11:花ざかりの黄泉下り
ハーピーは人間の頭と鳥の体を持つ半獣半人の魔物であり、王の食卓を汚したという逸話から不潔の象徴とされていた。
しかし彼が召喚したハーピーはそのようなイメージを持たれることを怒っており、というのも彼女は極めてきれい好きであるためだった。
「ずいぶんごぶさただったけれど、少しは改善されたのかしら?」ハーピーは背に乗せたロハノに訊ねた。
「え。どうでしょうね」まさかハーピー自体の存在感が年々薄まってきているとは言えなかった。
「ま。話題に上ることはなくなったんじゃないですか。たぶん」
険しい岩山、処刑場の跡地などに棲まうハーピーは畑の作物を荒らしたり食料品店の商品を強奪したりしたためとても厄介がられていた。
たいていの畑にはカラスよけのカカシの横にハーピーよけのセイントシンボルも埋められていた。
今ロハノが流れていく下の大地を見ていても、ほとんどの畑はそのようになっていた。彼が背中を借りたハーピーはそうした畑の真上を飛ぶことすら嫌がったため、じぐざくに飛んだ。ロハノはそのたび頼りなく揺さぶられた。
「ねえ。ちょっと。頼むから」
ロハノは万が一落下した際にいかほどの加速度で地表に衝突するかを想像してみて青ざめた。
「背中に人が乗ってるってこと、忘れないでよね」
ハーピーの翼はすばらしく空を切ったため、行方不明者の故郷には日が南中する前にたどり着いた。
ピルセニラ、ラーンルイン、ピクトセント、キャラパッシュ、サザルハーン、ネモヴァント、ゼルマニア、キセルキセス、メル・ガーランなど、春の花が咲き乱れるなかにぽつんと佇む村だった。花の栽培が主産業であるらしかった。
花はあらゆることに役立った。鑑賞という用途はそのうちの万分のひとつに過ぎなかった。ロハノのようなウィザードにとっては魔法の完成のための供物として親しまれてもいた。
花の色、香り、名前ですらある種の魔力を触発し、千変万化の結果をもたらすのだった。
食べることもままあった。ルンルン草という植物はこの世界のありとあらゆる場所、平地にも砂漠にも雨林にも山にも荒野にも生育していたため、その日食べるものにすら困窮するほど貧しい人々にとってはかけがえのない食糧となった。
人間には食べられないものであっても、当然だが、他の種族や、魔物や動物の食糧となった。
中には恒常的な影響を摂食者に及ぼし続け、特異な能力を身に着けさせるに至るものすらあった。
そのようなものを研究者たちはたびたび募集をかけて集めさせ、あらゆる発明と発展の材料としてさかんに分析した。
赤茶青紫白緑赤虹灰黄蒼翠の色がさんざめく中心に位置した村では葬式をやっていて、喪服を着込んだ人々が泣きわめきながら広場を駆け回っていた。
広場の中央には両手を組んで青ざめた死体がカンオケに寝かされてあった。
「ちょっと。ちょっと。失礼。ごきげんなところすみませんが」ロハノは人の群れをかき分けて前へと進んだ。
「なにがごきげんだこら。村一番の才媛が死んじまったんだぞ」あちこちで抗議の声が聞かれた。またロハノの服装を見ては卒倒しかけた。
「なんだその白衣」
「わたしの故郷ではこれが喪服なんです。うそだと思うでしょうが、まあ、うそです」ロハノは死体に近づくと両手を硬直した肩にかけて強く揺さぶった。
「おーい。ルーンダイトって君でしょ。もう新学期だぞ。あんだけ高いゴールド支払って一回も来ないっての、ちょっともったいないんじゃありませんか。そら起きろおきろ」
「なにやってんだ」怒号を飛ばし群衆がロハノめがけて飛びかかったが、ぴょんと跳ねそれをひらりと躱す。体を軽くする<付け焼き羽>の魔法の賜物だった。
「この子を生き返らせたくはありませんか」
ロハノは自分に向かってきた人びとではなく、騒ぎを遠く離れて見守っていたふたりを見ていた。どう考えてもそのふたりがルーンダイトの両親であると思われたからだった。
というのもルーンダイトの髪色はエメラルドグリーンであり、その両親の髪色もエメラルドグリーンであるからだった。他の村人は全員黒髪だった。
