2:衰退のあらまし

 不老不死のメミョルポン教授は「禁忌の魔物について」という講義を受け持っていた。かなり人気があるようで毎年数多くの学生が履修していたが、それは見た目だけなら典型的な魔法少女である彼女の容姿が関係しているのかもしれなかった。


 トレードマークでもある尖塔のような形の帽子には太古の魔力が込められており、その恩恵のためか、いかなる風が吹いても彼女の髪型が崩れるようなことはなかった。


「この帽子には他にもぶったまげるような力があるのじゃ」と彼女は事あるごとに周りに吹聴していたが、それを見たものもいまだ誰一人としてなかった。


 初めて彼女と話をしたとき、ロハノはその外見から、うっかり「メミョルポン」と呼んでしまったが、その呼称を彼女がいたく気に入ったため、今日まで続く友情が育まれたのだった。


 本当の年齢を知ってなお「ちゃん」を付けることは、なかなか彼に負担を強いるものではあったが。


「今年度でこう、こうですよ」ロハノは自分の首に親指を当ててすぱと横になぞった。


「なんじゃ、首か」メミョルポンはロハノに近づき、両手で彼の首をつかんでもぎ取ろうとした。


「いててててててててて。なんですかなんですか」


「ちゃんとついておるではないか」


「クビってのは解雇されるという意味です」たびたびメミョルポンに対してはこういう説明をしなければならなかった。彼女が本当に外見とは裏腹の老賢者であることを確信せざるを得ない一幕なのだった。


 メミョルポンはしげしげとロハノを見つめる。「おぬし、なにかしたのか」


「どうやらあの人にとってはわたしの呼吸すら許しがたい悪行のようで」


「ふん、ル・ゲか。あいつのやりそうなことじゃな」


「確かに最近、魔法は没落しつつあるのですけれどね」


「そうじゃな。いったいなにがきっかけだったのか……」ロハノと歩きながらメミョルポンは目をつぶった。「やはりあれか、あの討伐の一件」


「ええ、おそらくは」ロハノはうなずいた。「世界で初めて、あの【永遠の怠惰の蛇】を討伐したパーティーに、純粋な魔法使いがひとりも参加していなかったこと。それが始まりだったのでしょうね」


 それは、かつてあらゆる種族のあらゆる精鋭たちが挑みかかったが、誰にも決して討ち果たせなかった怪物の名前だった。


 その全長は島一つをぐるりと囲繞できるほど大きく、外皮を覆う七色の鱗はあらゆる攻撃への耐性を備え、下手に手を出したならば【蛇】自体は無意識に行う「寝返り」でしかないような反撃により、壊滅的な被害を被るしかないのだった。


 名誉や富を求め、また力を証明しようと、また誇りをかけて数多くの挑戦者がこの現実離れした大蛇に挑んだ。


 しかし五分五分の勝負はおろか、征伐隊のうちひとりでも生き残れば幸運という有様で、一向にその怪物に苛立ちのうめき声ひとつあげさせることができないでいた。


 国をあげて兵を送り込んだところもあったが、まったく歯が立たなかったうえ、兵士の留守を狙って敵国に攻め込まれ、失意のうちに兵たちが帰ってきたときには、国旗がべつのものに変わっていたのだった。


 大量の奴隷を連行してきて無理やり囮としたり、共に参加した仲間を裏切って暗黒の術のための生贄に捧げようとしたりした非道な戦法が行われることもあった。


 しかしなぜかそういうとき命を失うのは決まってそれを主導するものであり、奴隷や裏切られたものはふしぎと生き残るのだった。


 ひょっとしたらあの【蛇】にも意志や誇りがあり、こんこんと【一日の始まりの島】に巻き付いて眠りつつも、自分が全力を出すにふさわしい相手を求めているのかもしれないとの噂がささやかれるようになったのは、ちょうどそのころのことだった。


 そんなときに今や伝説や神話と同列に語られるまでになったあのパーティー、【首切りギリギリ団】が登場し、見事あの【蛇】に力を認めさせるに至ったのである。


「絶対あの名前はない。ありえない。新聞の一面で見た時、顔から火炎を吹けるかと思いましたよ」ロハノは遠い目をして言った。「だからわたしはやめておけと……」


「なんの話じゃ?」メミョルポンがけげんそうな顔をしていた。


「え。いや。あはは。ま。名前なんて知的生命体の便宜を図るための記号の羅列でしかなくって。こんなものは例えば↓とか@とかであってもべつに構わないわけです。それはそれとして」ロハノは真面目な顔に戻る。


