第一章 肉じゃが定食⑦


 ――うわ。それは反則。


 予想外の表情に、思わずたじろぐ。雑な扱いをされてすっかり頭から飛んでいたが、目の前にいるこの男の人は、本当にきれいな姿をしているのだ。

 名前も知らないけど。……たぶん、今後も知らないままだろうけど。


「中国のお料理ってすごいんですねえ ! 」


 にこにこ笑って手をたたく私に、彼は笑みを深めた。


「……中国じゃないですけどね ? 」

「へ」


 あ、訂正。


 彼は笑っちゃいなかった。

「たしかに薬膳の思想そのものは中医ちゅうい営養学えいようがくを援用していますが、僕の用意した品は、あくまで日本の食文化の範囲内。どうして近ごろの日本人っていうのは、往々にして自国についてこうも卑屈なんですかね ?  生まれ育った土地が、なんでもかんでも西欧や大陸のサルまねをしてばかりだと思い込むのは、単なる無知のなせるわざですよ、小娘さん」


 にこにこにこ。


 顔は、たしかに笑いの形だけど。

 こっちに向けられていたのは、めちゃくちゃ心臓が凍りそうな冷たい眼光だった。


「え、でもここ中華街」

「中華街 ?   こうでは『なんきんまち』、です。中華街は長崎や横浜での呼称。そして、この国 には『郷に入っては郷に従え』という大変すばらしい教訓があります。そこのところ、心得ていただければ」

「は、はい……」


 なんだこのイケメンめっちゃくちゃ怖い。

 って、どんだけ日本好きなの !   地域性に至るまで詳しすぎない ?


