3:立ち聞きする教授

 たいていの講義は週に何コマも時間割が設けられているのが普通だった。しかしロハノが受け持つ「総合魔術論」は極端に受講生が少ないのと彼に反感を抱く者たちによる露骨な冷遇で、週にたった数回の講義しかないのであった。


 教員の収入は行った授業のコマの数により決定されるため、ロハノは常に貧窮しており、通常の職員ならば用いない学食を学生に混じって利用しているのもそのためであった。


 しかしル・ゲが特大教室で行う「神々の武器について」を廊下からこっそりと覗いている今だけは、週に一度しか講義がないことによる圧倒的な閑暇をありがたく思えなくもないのだった。


「何してるんですか」


「ぎゃっ」急に声をかけられ、出入り口のドアにへばりついていたロハノは飛び上がった。しかし声の主の顔を見ると安堵した。「なんだ君か」


「今日は見かけないと思ったら窃視をしておられたのですか」教授・ロハノの助手であるリーシュアだった。「とうとうわたしのボスも犯罪者の仲間入りを果たし」


「人聞きが悪い。わたしはただ他の教員の皆さまがどのような講義形態でもって玉にも優る知識を伝道しておられるのか学ばせていただこうと思っただけであってですね」


 べらべらとまくしたてるが廊下を通る学生が奇異の目で見つめていることに気づき口をつぐむ。「で。何の用ですか」


 各教授には原則として助手一人がつくことになっていた。助手は教授の研究を補助したり、講義の資料集めを図書館で行ったり、昼食を買いに行かされたり、休講の数をごまかしたり、逆らえない人物が腹いせに八つ当たりした教授の腹いせに八つ当たりされたりする。


 とはいえ少なくともロハノの助手であるリーシュアがそのような被害にあった試しはなく、どちらかというと、ロハノのほうこそ彼女に被虐されているのかもしれないのだった。


 教授の中には助手を使い捨てのぞうきんか何かと勘違いしているようなのもいて、副学長ル・ゲの賛美者として学生にも教職員にも呆れられている教授デーデンスクなど今年度に入りもう三人も助手をやめさせている。


 ちなみに「今年度」が始まったのはつい一週間前のことである。


 ロハノは自分の助手でありながらも、いまいちリーシュアのことがわからないでいた。彼女は彼がクィクヒールに在籍し始めたときからずっと助手を務めてくれていたのだが、未だに好きな食べ物ひとつ知らないのだった。


「副学長がこれを渡せと」リーシュアが手にしている紙には呪術が専門でない彼にもわかるほどの不吉さと怨念がふんぷんと漂っていた。


「副学長に会ったの。大丈夫。変なことはされませんでしたか」


 公にされる前にもみ消されていたため外部に漏れたことは奇跡的にまだなかったが、ロハノはル・ゲが今まで起こしたとされる数多くの不祥事のうわさを耳にしていた。


 これがすべて真実だとしたらことである、というか、指導者失格もいいところであった。


「ご心配なく」リーシュアはここで初めて笑った。「あの人からすると、わたしは老けすぎのようですから」


「……であるからしてえ」背後から当事者の大声が突如響き彼の心臓はつららでぶち抜かれたようになった。だがロハノの存在に気づいたわけではないようなのでひとまず安心する。


「とまあ、あー、えー、うむ。つまりあれがこれであるから、それはどれでもなく、そのあれはこれをどのそれよりもあれにするのであってえ……」


「あの人は何を言っているのですか」いつの間にかロハノの共犯者となったリーシュアが自らも講義をのぞき込みながら訊ねた。


「うん。なんでしょうね。人知の及び得ない半神語でしょうか」ロハノは荘厳さに射抜かれたというような演技で生唾を飲み込んでみせた。


「しかし受講生はべつに半神ではないのだから、やっぱりわかりやすく喋ったほうがいいと思うんですけれど」


「こんなもの見たって参考にならないのは知っているでしょう。あなたの目的はなんですか」


「あ。バレちまった。実はわたし副学長からクビと言われ、それならあんたはわたしよりずっと優れた講義をしておるのでしょうなと、個人的私怨でもって謹聴しておりますの」


「あなたがクビになったらわたしはどうなるのですか」


「さ。知らない。マッチでも売ったらどう」


「着火の呪文なんていくらでもあるのに売れるわけないじゃないですか」


「それがわからないんだよ」ロハノは深刻そうな面持ちで首を振る。


「今のまま魔法の不人気が続けば、やがて使えるものが誰もいなくなり、下級呪文ひとつ残らぬほど衰退するかもしれませんよ」


「そうしたらマッチも売れますか」


「たぶん売れるだろうけどさ……」


「……だから魔法というのは不要なのだ!」ル・ゲの言葉によりふたりは退屈な講義に引き戻され、今だけは優等生のパントマイムで、次の言葉に注意を傾けようとする。


「今までに説明した効果――火炎を巻き起こしたり、氷柱を生えさせたり、竜巻を発生させたり――というのは何も、こうした神々の素晴らしい武器に限った話ではない」

 

