生とは
生とは生きとし生けるモノすべてに与えられるもので、人間であれば人生と言われる。生き方ともいうべきなのだろうか。虫には虫のような生き方があるし、樹木には樹木なりの年月をかけた生がある。神云々の話ではなくて、すべてのモノは生きているという前提の元に成り立っている話になるが、生きているの評価をどう行うかというと、退化していくのかそれとも成長していくのかという評価軸で物事を見ているのだけれど、虫はサナギになり成虫になる。木々も同じように毎年のように緑を私たちに見せてくれる。もちろん死んでいる木々も存在する。その場合は退化していって虫に食われたり、人間の手によって材料として利用される。人間もその昔は土に死体を埋めて土に生けるモノたちの食い物にされていたのだから、どの生き物も最終的にはどこかに処理されていく。では地球レベルで考えるとどうか。地球という星が生まれた段階で死なのである。土はマントルの上に宿り、人は地球の血液とも呼べる核エネルギーを食い物にして生きている行きモノなので地球はこれから成長していくことはすくないだろう。どれだけ退化を防げるかどうかが重要な数字になってくるんだろうと思う。今まで多くの石油を使っていたのが脱石油化はどんどん進んでいくし、核エネルギーも絶対量が決まっているのだから総量をどのようにして利用していくのかがキーになる。こういう風に膨大に考えていくと人間の生命なんていうのは1世紀前後なのだから、短いか長いかは個人によるけれどそれは当然虫や微生物に比べればはるかに長いわけだし、木々から比べたら大した年数でもないような気にもなる。生を受けて今まで何をやってきたかっていうのは問題の核ではなくて次の、これからの人生をどう生きていくかが問題の中枢を占めているのではないかと思う。過去をどれだけ思うとしても事実は変わらないし、なら未来に対してどういうアクションを起こせるのかを真剣に考えた方がよいと私は思うので過去のことは過去に葬ることにしている。もちろん経験値という面では他人とは全く違う生き方をしているわけだからアドバンテージはあるんじゃないかとも思っている。それは誰しも同様のことが言えて、二つと同じ人生は存在はしないのだから自分らしく生きればいいのだと思う。私は高校の頃は部活に熱中しすぎたあまりに大学受験なんておざなりにしたけれど結果として裏でポチポチやってたパソコンが活きた。2000年前後でMODをいじっているような中学生もいなかっただろうし、高校に上がるころにはTCP/IPの分野を少し齧っていたしOfficeも扱っていたのでこの分野がAO入試にヒットした。とはいえ情報系の大学ではなく建築工学系の大学に進学したのだけれど、大学院ではTCP/IPをもう一度学ばされる羽目になったし現在もそうだけどプログラミング言語をいじるようになったのだから人生ってのはどこからどう転がっていくのかわからない。
もしあなたに趣味があるのなら大切にした方がいい。趣味というのは志向の話でもあるし思考の話でもあるからあなたのあなたなりの理論が存在して、それをもとにして人生が広がっているのである。それは客観評価をする必要はなくて主観量だけで十分かと思う。私は生き様というのは葬り去ってきたけれど経験値はフル活用している。建築の研究室で音波の研究をプログラミングをしながら求めているので集大成ともいえる。それに加えて建築系っていうのはコンピュータにあまり強くないからそこに着目して研究を行っている。
しかし、中学生の頃も十分研究者だった。MODは関係なくて、機械工学や電気工学にも手を出していて血のにじむような努力の末にとある機械を完成形にもっていったので、それは中学生ならではの話なのではないだろうか。小さいころから手を動かして何かを作るのが好きだった。それが今では頭を少しは回し始めた程度なのだから、大学なんてそんなもんである。高校生が読んでくれているのであれば自分の人生は自分にしかわからない。だからなんでもいいから手を出そう。そうアドバイスするのが人生の客観評価かと思う。
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