「無理に決まってるだろ」たまたま村に滞在していた冒険者のひとりが横槍を入れた。彼はこの村で花を安く買いべつの街で高く売るつもりだった。
「どんな魔法でも死者を蘇らせることはできないはずだ」
「それはそう。そんな簡単なことでいちいちレイズデッドしてたんじゃあ、世界は千年前に滅んでいたでしょう。とはいえ、やり方がないわけじゃないんです。まあ面倒くさい、面倒くさいったらありゃしない。じゅうたんの操縦免許の更新より七面倒臭いし命がけ、魂がけの方法ではありますが、ね」
ロハノはちらりと死者の顔を見た。
「ま。本当ならいくらもらったって足りないくらいの難関苦行であるわけですが、今回はわたし自身彼女に用があることですし、ちょっと流石に夭折すぎるってなもんで、大サービス。ロハの死者蘇生なんてめったにあるもんじゃないですよ。百年の語り草相当の大事業。孫子の代までよろしく」
「あの人はいったい何を言っておるのだ」村人のひとりが隣にそっとささやいた。相手は首を振った。
「わからんが、なにか不可能めいたことをやろうしているらしい」
「どこの誰だか知らんが、あまり大口を叩くのではないぞ」
先ほどの冒険者がまた口を挟んだ。いまさらロハノは気づいたのだが、装備からするに、どうやら彼の同業者、と言っても教授というわけではなく、魔術師であるらしかった。
「あら。絶滅危惧種」ロハノは素っ頓狂な声を上げた。
「こんなところでお目にかかれるとは。レッドデータ同士仲良くしませんか?」
「断る」
「残念。つれないお方でした」ロハノは地面をとんとんと数回足先で叩いてから、思い出したように言った。
「あっ。そこの人ら。危ないからどいたどいた」
「は? 危ないって……」
次の瞬間、広場はばりばりと音を立ててふたつに断裂し、底なしの冥府へと続く道が開かれていた。
ロハノの警告は明らかに遅すぎだったが、さいわい落ちたのはさっきの冒険者ひとりで済んだようだった。
「ありゃ。冥府に落ちるってのは死ぬのと同義なんだけどな」
ロハノは近隣の家々をまわって釣り竿の所持者を探し、それを借り受けると先端に魔法で永遠の灯をともし、仄暗い穴のなかへと落としていった。
「今落ちたばっかなら、このくらいの処置でだいじょうぶなんですよ」
なにがどうだいじょうぶなのか、村人の中に理解できたものはひとりとしてなかったにちがいない。
しばらくすると竿に手応えがあった。「あっ。軽い」ぴゅっと引き上げると先ほどの冒険者が飛び出してきた。
「よかったよかった。あなたの魂が軽くて助かりました」
ロハノはなにもわからない様子でひたすら目をまわす冒険者の肩を叩いた。それから穴の淵に立ってのぞく。何も見えない。
生者の眼に冥界はただの暗闇としか映らず、そのため生者と死者とは永遠にすれ違い、互いの声が交わることは二度とないのだった。
だから死者を連れ帰ろうとするものは、自らも死者とならなくてはならないのだ。
「はいではご注目。冥界下りなんておとぎ話とお思いか? 実は実話で実現可能な現実なのだということ、とくとその目でご覧あれ」
ふと目を上げると不安そうな、しかしわずかに希望が芽生えたような両親の顔があった。
「どうぞご心配せぬよう。わたしの安否なんざどうでもいいでしょうけれどね」ロハノは再び深淵に目を戻した。
「でも。ま。娘さんのほうは確実に帰しますので。心配しなくていいってのはこのことです」
そう言うが早いかロハノは穴に飛び込んだ。
柄にもない言葉を言ったことによる照れ隠しというわけではべつになく、終業前に帰らなければ行き先を問いただされることが明白だったためである。
その次の週の講義で、教壇に立ったロハノはエメラルドグリーンの髪色の学生がひとりいることに気がついた。
出欠のため名前を呼び上げたときちらりと顔を見やると、彼女はぺこりと頭を下げてから、あわただしく返事をしたのだった。
ロハノは名簿を見た。履修生は10人だった。そして出席しているのも10人だった。彼はいつもの通りに講義を開始した。
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