「あーっと……すっごく日本がお好きなんですね ? 」


 コメントに困ったのでそのままストレートに伝えてみると、なぜか彼にはあからさまに「はあ ? 」という顔をされた。


「どうして僕が、こんな極東の極小な島国をわざわざ好まないといけないんです ? 」


「いや今の絶対そういう流れだったでしょ」

「……はあぁ ? 」


 とうとう声に出された。せぬ。っていうか第一、あなたそもそもどこ出身よ。

 私はめんどうくさくなって、なんかもういいや、と無理やり話を打ち切る。


「ごちそうさまです。ええと、お代……」


 とりあえず、顔は良いけど日本にツンデレが過ぎる残念な店主がやっている、和風を名乗りつつ断じて和に見えないごはん屋など、とっとと去るに限る。

 慌ててごそごそと財布をとりだしながら尋ねる私に、彼は片眉を上げた。


「お代は別に構いませんよ」

「へ ? 」

「無理やりお引き留めしたので」

「え !   いいんですか !?   って、さすがにそんなわけには」

「お気になさらず。そうですね……では。味がお気に召したなら、またごひいきにしていただければ」


 なんだこのイケメン神か !   神だな !   ごめん、怖いとかめんどくさいとか思って。

 さっき内心ちょっと悪態をついたことも、何度か小娘呼びされたこともすっかり忘れ、私は「ありがとうございます ! 」と勢いよく頭を下げた。

「あ、すみません。ご飯ごちそうになったうえにあつかましいんですけど。ついでにお兄さん、『乙仲おつなかどおり』って知ってたりとか……」

「それなら、この南京町と並行していますよ。そこの門を出て、ぐ南に下ると標識が見えてきます」

「そうだったの !? 」


 なんと、目的地は意外に近かったらしい。

 希望が見えて顔いっぱいに喜色を浮かべる私に、彼は朗らかに笑みを深めてみせた。

「ちなみに神戸は、山が北で海が南、電車は基本的に東西に走っています。こんな分かりやすい土地でよく迷えましたね。奇跡の方向感覚ですよ」

「お兄さん、定期的に皮肉言わないと死ぬ病気だったりする ? 」

「冗談ですよ。またのお越しをお待ちしています、小娘さん」

「やっぱり小娘って言ってる……」

 しかし、容赦なく失礼な言葉と裏腹に、彼はわざわざ見送りに、店先まで出てくれた。


「……そうそう」


 私が出やすいようにのれんを持ちあげながら、彼は思い出したように付け加える。


「ひとつ、念のためにお伝えしておきますが」

「え ? 」


「僕の料理を食べたせいで、もしも、異変が起きたら。また、ご相談にいらしてくださいね ?   ……では、幸運を祈っていますよ」


「…… ? 」

 お客を送るにしては妙な台詞せりふだなあ。「うちの料理うまいだろ」の特殊な活用形なの ?  たとえば、三回食べたらやみつきになる某ラーメンとかそういう系のアレ。

 少し歩いたところで振り向くと、彼はまだ店先に立って、ひらひらと手を振っている。 果たして、明るい太陽の下で見ると、イケメンぶりが倍増しだ。 

 そういえば、彼の名前どころか、店名の正しい読み方も聞かないままだ。店名が名前からきているなら『白澤』さんだけど、読み方はシロサワでいいんだろうか。


「……へんなお店だったなあ」


 来た時と同じ石畳の上をぽくぽく歩きながら、私は誰に言うでもなくつぶやいた。  

 まあ、肉じゃが定食はおいしかったし。……薬膳なるものに、ちょっと興味は出たかな。  

 しかし、再来店するかというと、答えは否である。むしろ、もう中華街――あ、南京町だっけ――ごと自主立ち入り禁止にしようかなとまで考えている。


 なぜなら……。

 

 ――〝イファ〞


 彼が私を見た時に呼んだ聞き慣れない響きの名前と、あのしつこいくらいの引き留めようが、どうしても気にかかるのだ。

 色々と話してお世話になって、ごはんまでごちそうしてもらって、我ながらバチ当たりなことこの上なしだけれど。やっぱり私は、「あのイケメン様とは、もう関わり合いにな りたくないな……」と思ってしまう。


 なぜって。


 ――


 彼と目が合った瞬間、そんな風に感じたのは、どうしてだったのか。

 たとえば、昔たホラー映画の殺人鬼やゾンビがプラチナ髪のイケメンだったとか、そういうトラウマでもあったっけ……と記憶を探ってみるものの、やっぱり心当たりはない。

 それに、去り際のあの台詞。  


 ――〝僕の料理を食べたせいで、もしも、異変が起きたら。また、ご相談にいらしてくださいね ?   ……では、幸運を祈っていますよ〞  


 普通は売り文句で、「身体からだに異変が起きる」とは言わないだろう。おまけに「幸運を祈る」ってなに。やっぱりおかしい。まるで、何か嫌なことが起きる前兆みたいではないか。

 気にしないでおこうとは思いつつ、あの背筋がぞっと凍るような出会いがしらの第一印象と相まって、どうにも頭から離れてくれないのだった。


 ミステリアスな美形の店主が経営する、おいしすぎる薬膳の店。


 字面だけ追えばロマンの香りがするけれど。極度の受難体質なればこそ、君子危うきに 近寄らず。これから花の大学生活だって控えているのだし……。

 そんなとりとめもない考え事をしながら、南京町入り口の大門までさしかかった時だ。


「なあご」


 下から鳴き声が聞こえたかと思ったら、支柱のかげにいた黒い小猫が、ふと足にすり寄って来た。


「……かわいい ! 」


 ずいぶん人なつっこい子だなあ。

 私はたちまち相好を崩し、しゃがみこんであたたかそうな毛並みに手を伸ばした。

 ごろごろ喉を鳴らし、甘えた声で鳴くその子の背をでていると、だんだん気持ちが上向いてくる。

 うーん……用心はするにしても、ごはんをごちそうになって、お礼をしないままじゃ失礼かもしれないなあ。友達ができたら、あの店のことを教えてあげようっと。あと、外食情報サイトにいい感想も入れとこうかな。


  ……と。


 その時は、たしかにそう思っていたのだけれど――。


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