「どう思いますか。今年度の新入生は」


「だいたい昨年度と同じってところじゃ」メミョルポンは気楽そうに言う。


「それじゃあダメってことじゃないですか」ロハノは頭をかいた。


「ううん。うちの聴講生を見た限りじゃ、なかなかいけてると思ったんですけれどね。ま。もちろん9人ってのは判断材料としては不足もいいとこですけれど」


「意欲がないわけではないのじゃ……ただ、どうも展望がな。どいつもこいつも似たようなものばっかじゃ」


「ええ。大きなギルドに入って、他人とおんなじような活動をし、安定した暮らしを手に入れるってやつですね」


 ロハノは白けたように言った。「なにが楽しいのでしょうかそれは」


「もう命を賭した冒険というのは流行らん時代となったようじゃ。どの学生もみんな、人並みの暮らしができればよいと思っておる。ここに来たのもそのためじゃ」


 メミョルポンは時と場合によっては深刻な侮辱や煽りとも受け取れるサインで地面を指差した。


 彼らが教授として働いているのは【クィクヒール大学】だった。大陸のほとんど中央に位置するここには各地からあらゆる種族の学生が集まり、それぞれの目的にかなった技能や知識を身に着けようとするのだった。


 校舎はかつて高名な吸血鬼が住んでいた古城をそのまま改装したもので、いまだあちこちに見るものが見れば濃厚な血痕であると分かるしみがついていたが、新入生にそれを教えてやらないのは講師や上級生の優しさと言えなくもなかった。


 夜になればしょっちゅう幽霊が徘徊し、近所の迷惑を考えない身の毛がよだつような叫び声をあげるため、学生や教職員が住まう寮館には一切の音を通さない【沈黙鉱】が使われていたが、それでも不眠症を訴えるものが毎月ニ、三十人は出た。


 教えられるものには基本的な武器の扱い方から専門的なスキル、世界の歴史、魔物の生態、パーティーの人間関係の良好な維持、さらには商店での効率的な値切りの仕方に至るまで、冒険のみならずこの世界で生きるためのありとあらゆることが含まれていた。


「ま。やはり大学の本来の在り方としてはですね、実際的に役立ちそうなことばかりでなく、自分の興味を刺激したありとあらゆるものについてとことん追求すること、そのような姿勢が望ましいわけです」


 ロハノは首をかしげた。「ちゃあんとディプロマ・ポリシーにもそう書いてあったはずなんだけどなあ」


「どこ吹く風じゃ。今の学生が履修登録する講義というのはな、友達に履修するよう誘われた講義、ギルドにとって需要のあるような技能を学べる講義、出席さえすれば単位が認定される講義。あとは……そうじゃな……講師が魅力的な場合も……?」メミョルポンはちらりとロハノを見た。


「まあ最後のはどうでもいいですけれどだいたいそうですね」メミョルポンのまなざしは無視してロハノは答えた。


「すっかり実用に重きを置かれるようになりました。これも魔法の凋落の一因であることは間違いないでしょう」


「得手不得手、自分が実際に使うかどうかはともかくとして、魔法に関する講義はまず受講するというのが当たり前じゃったがなあ……わたしが学生のときは」若干ふてくされたように見えるメミョルポンが言った。


「それって何年前のことですか」ロハノは疑わしそうに彼女を見た。


「え。なんじゃ。つい昨日のことじゃが。わはははははは」メミョルポンの狂気じみた爆笑に恐れをなしたアクババが、ついばんでいた死体をあわてて放り出して校舎の屋上から飛び立っていった。


「ま、いずれにせよ」ロハノはその群れに手を振って別れを告げた。「このまま黙って追い出されるつもりはありませんよ」


「ああ。そう言うと思っておったぞ」メミョルポンは満足げに言った。「話の合う数少ない同僚がいなくなるのは寂しいからな」


「かつては属性や種別ごとに細分化されていた講義も、『総合魔術論』なんて大ざっぱなくくりにされてしまいましたし、学生も少ないですけれどね、まだ魔法が完全に力を失ったわけではありません。強力な魔道士は世界のあちこちにいることですしね」


「お前もそうじゃな」メミョルポンがにやりとした。


「え。わたしですか。それはどうでしょうね」


 ロハノは否定も肯定もしなかった。


 魔術師の偉大さなどというものはひとつの基準に当てはめて測れるものではなく、ただ物体の伸縮を自在にする魔法を極めただけでも教科書に載るものもいれば、あらゆる属性の魔法を使いこなしながらも無名のまま死んだものもあった。


 自分はどちらになるだろう、とロハノは考えたが、とりあえずは目先の解雇を回避するために、ぼちぼち本気を出して取り組まなければならないだろう。


「ま。やり過ぎない程度にね」ロハノはひとりごちた。

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