 自分も半分それに属している神が振るう武器について、さんざん自慢じみた講釈をたれたのち、ようやく話が進んだのだった。


 しかし教室にいる受講生の半分はすでに夢の世界へ旅立ち帰らぬ人となっているようにロハノ達からは見えた。


「ま。もちろん我々――わたし――が利用する天界の鍛冶屋と比べたら腕はだいぶ、哀れなくらい、かわいそうなほど、とんでもなく劣るのではあるがな、人間の鍛冶屋でもそうした効果を武器に持たせることは可能なのだ」


 自分の話に熱中しているためか、通常ならいちいちチェックして落第させるはずの居眠り学生にも気づかず、ル・ゲは教壇の上をうろうろと歩きまわっていたが、これが深夜であったならばまず間違いなく徘徊老人にしか見えなかったであろう。


「いまだ魔法などという時代遅れの産物にしがみつくウォーロック、ソーサラー、メイジ、ドルイド、セージ、魔道士、魔法使い、魔術師、ウィザード、ウィッチといった卑賤の職に就くものが自分の人生を正当化しようと、狂犬病にかかったオウムみたいに繰り返し主張するあの常套句『魔法にしかできないことがある』というものであるが……これは明らかに、絶対に、誤りである。そんなものは何一つとして存在しないのだ!」


「幽体――ゴーストやエレメントなど――には物理攻撃が無効化されるため、魔法を撃ち込むしかないではないか、と。へえ。けっ。馬鹿め。今どき武器による攻撃でもそういった魔物にダメージを与える手段はいくらでもありおるわ。武器に貼り付けるだけでゴーストをただの剣でも切り裂けるようにする聖符はどこの教会でも入手できるし、風のエレメントを空気ごと燃やしてしまえるようなオイル、これもどこの村街のどの商店にだって売っている!」


 ル・ゲは唾を所構わず飛ばしながらまくし立てまくり、哀れ最前列に腰掛けるしかなかった学生たちはたちまち集中豪雨に見舞われたかのようにずぶ濡れとなった。


 講義後ただちにメンタルヘルスを施さなければまず間違いなく汚穢の我が身をはかなみ自殺してしまうだろうとロハノは戦慄する。


「安価で入手の容易なアイテムをほんの少し用いるだけで、たとえ物理攻撃のみを得意とするジョブで編成されたパーティーと言えど、あのゴーストばかりが出没する【朽ち果てた辺境の墓地】とか、エレメントとばかり遭遇する【元素の淡い森】を踏破することだって十分可能であるし、実際に成し遂げたパーティーも無数にある!」


 ル・ゲは黒板をしきりに指差しながらそう言うが、するとあの、よく言えば暗号みたいな記号の羅列、ありていに言えば子供の落書き帳みたいなあの妙ちきりんな図形は文字のつもりで書いていたのかと、ロハノは初めて気づき、こんな人物にクビを言い渡された自分がとんでもなく情けないように思われてくるのだった。


「言いたい放題ですね」リーシュアはあまり興味もなさそうに言った。


「こんな講義をされたんじゃあますます魔法使いを志そうなんて若武者がいなくなっちゃいます」ロハノは困って頭をかいた。


「しかもだいぶ間違いだらけ……」


「おい、誰か廊下にいるな! 今すぐ出てこい!」死者も納骨堂から飛び上がりそうな大声でル・ゲが怒鳴った。


 げ。この人「間違い」って言葉に反応したのか。ロハノはげっそりしつつ思った。


 そう言えば副学長の地獄耳、神出鬼没ぶりは有名であり、たとえキャンパスの辺境でこっそりささやかに彼の悪口を言ったとしても、数秒後には赤熱した怒りの形相で立ちふさがる本人にご対面叶うのであった。


「あ。じゃあ後は頑張ってくださいね」


 リーシュアは無関係者の装いでその場を立ち去り、ロハノが見上げるともう消えていなくなっていた。本当に彼女が存在していたのかどうかすら怪しまれるくらいだった。


「やっぱり魔法使いにスニーキングは無理ですね」観念したように特大教室へ入りながらロハノはしみじみ思った。「副学長に人の心を持てと言うようなもんです」

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