員が割かれることがなく、ロハノは四階建ての別館を自分ひとりで掃除しなければならなかった。


 あちこちで拾い集めたがらくたを集めるともうひとつ別館が立つほどの量になった。


 キャンパスはとてつもなく広く、巨人族が一族郎党を集めて大宴会を催してもその隅っこで大くじらの群れが回遊できるほどだった。


 そのため最初からまったく手を回されない部分も数多くあった。


 そんな場所のひとつをロハノがぶらぶらと歩いていると、殊勝にもちゃんと掃除をしている人がいて、いやあこの大学も捨てたもんじゃないですね感心かんしんとうなずいていると、それはエルゼランだった。


「なんとま。これはこれは」ロハノは何故か体が勝手に動いてそこへ隠れた岩陰からのぞきながらひとりごちた。


「誰にでもよいところはあるようで、わたしはあの方を誤解しておったのかもしれません。懺悔します。アーメン」


「……何をしているの」


 あっさり彼は見つかってしまった。


 考えてみれば彼女が教える「格闘術」のなかには気配を消して隠れる敵を警戒する術も含まれているはずで、別段気配を消せていたわけでもないロハノを見つけることなど、砂漠で<猛火蠍>を見つけるよりずっとたやすいのにちがいなかった。


 この蠍は宇宙からでもその姿が識別できるほど体表が真っ赤であり、直接見たならば網膜がとろけて流れ出してしまうほどだった。


「あの大竜巻、あなたが消したのでしょ?」


「えっ。げっ。えっ?」


 ロハノはうろたえた。実際のところほとんど被害を食い止められたわけではなかったし、誰にも自分の行為を知らせるつもりはなかったので、誰にも見られたはずはないと思いこんでいたからだった。


「そう見えますか」


「他に誰が止めるのよ……わたしの同僚は逃げまわってばっかりだったし」彼女は軽蔑するように言った。


「見っともなくうろたえるだけならやめてしまえばいいのに」


 エルゼランはロハノを見つめた。微笑みかけさえした。意外性のあまりロハノは自分の心臓を吐くかと思った。


「……あなたの代わりにね」


 それだけ言うと立ち去っていった。ロハノはひとり残されたが、することはたくさんあった。


 彼女はどう見ても掃除をやりかけにしたまま行ってしまったようなのだ。ふたりでやったほうが早く終わるのに、と彼はぶつぶつ言いながら後を引き継いだ。


 講義は再開されたが、相変わらず「総合魔術論」の受講生が増えることはなかった。


 しかし今いる10人は全員熱心に彼の話を訊き、積極的に授業へ参加してくれていたため、今年度が最後でもいいかなとふと感じる瞬間もないではなかった。


 しかしそのたびに、魔法そのものがこのまますべての大学から追放され衰退してしまうのではないかという危機感を思い出し、緩やかな引退という考えを打ち払うのだった。


 ある日講義を終えたロハノは学食を訪れていた。これは学生用ではなく教員用の食堂だった。


 高品質のエムナープ草は講義用の薬を調合してなお余ったため、別大学の知り合いの魔法教授やなじみの行商人にいくらか配布したところ、ぜひもっとくれとの要望が絶えず殺到し、ロハノの給料が涙ぐましく思われるほどのゴールドすら払ってくれたため、かつてないほどサイフがばしゃばしゃに潤っていたのだった。


 メミョルポンやブルーノは講義中であったため、他にさして親しい教員もいないロハノはひとりで<沼の卵>を食べていた。


 しかしロハノはこれは本当に代金をもらって提供してもよい食物だろうかとの疑念を拭い去ることができなかった。


 どう見ても沼に落ちていた腐った卵を洗いもせずにそのままどんと皿に乗っけて給仕したもののようにしか見えなかったのだ。


「邪魔ですか」声をかけられぎょっとする。エルゼランだった。


「いや。まったく。むしろ邪魔なのはあ……」ロハノは目の前の卵に目を落とした。


「これを全部食べてわたしが死んだら誰が責任を取るのでしょうか」


「ね。どうですか。受講生の数」ロハノの前に座ったエルゼランはいきなり訊ねた。


「やっぱり増えませんか」


「現存しているのがオス一頭きりの<滅亡サイ>を増やすほうがまだしも簡単かも」ロハノの声は沈んでいた。


「クローンの呪文で増やせるし。でも受講生は無理ですね。名簿に同じ名前がずらりと並んでしまうもの」


「ロハノさん。少し前、副学長の講義で一席ぶったでしょ」


「ぶつなんて。そんな大それたもんじゃないですよ。それに結局、誰一人として講義に呼べませんでしたしね。力量不足を痛感」


「それがね……」エルゼランは声を落とした。


「ル・ゼが言ったんだって。『総合魔術論の講義に出たやつは即刻落第とする』って」


「え。ほんとう」ロハノは避雷針の真横にいて雷に打たれた人のような顔をした。

 

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