生きて生きて、そして死ぬ。

最近感じたエピソードになるが生きとし生けるモノには必ず死が伴う。なので生きているうちに少しでも世界に傷跡をつけておきたいというのが心情というもの。ただただ生きて、何にもなれず何も世界に与えられるものがなく死んでいくなんて悲しい。私の小説の最たるものだとも思う。誰かに感動してもらうメッセージを作ることも作家にとっては大事なことなのだけれど、それ以上に生きているという実感を得るためにやっているというのが正しいのではないだろうか。

さて、仕事というものを考えてみよう。自身にとってそれは世界の傷になるかどうか。深さはどれくらいでもいいと思う。どんなに小さな傷でも残るだろうか。残らないと思うのであれば仕事を辞めた方がいい。その仕事は自分本位の単なる金銭をやり取りするためだけの仕事だからだ。それが生きるという実感につながるのならばそれでもいいのかもしれないが若い諸君は夢とは言わない”希望”があるので必ず手にしてみてほしい。自分にとっての傷とは何なのだろうか。映画を見る時間ができたので見に行ってきたのだが、これ自体は何らおかしいことではない。映画を見るという行動は当たり前だし、買い物に行くことに近いと思う。映画に感じるモノとは映画を作るサイドの話になる。あれは傷跡をかなり深く残しているのではないだろうか。それも大きくて鋭い爪で世界をえぐっているのではないだろうか。それを作り上げる仕事とは立派な仕事だと私はひどく尊敬する。当たり前のように傷を残している人たちばかりなので最も簡単な傷の感じ方なのではないだろうかと。多分メディアというのはどれだけ廃れても、ブルーレイがどうこうなろうと、DVDがどうなろうとデータとして必ず、そして確実に残っていく。私たちは紙を媒体に昔は仕事をしていたし、今でも仕事は紙で受けることもたまにあるが、圧倒的にデータとしてのやり取りが多くなった。紙が廃れるのである。しかし、媒体がどんなに変わろうとも羅生門はなくならないし、人間失格だってなくならない。それは傷になってしまったからだろうと思う。Book OFFなんかで本を探しまわってみて、もし中古として出ているのならば必ず誰かのどこかに刺さっているのである。私たちの仕事とはそういうものだ。生きているうちに死んだらどうなりたいか考えるのが小説家なのだろうと思う。

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