6:やっかいな依頼

 たいていの大学では副学長ともなれば自分の部屋から出ようとはせず、なにか人に用を伝える必要が生じた際には向こうからやって来るのを当然と考えていた。

 

 その点から見るならば、自分の足で伝言を伝えようと食堂までやって来たル・ゲの行いは立派なものであったかもしれない。


だがその伝言の内容はと言えば、家族の不幸を告げられるに優るとも劣らない、凄惨なものであることがにやついた彼の表情から確信できるのだった。


 昨日のことで、ロハノの気は重い。幼少期に通っていた学校で、一番嫌いな授業の一番嫌いな教師に教科書を忘れたことを告げに行かなければならなかったときもこんなだったろうか。

 

「おはようございますおはようございます。いやあ今日の朝も活力に満ち風は清らか日は暖かで、もういつ死んだって構わないくらいの。むしろ殺せころせ殺してくれってくらいの日和でありますねえ」


 ロハノは先手を打って喋りまくった。うまく行けば副学長は自分の言うべきことを忘却してくれるかもしれないし、昨日のことまで海馬から追い出してくれるかもしれなかった。


「おはようロハノ君。昨日はどうも」あえなくロハノの希望は打ち砕かれた。「朝食を邪魔したかね」


「ぜんぜんぜんぜん。わたしなんぞ馬小屋でまぐさを食っているのが相応しいのでありこんな畜生の朝食など副学長がごとき高貴なるお方がお気を払われることでは」


「それならよかった」ル・ゲが遮った。「実はだな、頼みがあるのだ」


「へ。頼み」


 ロハノのただでさえグロッキーな消化器官はたちまちパンクする。


 副学長の頼みなどといったらこれはもう理不尽不条理無理難題クエストであるにちがいないのだ。たとえ高位の聖職者であろうと躊躇なく顔を歪めて承諾することを拒否するであろう。


「例年通り、春季休業中に校舎の清掃をしたのだがな……わたしの指導で」


 副学長はいかにも不本意そうな様子だった。


 なぜわたしがそんなことまで気を配らなくちゃならんのだこんなものわたし以外の誰にでもやらせればよかろうがくそくそくそ。いま野生のサトリがたまたま大学食堂を通りがかったのならそのような思考が読み取れたかもしれない。


「ええ。ええ。大変助かっております。副学長が隅々まで掃除を監督してくださるおかげで我々は無菌室のごとき清浄清潔さの教室でもって万全の講義を」


「ただ、ひとつ休業中には処理しきれなかった問題がある」

副学長の唇がめくれあがった。そのまま顔全部ひっくり返っちまえとロハノは思う。


幽霊ゴーストだ」


 きたきたきました。未来を見通すクレアボヤンスの能力があるわけではないロハノであったが、副学長のその後の言葉はもはや聞くまでもなく完全に予想がついた。


「ま。言うまでもないことだが奴らは日没後に出現し始める。勝手気ままに校舎内をうろついては備品を動かしたりおぞましい液体を撒き散らしたりやりたい放題やっとるのだ。これを大学として見逃すことはできん……もちろん、学生のためにな」


