第一章 肉じゃが定食⑦
――うわ。それは反則。
予想外の表情に、思わずたじろぐ。雑な扱いをされてすっかり頭から飛んでいたが、目の前にいるこの男の人は、本当にきれいな姿をしているのだ。
名前も知らないけど。……たぶん、今後も知らないままだろうけど。
「中国のお料理ってすごいんですねえ ! 」
にこにこ笑って手を
「……中国じゃないですけどね ? 」
「へ」
あ、訂正。
彼は笑っちゃいなかった。
「たしかに薬膳の思想そのものは
にこにこにこ。
顔は、たしかに笑いの形だけど。
こっちに向けられていたのは、めちゃくちゃ心臓が凍りそうな冷たい眼光だった。
「え、でもここ中華街」
「中華街 ?
「は、はい……」
なんだこのイケメンめっちゃくちゃ怖い。
って、どんだけ日本好きなの ! 地域性に至るまで詳しすぎない ?
「あーっと……すっごく日本がお好きなんですね ? 」
コメントに困ったのでそのままストレートに伝えてみると、なぜか彼にはあからさまに「はあ ? 」という顔をされた。
「どうして僕が、こんな極東の極小な島国をわざわざ好まないといけないんです ? 」
「いや今の絶対そういう流れだったでしょ」
「……はあぁ ? 」
とうとう声に出された。
私はめんどうくさくなって、なんかもういいや、と無理やり話を打ち切る。
「ごちそうさまです。ええと、お代……」
とりあえず、顔は良いけど日本にツンデレが過ぎる残念な店主がやっている、和風を名乗りつつ断じて和に見えないごはん屋など、とっとと去るに限る。
慌ててごそごそと財布をとりだしながら尋ねる私に、彼は片眉を上げた。
「お代は別に構いませんよ」
「へ ? 」
「無理やりお引き留めしたので」
「え ! いいんですか !? って、さすがにそんなわけには」
「お気になさらず。そうですね……では。味がお気に召したなら、またごひいきにしていただければ」
なんだこのイケメン神か ! 神だな ! ごめん、怖いとかめんどくさいとか思って。
さっき内心ちょっと悪態をついたことも、何度か小娘呼びされたこともすっかり忘れ、私は「ありがとうございます ! 」と勢いよく頭を下げた。
「あ、すみません。ご飯ごちそうになったうえにあつかましいんですけど。ついでにお兄さん、『
「それなら、この南京町と並行していますよ。そこの門を出て、
「そうだったの !? 」
なんと、目的地は意外に近かったらしい。
希望が見えて顔いっぱいに喜色を浮かべる私に、彼は朗らかに笑みを深めてみせた。
「ちなみに神戸は、山が北で海が南、電車は基本的に東西に走っています。こんな分かりやすい土地でよく迷えましたね。奇跡の方向感覚ですよ」
「お兄さん、定期的に皮肉言わないと死ぬ病気だったりする ? 」
「冗談ですよ。またのお越しをお待ちしています、小娘さん」
「やっぱり小娘って言ってる……」
しかし、容赦なく失礼な言葉と裏腹に、彼はわざわざ見送りに、店先まで出てくれた。
「……そうそう」
私が出やすいようにのれんを持ちあげながら、彼は思い出したように付け加える。
「ひとつ、念のためにお伝えしておきますが」
「え ? 」
「僕の料理を食べたせいで、もしも、何か異変が起きたら。また、ご相談にいらしてくださいね ? ……では、幸運を祈っていますよ」
「…… ? 」
お客を送るにしては妙な
少し歩いたところで振り向くと、彼はまだ店先に立って、ひらひらと手を振っている。 果たして、明るい太陽の下で見ると、イケメンぶりが倍増しだ。
そういえば、彼の名前どころか、店名の正しい読み方も聞かないままだ。店名が名前からきているなら『白澤』さんだけど、読み方はシロサワでいいんだろうか。
「……へんなお店だったなあ」
来た時と同じ石畳の上をぽくぽく歩きながら、私は誰に言うでもなく
まあ、肉じゃが定食はおいしかったし。……薬膳なるものに、ちょっと興味は出たかな。
しかし、再来店するかというと、答えは否である。むしろ、もう中華街――あ、南京町だっけ――ごと自主立ち入り禁止にしようかなとまで考えている。
なぜなら……。
――〝イファ〞
彼が私を見た時に呼んだ聞き慣れない響きの名前と、あのしつこいくらいの引き留めようが、どうしても気にかかるのだ。
色々と話してお世話になって、ごはんまでごちそうしてもらって、我ながらバチ当たりなことこの上なしだけれど。やっぱり私は、「あのイケメン様とは、もう関わり合いにな りたくないな……」と思ってしまう。
なぜって。
――せっかく逃げおおせたのに。
彼と目が合った瞬間、そんな風に感じたのは、どうしてだったのか。
たとえば、昔
それに、去り際のあの台詞。
――〝僕の料理を食べたせいで、もしも、何か異変が起きたら。また、ご相談にいらしてくださいね ? ……では、幸運を祈っていますよ〞
普通は売り文句で、「
気にしないでおこうとは思いつつ、あの背筋がぞっと凍るような出会い
ミステリアスな美形の店主が経営する、おいしすぎる薬膳の店。
字面だけ追えばロマンの香りがするけれど。極度の受難体質なればこそ、君子危うきに 近寄らず。これから花の大学生活だって控えているのだし……。
そんなとりとめもない考え事をしながら、南京町入り口の大門までさしかかった時だ。
「なあご」
下から鳴き声が聞こえたかと思ったら、支柱の
「……かわいい ! 」
ずいぶん人なつっこい子だなあ。
私はたちまち相好を崩し、しゃがみこんであたたかそうな毛並みに手を伸ばした。
ごろごろ喉を鳴らし、甘えた声で鳴くその子の背を
うーん……用心はするにしても、ごはんをごちそうになって、お礼をしないままじゃ失礼かもしれないなあ。友達ができたら、あの店のことを教えてあげようっと。あと、外食情報サイトにいい感想も入れとこうかな。
……と。
その時は、たしかにそう思っていたのだけれど――。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます