第一章 肉じゃが定食⑩



「げほっ、ごほっ……」


 噎 む せながら呼吸を整えているうちに、はっと思いいたって頭をまさぐる。ついでにこっそりお尻も。

 そこにあったふかふかの耳や長い尻尾は、跡形もなくせていた。

 同時に、私の中から出てきた煙がくるくると床にわだかまったかと思うと。そこには昨日の子猫が、黒い腹を見せてノビているではないか。

 もう、きつねにつままれたというかたぬきに化かされたというか。いや実際には猫なんだけど、こちらとしてはパクパク口を開け閉めするばかりである。


 でも、……とれた !   猫耳とれた !


 語彙力が死滅しているけれど、もうそれしか感想が出てこない。


「うわあん……良かったあ…… !   黄さん、ありがとう……ありがとうございます ! 」


 猫耳からの全身猫化はどうにか免れたらしい。おまけに腹痛も消えている。

 なんらかのミラクルな技術で猫鬼を追い払ってくれた黄さんに涙ながらに感謝しつつ、あまりにイレギュラーかつ非現実的な現象のオンパレードに混乱して、なかなか思考がまとまらない。

 だって、こうして無事な状態に戻ったからこそ落ち着いて考えると、だよ ?


 呪いって。猫耳って。妖怪って !?   ホンット今さらだけども !


 お礼から先の言葉が続かない私の様子などおかまいなしに、「じゃ、念のため後遺症の確認もするネ」と診察を再開していた黄さんは、ふと「んー ? 」と糸目をますます細くし て不審な声を上げた。


「はあ。……ははあ。お嬢サン、これはよくないネ」

「……はい ? 」

「猫鬼落ちたのに、気の乱れがちゅうように戻らナイ。妖怪大好きな陰の気が出過ぎているヨ」


 中庸、……って。たしか白澤さんの話だと、からだ体のバランスが保たれている状態のこと ?   ……だっけ ?   陰とか陽とか、なんかそのへんの。

 質問をする暇もなく、さらに黄さんはあからさまな問題発言をした。


「陰の気は大陸妖怪の大好物ヨ。もともと女性はその性質が強いとはいえ、それにしたって妖怪を引き寄せやすい体質ダネ。むしろ、今までよく生きてられたネ ?   人生でやたら不幸不運にばかり見舞われること無かっタカ ?   無事だったのが不思議なくらいヨ ? 」


「え。い、今なんて ? 」


 ――やたらと不幸不運にばかり見舞われる ?

 

 今度こそ、ものすごく……ものすごく、身に覚えがありすぎる。

 私を神戸まで呼び寄せた発端こそ、彼の言うとおりの薄幸受難体質なのだから。


「こ、黄さん。なんでそんなこと知って……まさか〝南京町のおじ〞って名前で占い屋もやってたりとか」

「占い屋 ?   いや、してないヨ。道士の基本でえきせんくらいはたしなむケドネ。それはさておきお嬢サン、災難多いのはたぶん妖怪に好かれすぎてるのが原因ネ。こういうこと起きるの、きっと今後もイッパイあるヨ。猫鬼きなんて序の口かもアル」


「はああ !? 」


 序の口 ?   これが ?   この似非えせファンタジック展開が !?

 いや無理でしょうこんなの !   幻覚だと信じたい。けど猫鬼、現にそこにノビたまんまだし……。


「な、な、なんでっ !?   さすがに猫耳なんて初めてですよ !? 」


 たしかに、突然カラスの群れに襲撃を受けたり不自然な位置からコンクリートブロックが飛んできたりはあったけど、こんなに目に見えておかしなことは今までなかった。ひょっとしたら気のせいかも、……で済むていどに、いちおう常識の範囲内ではあったのだ。