「まあ。そうでしょうね」ロハノはそっけなくうなずいた。


「副学長はいつも学生のことを考えております」特に女の子のことを、と言いかけあわてて口をふさぐ。


「まあ。そういうわけだから」なにがそういうわけなのかはわからないが、副学長はロハノの肩を叩いて言った。


「ひとつ、頼んだよ」


「えっ。なにを?」


「この校舎に出没する幽霊を追い払ってくれ」


「……それは」ロハノは指を折って数えた。「三体くらいでいいですか?」


「全部だ!」いきなり副学長は爆発した。食堂のあちこちで皿がひっくりかえりかわいそうに蛙の卵のスクランブルエッグを頭からひっかぶった者すらいた。


「いいか、明日の夜までにすべての幽霊を追い出すのだぞ。ただの一体でもあの半透明の食欲が失せるような顔を残しておいてみろ、即刻大学から追い出してやる!」


「ええーっ」ロハノはちょうど自分の母親に隠し子が三百人いたことを聞かされたような気持ちで声を上げた。


「そりゃ、あんまりです。そもそもわたしは幽霊退治が専門なんかじゃないし、こういうことは専門の退魔師かなんかを雇って……」


「じゃ。頼んだぞ」ロハノの動揺を見た副学長は満足げに立ち去った。振り返りもせずに念を押す。


「明日までだからな!」


「や。あいつはもうおぬしを追い出す腹づもりのようじゃ」いつの間にか来てサンドイッチを片手にてんまつを見守っていたメミョルポンがロハノに言った。


「この大学はひと巡りするだけで一日かかるからな」


「腹づもりっていうかね、思いっきりぶちまけていましたけれど。おえっ」ロハノの口内にあのパンがゆの呪われた沼沢地みたいな味が蘇った。


「やはり毒入りだったか。そうでもなきゃあのまずさは再現不能だものな」


「なにあるか。お前わたしの料理にケチつけるあるか」


 厨房から小柄な少女が飛び出してきてロハノの背中に飛び蹴りし、そのまま殴る蹴る。その場の誰も知らぬ少女であったのでいまいち初動の対応が遅れた。


「あっ。ちょっと。この大学は暴力を傍観するのですか」


 なぜ朝から自分がこのような目に合わねばならないのかと全世界を本格的に呪いはじめたロハノが悲鳴を上げた。


「誰かこの不条理から我を救いたまえ」


「こら! こら! すみませんね」少女に続いて厨房から飛び出した、これは誰もが知る名物調理師koocがぼろぞうきんのようになったロハノから少女を掴んで引き離した。


「今年度から新しく働き始めたバームヘイクって子なんですけど、この通り自分の料理へのプライドが高くて」


「暴力性も高いな。うん」ブルーノは少女から見つからないように観賞用ユグドラシル・レプリカの葉の間からのぞいていた。


「悪いけれどね、こんな突飛な人物の登場なんかに付き合ってられないの」ロハノはよろよろと身を起こした。


「今夜はエクソシストに転職ですか。わたしは自分を特化型の魔法使いだと思っているのですがね……何に特化してるんだかはわかりませんけど」


「バカ舌あるな」引っ立てられながらバームヘイクが笑って言った。「異常な味覚に特化した人間であるよ」


「そんなビルドがあってたまるか」


「教授ともあろうかたが少女相手に何というザマですか」少女が連行されたのちやっと皆が静かに食事にありつけると安堵したとたん、また嫌らしい声が彼方から聞こえてきた。


「今度はなに」ロハノは当たりを見まわし、声の主を見つけた。思わず顔をしかめる。


「ああ。デーデンスク教授、あなたでしたか」


 副学長に負けず劣らずでっぷりと、それは台風が来たときのための非常用ですかとロハノが訊ねたくなるほどの脂肪を腹に蓄えたデーデンスクが、軽蔑したような顔つきで食堂の端からロハノを見ていた。


 しかしあの男は普段からああいう顔つきであるため、本当に軽蔑したような表情を今しているのかどうかロハノにはいまいち確信が持てなかった。


「わたしだったならばあのような争い、ほこりひとつ服につけることもなくやり過ごせたでしょうに」


「あんた教授が子供相手に本気出しちまってもいいってお考えなの?」ロハノは呆れて言った。


 デーデンスクはもったいぶって首を振る。「やはり、あなたはもうちょっと運動をしたほうがよいようだ……転職の際にも役立つでしょうしね」


「転職ってなんですか」ロハノはどうでもよさそうに言った。「明日からインストラクターになれとでも?」


「魔法使い、大学教授、ふたつの職業で、ですよ」デーデンスクはまた首を振った。そのままぽろりと首が落ちればどんなに愉快であろうかとロハノは思った。


「魔法使いはそもそも先がなさそうだし、教授職に関しては……まあ、わたしから言うまでもないですな。せいぜい副学長の仰せの通り、幽霊退治を頑張るんですな」


「あの人や副学長のほうが幽霊より厄介ですね」デーデンスクが立ち去るやいなやブルーノがロハノに笑いかけた。


「幽霊やロハノ教授よりも追い出すべき人たちが大学にはいます。わたしはそう思いますよ」


「そりゃどうも。しかし今はやっぱり、自分が追い出されないようにする方法を考えなくちゃあ。いたっ」ロハノはバームヘイクに蹴られた箇所をさすった。


「うん。もうひとり追放者リストに加えてくれたまえ」


「バームヘイクとやらの第一印象は最悪ってところじゃな」メミョルポンはなぜか愉快そうだった。


「しかし、むしろそうした人物とこそ思わぬ絆が生まれるもんじゃ」


「小説ならそうかもしれませんがね」ロハノは不機嫌そうに唸った。


「残念ながらこれは小説じゃありませんで。現実でございます」


 

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