 食い下がる私に、「ウーン」と黄さんは笑みを崩さずに視線を巡らせた。


「いきなりあからさまに奇っ怪になった理由に限定するなら、ネェ……とりあえず、ミナトお嬢サン、昨日、何かヘンなもの食べたカ ?   道に落ちていたまんじゅうとか」

「いきなり拾い食い疑惑かけられた !?   そんなのするわけな……待って」


 まんじゅう拾い食いなんて、もちろんしていないけど。

 変なものを食べた件……については。とっても非常にそれはもう、心当たりがある。

 黙りこむ私を放って、黄さんは、「お祓いのお代はそこの白澤にツケとくヨー」と手を振って去っていった。

 引き留める暇もなかったけれど、それより何より私の頭は、隣で顔色も変えずに彼を見送った白澤さんに問い詰めたいことでいっぱいである。


「……あの、白澤さん」

「なんでしょう小娘さん」

「ひょっとしなくても、私の体質がいきなり変になったのって。……あなたの料理を、食べたせい……だったり、して ? 」


 おそるおそる顔を見上げると、白澤さんは、こてんと首をかしげてみせた。

 あざとい。

 何げない仕草でも絵になるとかイケメンすごいな。などと、ちょっと冷静さを取り戻したところで、返答がくる。


「いやだなあ。……出会ったばかりで調子を悪くした貴女あなたを介抱し、タダ飯までごちそうした僕が、まさかそんな疑われ方をするとは」

「あ、そうだよね、ごめん。違ったなら」

「じゃなくて。他に思い当たることないでしょう ? 」


「やっぱお前かー !! 」


 思わず大声を上げる私に、彼は「まあまあ」と軽い調子で再び笑っていなしてくる。そして、こんなふうに補足をくれた。


「実は、僕のせい……ではなく。逆ですけどね ? 」

「ぎゃ、ぎゃく ?   どういう意味よ」

「貴女が今にも死にそうだったので、助けたんです。僕は」

「え……」

「神戸に来てから、今までプチ不幸で済んでいたものが、急に緊急度が増した、なんてことはないですか ? 」


「 ! 」


 大いに、ある。


 いきなり脳天狙いで降ってきた巨大看板。胸に走った謎の激痛。

 私はあんぐり口を開けた。


「ええっ、なんで知ってるの !?   は、白澤さんってひょっとして、南京町のあに……」

「違います。誰でも彼でも妙な名前の占い屋にあてはめるのはやめなさい。それはさておき、陰の気があまりに強すぎるせいで、貴女が大陸妖怪の格好の標的になっているのは最初から気づいていましたから。しかも、年を経るごとに悪化している様子だった。あのまま放っておけば、それこそ帰路にでも取り殺されかねないほどにね」


「……うそっ !? 」


 それじゃあ私、あともう少しでほんとに死ぬところだったの !?


 信じたくはないけれど、よくよく思い返してみれば、たしかに私はあの時、自分でもわ けが分からないほど強く恐怖を覚えたのだった。

 ――〝何かが、本格的に私の命を狙い始めた〞という、奇妙な予感によって。

 あれは、気のせいじゃなかったんだ……。


 あまりのことに何も言えずにいると、「ひとまず一時的にでも、そのあたりはまとめて退けられたようですが」と白澤さんに言われて胸をろす。

 いわく――呆れるほど危なっかしい私を見かねた白澤さんは、薬膳の力で、厄災体質を 中庸にちょっとだけ近づけてくれたらしい。やたらと引き留めてきたのも、そのためだったのか。

 なんにせよ、白澤さんの料理のおかげで一命はとりとめたものの、今度は副作用が出てし まったのだという。あの意味深な台詞は、それをしていたと。


 ――つまり、はっきり目に見えて、妖怪の障りが出てしまうというへいがいだ。


「今回の猫耳騒動は、貴女がずっと見舞われてきさいの単なる具現化に過ぎませんよ。むしろ、ちょろい実害に抑えられたことに感謝してほしいくらいです」

「断じてちょろくはなかったかな !?   まあ、死ぬようなモノじゃないって意味ではたしかに……。あ !   ってことは、白澤さんの肉じゃがのおかげで、これからは命の危機レベルの不運はなくなると考えていいんだよね ?   私には猫耳でも十分大事件だけど」

「いいえ ?   一時的、と言ったでしょう。僕にできたのはあくまで応急処置に過ぎません。根本から治したわけではないので、効果の持続はせいぜい数日かと……。しかも貴女の陰の気、また順調に強まってもいるようですし。現状、あからさまにう気満々の奴は見当たらないものの、時間の問題でしょうね」


「…………」


 総括としては。


「じゃあ、私……これからずっと不運に見舞われるばっかりじゃなくて、へんてこな妖怪にちょっかい出されながら生きてかなきゃいけないの !? 」

 おまけに、下手をすると、これからどんどん不幸の内容がエスカレートして。  


 ――やっぱり最終的には、二十歳を待たずに死ぬかもしれない、と。


「まあ、平たく言えばそうですね」

「そんなぁ ! 」


 なんなのそれ……絶望すぎる。

 私はただ、平凡に大学生活を送って、平穏に就職して、ふつうに社会人になりたいだけなのに。


「うう、勘弁してよ……」


 がっくり肩を落とし、うなだれた私を見かねたのか、「まったく打つ手がないわけじゃないですよ」と白澤さんは付け加えた。

「薬膳で体質に影響を与えられることは分かったんです。僕の料理があれば、その強すぎる陰の気、どうにかできるかもしれません」

「え !? 」

「いきなりすぐに変えることは難しいですし、保証もできませんけどね」


 希望の光が見えた。  


 思わずはっと顔を上げる私に、彼はにっこり笑ってもうひとつ提案する。 「そこで……。ここに定期的にバイトに来る、というのはどうでしょう ?   そうすれば、貴女の気を中庸に近づける薬膳のまかないをタダで食べさせてあげられますし、なんなら体質改善につながりそうな知識やレシピも伝授します。もちろん、給料も払いますよ」


 ここ、……って。

 白澤さんの、この『白澤薬膳房』のこと ?


 ど、どうしよう。


 私は迷った。

 もちろん、今まで悩まされてきた受難体質が本当に治るなら万々歳で、それでこそ神戸に来たかいがあったというものだ。白澤さんの厚意も、非常にありがたい。

 ――だけど、正直な話をするなら、私はできるだけこの店、というか白澤さんに近寄りたくない。本能は、変わらずやめろと警告を出している。


 頭を抱えてうんうんうなること数分。

 ぬぐえない違和感はあれど、私はバイトの話を承ることにした。

 さっきみたいに妖怪に憑かれた時、絶対に私一人だけで対処できないことは明白だし。

 それに巣鴨のばあばの言っていた〝名前にまつわる土地に行けば得られるヒント〞とやらが、まさにこれしかないと思ったのだ。


「えーと、白澤さん。お、お世話になります…… ? 」

「お世話になります、って。さんざん敬語を抜かして話していたんですし、もう今さら口調は気にしなくていいですよ」

「う」


 一瞬詰まる私に、白澤さんは軽く笑むと、右手を差し出してくれる。

「まあ、こんな始まり方ではありますが。こちらこそ、これからよろしくお願いしますね――新顔バイトの小娘さん」


「そっちは呼び方改めてよね !? 」


 いや、自己紹介したよね ?

 っていうか、よく考えたら白澤さん、一度も私の名前呼んでなくない ?  この人、かなり裏表激しいな。

 さっそくたじろぐ私の前で、きれいに笑顔を保ったまま、白澤さんは何かをポツリとつぶやいた。


「……せっかく飛び込んでくれたきみを、逃がすわけもありませんしね」


 よく聞こえず、私は首を傾げる。


「え ?   白澤さん、なんか言った ? 」

「いえ、何も ? 」


 本当かな。

 他に道が無いし、安易に決めちゃったけど、ちょっと選択しくじったかも。

 なんだかんだこき使われる予感がする。だ、大丈夫かなぁ……。


 ほんのり心配しつつ、『白澤薬膳房』を通じた私と白澤さんとの奇妙な日々は、かくして幕を開けたのだった。





―――


妖怪が見えるようになってしまった湊。白澤さんのお店でバイトすることになったが次に彼女の前に現れたのは……!?


この続きは、2020年10月15日発売!富士見L文庫『白澤さんの妖しいお料理処 四千年の想いを秘めた肉じゃが』で!



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

白澤さんの妖しいお料理処 四千年の想いを秘めた肉じゃが 夕鷺かのう/富士見L文庫 @lbunko

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る